第37話 依頼人

クラウスは室内に入った。かすかにお香の香りがする。ルイーゼの衣服からほんのり香る匂いと同じだ。


(ルイーゼ様の匂いだ)


クラウスはルイーゼと同じ空間にいるだけで幸せだった。


どんなに抑えてもルイーゼへの想いが溢れ出て来る。身分違いも甚だしく、決して恋心を抱いてはいけない相手だが、理性でどんなに自分を説得しても、本能が、感情がルイーゼを求めてしまう。


だが、恋心は固く封印し、忠誠心に転換してみせる。それがルイーゼ様の一番の幸せにつながるはずだから。


クラウスは片足をひざまづき、胸に腕を当て、頭を下げた。


「お時間を頂き、ありがとうございます。本日はお願いの儀があって参りました」


「クラウス殿、楽にして下さい」


「ありがとうございます」


そう言いつつも、クラウスは片足をひざまづいた状態を崩さない。


「私はルイーゼ様の一騎士として、生涯ルイーゼにお仕えさせて頂きたく、私のわがままをお許しください」


ルイーゼは困惑した表情だ。


「それなのですがクラウス殿、私には騎士は必要ないと思うのです」


「ルイーゼ様、今後、王家との物理的な激突が予想されます。そのときに、兵を組織的に指揮できる人材が必要ではないでしょうか」


「そういうのはリンクさんに任せていますから」


「では、リンク殿が必要とご判断された場合には、騎士としてお仕えしてもよろしいでしょうか」


「ま、まあ、リンクさんが必要だというなら、認めます」


「ありがたき幸せ」


「え? 決まったわけではないのよ。リンクさんが必要ないというかもしれないのよ」


「ここにリンク殿からの推薦状を持参してまいりました」


クラウスが胸から文を取り出して、頭上に両手で掲げている。


アンリが近寄って、文を受け取って、中を確かめた。


「姉さま、リンクから騎士は必要で、是非ともクラウスを召し抱えたし、とあります」


ルイーゼはアンリから文を受け取った。確かにリンクの筆跡だ。


(もう段取りされていたのね)


「分かりました。クラウスを騎士とします。生涯私に仕えなさい」


アンリがどこからか剣を取り出して、ルイーゼに渡した。


(本当に用意がいいわね)


ルイーゼはクスッと笑って、剣をクラウスに手渡した。叙任式で剣の腹で肩をトントン叩くというのを見たことがあるが、よくわからないので、普通に渡すことにした。こういうのは気持ちが大切だから、クラウスはこれでいいだろう。


クラウスは剣を頭上で受け取り、腰に差してから深々と一礼し、ずっと下を向いたままで退室した。


「アンリ、おめでとうを言ってきてあげて」


「姉さまは勘違いされてます。私はクラウス様に恋愛感情は全くないですよ。それよりも姉さま、これでクラウス様は姉さまの騎士です。部下ですからね。姉さまはリンクだけに愛を注いで下さいな」


ルイーゼの顔がみるみるうちに赤く染まって行く。


「あ、あなたは何をいっているの!? リンクさんとは『逃がし屋』と逃がされる対象の関係ですっ。そこに恋愛関係が成立するはずはないわ」


「姉さま、そんな決まりはないですよ。リンクも常々申し上げていますが、姉さまは、何も我慢しないで、好きなようにしてください。リンクは自分が姉さまにふさわしくないと思い込んでいます。リンクから姉さまに彼の想いを伝えることは絶対にありません。姉さまからリンクに言わない限り、二人の恋は成就しませんよ」


「で、でも、リンクさんは私のことは単に契約対象としてしか見てないわよ」


「姉さまはアホですか? クラウス様がどんなに姉さまを愛しているかも気づいていないでしょう。クラウス様は姉さまとの男女の関係を諦め、騎士の道を選びました。それは姉さまのリンクへの想いを知っているからです。ここで姉さまとリンクが結ばれなければ、クラウス様はとんだ道化師です」


ここまで言われても、ルイーゼはリンクとの関係が崩れてしまうことを恐れて、もう一歩を踏み込めないでいた。


「アンリ、ごめんなさい。私、リンクさんが本当に好きなの。彼との関係が壊れてしまう可能性が少しでもある行動には出られないわ。私は彼がいないと生きて行けないの」


「姉さま、ようやく正直な気持ちを打ち明けてくれましたね。大丈夫です。リンクに正直な気持ちをぶつけて下さい。リンクは絶対に姉さまから離れませんよ」


「でも、依頼主が依頼を取り下げてしまったら……」


「姉さま、『逃がし屋』の依頼人はリンクです。リンクが依頼を取り下げることは絶対にありません」

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