第17話 非日常と日常
ヴィクターが捕まってひと段落ついた頃、エドワードは麻薬捜査課から強盗殺人課へ移った。
移動になってからわずか二日、一軒家で事件が起こったと通報が入る。
妻と思われる女性が顔を腫らして泣き叫び、隣でまだ大人になりきれていない子供が仏頂面のまま棒立ちをしている。親子関係が垣間見えた瞬間だった。
「散々話したでしょうが、パトカーの中で話を伺います。野次馬が集まってきましたからね」
カメラを向けてくる連中に、エドワードは背を向けた。
最近はマスコミより、ネット上で自分の番組を持つ輩の迷惑行為が問題だ。
「コーウェン、悪いがあちらのお嬢さんをお願いしてもいいか?」
被害者である仏頂面の娘だ。彼女はつまらなそうに地面を蹴っている。自分の父親が殺されたというのに、まるで他人事のようだ。
「俺みたいな男だと警戒される。ここは色男に任せたい」
「俺も子供に好かれるタイプじゃありませんよ」
「お前がハンサムなのは万国共通だ。行ってこい」
子供が寄ってくる容姿ではないというのは本当で、身体の大きさや厳めしい顔つきのせいで警戒されることが多い。
少女だと思っていた子供は近くで見るとわりと大人びた顔つきをしていて、エドワードに気づくと口を噤んだ。
「いろいろと大変だったね。パトカーの中へ行こう」
「別に。ここでもいいし」
「君をマスコミから遠ざけたいんだ」
少女は戸惑いを見せたが頷き、おとなしく後部座席へ座る。
「名前と年齢を教えてほしい」
「マーサ・チェスター。二十二」
「二十二?」
「何かおかしいの?」
「すまないね。知り合いの大学生と同じだったから反応してしまった」
少女ではなく、女性だった。まさかルカと同じ年齢だとは思いもしなかった。
最近のルカは大人びてきて、美しさに磨きがかかった。
一部の男を惹きつけるのか、一緒にいてもルカを盗み見る男がいる。元々魅惑的な一面があるが、愛される喜びを知り、さらに美男子になった。
「君が家から出て警察に通報するまでの流れを、思い出す限り細かく教えてくれ」
「母親の付き添いでショッピングに出かけて、帰ってきたら男が刺されて死んでた。以上」
すでに用意された答えを、淡々と話す彼女は異様だった。
気になったのは『父親』を『男』と呼んだ点だ。
「お父さんとは仲が良かった?」
憎いものを見る目で、マーサはエドワードを睨みつける。
「少しも。もしあいつが死ななければ、私がとどめを刺してやるところだったわ。それに血の繋がりはないし、父親なんかじゃない」
判ったことが二つある。
一つは、マーサと父親は血の繋がりはない親子関係で、憎悪を抱いていたということ。
もう一つは、これは憶測の域を出ないが、彼女はおそらく父親から性的虐待を受けていたのではないか。
娘が父を憎く思い、殺人へと発展するケースはいくつか見てきたが、普段から暴行を受けていたケースが多かった。反省どころか生き延びて助かる手段を選び、父が死んだことは安堵の表情を浮かべ、後悔の念は法を犯したことだと言う。そして父に対する殺意を隠そうともしない。
母親と一緒ならばグレー寄りだろうが、ネット社会において誰と繋がりがあるのか徹底的に調べなければならない。
「状況は覚えてる?」
「最初に母が中に入って、悲鳴を上げたわ。すぐに私も家に入ると、廊下には父親が倒れてた」
「君はどう思った?」
「……さすがに驚いた。母は気が動転していて話すことすらままならない状況だったから、私が救急車を呼んだ」
「パトカーも?」
「ええ。部屋を覗いてみたら部屋が荒らされていたから強盗かもって思って、警察も」
「なるほど」
「まあ、救急車を呼んでも無理だったんでしょうけど。動いてなかったし」
自分の家族の話なのに、マーサは無関係とばかりに知らん顔だ。
「荒らされたのはリビングだけ?」
「見たのはリビング。私の部屋は二階だけど、上がってないから見てない。勝手に入っちゃダメなんでしょ?」
「そうだね。よく知ってるね」
