08.婚約した夜に拉致された

「大変お待たせいたしました。シモン侯爵が娘レオンティーヌですわ……っ!」


 客間の入り口で挨拶をした私が顔を上げ、椅子に腰掛けた客人と目が合う。黒髪の騎士様じゃない! くるりと回れ右をした。後ろで扉を塞ぐ侍女ロザリーへ袖の針を投げる。邪魔するなら排除する! 銀のお盆で防がれた。


 勢いそのまま逃げようとした私は、室内に控えていた執事アロイスの攻撃を短剣で叩き落とした。うっ、口に吹き矢を仕込むなんて。ひとつ落とし損ねた針が刺さり……くらりと目眩に襲われた。


 速効性の痺れ薬! 仕える家の令嬢に痺れ薬当てる執事がどこにいるのよ!! がくりと膝から崩れた私は、室内にいた黒髪の美形に抱き締められた。


「レオンティーヌ嬢、失礼する」


 痺れてて何も言えない間に長椅子へ運ばれ、なぜか膝枕された。下から見ても美形は崩れないのね。鼻の穴大きいとか、そういう欠点もない。


「ルーベル公爵家嫡男、シルヴァンだ。我が愛しの婚約者殿」


 諦めて体の力を抜いた。未婚の貴族令嬢だから離してと言いたいけど、彼、私の婚約者だから通用しない。裏路地で足を見ちゃった責任を取る気なの? そんなの許してあげるから、私を逃してよ。


 黒髪の美形、公爵家嫡男、名前がシルヴァン――間違いなく攻略対象だった。もしヒロインが王子と結ばれたら、私は彼女に意地悪した悪役令嬢として成敗されてしまう。


「婚約を快諾したと伺い、嬉しくて駆けつけた。レオンティーヌ嬢、結婚式まで我が家で過ごす許可を得たので、このまま一緒に帰ろう」


 首を横に振るが、ぎこちない動きしか出来ない。ちょっと、アロイス! 痺れ薬が強力すぎる。これじゃ、一般人に当たったらショック死する量よ。私はゾウじゃないんだから、加減しなさい。二、三本刺さったら意識不明になるわ。


 否定する動きに気づかないのか、無視されたのか。にこにこと機嫌のいいシルヴァンは、私を抱き上げた。がしゃんと音がして、太腿に縛った袋が落ちる。


「ああ、もう荷造りを終えていたのか。ここまで喜んでもらえたなら冥利に尽きる」


 全否定してるのに。あれよあれよと、武装が解かれていく。慣れた手付きで侍女ロザリーが暗器を外し、呆れ顔の執事アロイスが溜め息を吐いた。


「お嬢様、装備し過ぎです。これでは動けませんよ」


 うるさいわね! 逃走用なんだから仕方ないじゃない。痺れが抜けないまま、革製の拘束具が嵌められた。


 未来の嫁を迎えに来たんじゃなくて、猛獣を確保しに来たの? 馬車に横たえられ、あっという間に屋敷が遠ざかっていく。お父様とお母様は寄り添い合い、笑顔で手を振ってくれた。


 侍女のロザリーは後日、準備を整えて移動になると聞いた。シルヴァンの話を聞きながら、馬車に揺られる。振動が辛いけど、お陰で痺れが抜けてきた。停車した馬車から降りる際、抱き上げられた私は、のけ反って腕から飛び降りる。


 まだ痺れで痛いけれど走ろうとした足が、がちゃんと音を立てて突っかかる。手足に鎖付き革ベルト巻かれたの忘れてたわ。


「きゃ!」


 顔から転ぶ覚悟をしたけど、あっさりシルヴァンが腕に収めた。鎖の先を握った彼は、穏やかに微笑む。ぞくりと恐怖が背筋を走り、全身に鳥肌が立った。


「……触ん、ない……で」


「まだ痺れているだろ? 安心してくれ。うちでは使わない」


 痺れ薬、は……? 他に何か使うって聞こえるんだけど。逃げ損ねた私は、そのまま公爵家の屋敷に連れ込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る