「こういう事件、大学で学んでいるから」
「へえ。警察になりたいとか?」
「まさか。犯罪心理学を学んでるのよ。心理学だけじゃなく、講師が犯罪についてもいろいろ教えてくれるから」
書き取りの手が止まる。
犯罪心理学といえば、恋人のルカも専攻している。
この辺で犯罪心理学を学べる大学は、ルカの通う大学くらいしかない。
「しばらくは大学に通えなくて残念だね」
「なんで? 明日もあるし行くわよ普通に。来年就職なんだから。まあ……お母さんを独りぼっちにさせておくのはよくないか」
「他人様の家の事情はいろいろあるだろうが、しばらくは母親についているべきだと思うよ」
父親のこととなると敵意むき出しに話していても、母親の話になると、マーサは素直に頷いた。
テーブルに並ぶグリーンカレーを堪能した後、エドワードは学校や講義、友人について触れた。
「そういえば、同じ講義を受けている子が明日から来られなくなるかもって連絡が入りました。家族が事件に巻き込まれたとか」
「なんていう子?」
「マーサっていうんですけど」
「仲良いの?」
「よく一人でいる子ですね。でも、気が良い子でもあります。一緒にダンスを踊ったこともあって……」
「なんだって?」
つい険しい顔になってしまい、エドワードは淹れたてのコーヒーに手を伸ばして落ち着かせた。
「ジュニアスクール時代、彼女と同じクラスだったことがあるんですよ。授業でダンスをしなくちゃいけなくなって……僕はこんな容姿だから、あまり人と馴染めなかったんです。彼女は一緒に踊ろうって誘ってくれて」
「彼女はジュニアスクール時代と今では、何か変わった様子はある?」
ルカは不思議そうな顔をした。
「マーサのこと、知ってるんですか?」
「詳しい事情は話せないが、とある事件で彼女が深く関わっている。少し彼女のことを知りたくなってね」
「って言っても、僕もそれほど詳しいわけじゃ……。昔も一人でいることは多かったですが、今より笑っていた印象があります」
「昔は?」
「今は本当に一人ぼっちです。友達が作るのが苦手で輪に入れないんじゃなく、入ろうともしないし拒絶しているんです。でも、授業は欠かさず出ています。休んだところは見たことがないですね。ヴィクター教授がいろいろあったときも、彼女は動揺を顔には出さず、新しい教授の授業を淡々と受けていた印象です」
「ジュニアハイスクール時代はどんな感じだった?」
「彼女、引っ越しをしたんです。……思い出したんですが、新しいお父さんができるって喜んでた気がします」
「なるほど。親の都合で引っ越しをした可能性があるんだね」
「かもしれません。あの、僕にできることはありますか?」
「情報をもらえただけで充分だ。今、必要なのは、彼女の心が安らかになれる場所だと思う。拒絶していても、きっと心から人が嫌いなわけじゃない。なるべく話しかけてあげてほしい」
「わかりました」
ルカは隣に移動してきて、そっと二の腕に頬をつけた。
「くっつき虫」
「ずいぶん可愛い虫がいたものだ」
むぎゅっと音がしそうなほど柔らかい頬は、形が崩れ思わずつつきたくなる。モチのようで、ためらわずに吸ってみた。
モチみたいに甘い香りはしないが、その代わりに先ほど食べたグリーンカレーのスパイスの香りがする。
「くっつき虫の特性はなんだ?」
「くっついて離れないのと、匂いを嗅ぐ」
「それは新種の虫だな。おいで」
太股の上にルカを乗せ、めいっぱい彼の匂いを嗅いだ。
ほのかに甘酸っぱい香りは、ルカ特有のものだ。
「くっつき虫はいつまでくっついてくれるのかな?」
「うーんと……ずっと」
「可愛らしい虫もいたものだな」
事件で頭がいっぱいになる中、くっつき虫は唯一の癒しだ。
もはやルカがいない人生などもう考えられない。
くっつき虫はどちらなのかと、エドワードは自身に問いかけたくなった。
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