第38話 ステリーナ・ザライ 親友


 わたくしはステリーナ・ザライ。

 アアウィオル王国の北方を守護するザライ家の長女ですの。


 貴族として戦争というものをこの目で見ておこうと決めたわたくしですが、ただ見学をするのは許されませんでしたわ。

 なんと、他国の王を案内する役目に任命されてしまいましたの。


 というのも、キャサグメ様たちがあやつる転移の魔法で他国の王を強制的に招待するそうで、相手方が混乱していると想定して、なるべく警戒されない見た目の人材が必要だったわけですね。


 その点で言えば、わたくしはうってつけだったことでしょう。

 自分で言うのもアレですが容姿は良いはずですし、家柄も他国の王をもてなすのに申し分ありません。なによりも学園島で卒業間際まで学んでいるため、ピリピリした方々からの自衛ができますからね。


 わたくしが案内したのは、隣国のフォルメリア王とその臣下の方々。


 フォルメリア王はこんな状況でもどっしりと余裕をお見せできる方でしたが、臣下の方々は大慌てでした。でも、わたくしが同じ状況に陥ったと考えると笑うことはできません。


 父の話では、キャサグメ様はアアウィオルを訪問し、女王陛下がこれを迎え入れたということでした。もし、陛下が迎え入れなければ、キャサグメ様たちは他国で交渉したのだとか。

 そうです、少しなにかが違えば、立場は逆だったかもしれないのです。


 まあ、神の宝があるというデマに惑わされているのは少し辟易しましたが。でも、それもまた仕方ないことです。この戦場の光景を見たら。


 ゾルバ帝国を迎え撃ったアアウィオル軍でしたが、まさに圧倒的でした。

 先制で大規模転移魔法を使ったのはキャサグメ様たちのはずですが、それを抜きにしても圧倒的です。


 平原には死が満ちていました。


 自分の国が勝ったのに、これっぽっちも嬉しくありません。

 アアウィオルの民を傷つけられずにホッとする気持ちはありますが、それにも増して一番強くわたくしの心にあるのは虚しさでした。


 女王陛下のご慈悲を無視して、他国を荒そうとする者たちでしたが、それでも彼らの中には家族を持ち、家に帰れば良き父、愛しき子だった者もいたでしょう。

 本来なら普通の人生を歩んでいたのに、口が上手い者に乗せられてしまった者もいたでしょう。

 あの骸ひとつひとつに、どれほどの愛や思い出が詰まっていたのでしょう。


 これが戦争。

 今回は極端な結果になりましたが、もしかしたら、あそこに倒れている半分は同胞だったかもしれません。そして、家族や友の戦死の知らせを聞いて泣くのは我らの民だったかもしれません。


 そんなふうに思いながら、わたくしは一人の女の子を目で追っていました。

 戦鎧と斧を血で染め、彼女は父親と何事か話しています。


 国を守るために戦った彼女は、いま何を想っているのでしょう。

 わたくしは屍の海に佇む彼女の姿を生涯決して忘れません。




 戦争が終わり、戦場でできる戦後処理を夜まで手伝い。

 わたくしは帰還するキャサグメ様のお仲間に便乗して、一足先に学園島に戻ってきました。


 時差により、学園島は夕暮れ時でした。


「リリー、護衛ご苦労様でした」


 メイドのリリーも戦場に来ていました。

 リリーはザライ家の家臣団の中でも武闘派の家の子でとても強いですが、戦場には出ていません。わたくしの護衛として近くにいてくれました。


「お役に立てたのなら幸いにございます、お嬢様」


「とても心強かったわ。ありがとう」


 わたくしがお礼を言うと、リリーは年頃の娘が見せるように嬉しそうにはにかみました。


 留守番をしていたもう一人のメイドのアンがお茶を淹れてくれました。わたくしとバルサさんの2人分です。

 バルサさんも一緒に帰ってきたので、そのうち来るかと思います。


 そう思って待っていましたが、窓の外から夕焼けが消え、夜の帳が降りてもバルサさんはやってきません。


「二人とも、わたくしは少しバルサさんのお部屋に行ってきますわ」


「それでしたら、私が」「せーい!」


 自分が行くと申し出るアンに、リリーが体当たりをしました。

 アンがわたくしのベッドに倒れ込み、パイーンと跳ねます。


 な、なんですの?


「お嬢様、どうぞ行ってください」


「え、ええ。あ、あの、メイドなのだからお淑やかにね?」


「てへへ。はい!」


 ちょっとリリーはよくわからないところがありますわね。


 わたくしたちが過ごしているのは貴族用の寮です。

 基本的にいつも静かな廊下ですが、今日はいつにも増して静かな印象です。わたくしと同じように戦争を見に行った子も多く、あの光景を見たあとでは、騒げる気分にはなれないのでしょう。


 バルサさんの部屋のドアをノックすると、すぐにバルサさんのメイドが応答してくれました。


『どなたでしょうか?』


「ステリーナですわ」


『す、ステリーナ様! ああ、良かった!』


 ドアの向こうでメイドはそう言うと、すぐに部屋へと迎え入れてくれました。


 でも、わたくしはそれどころではありません。

 良かった、とはどういうことでしょうか。


「バルサさんは?」


「お嬢様は浴室にございます」


「お風呂に入っているんですの?」


「はい。でも、とても長くて。お声をかけたのですが、もう少ししたら出る、と」


「そう」


 脱衣所へ続くドアを見るわたくしに、メイドは真剣な眼差しを向けてきました。


「ステリーナ様。他家のお嬢様に申し上げて良いことではありませんが、どうかお嬢様をよろしくお願いします」


 メイドはそう言うと深々と頭を下げました。


 わたくしだって、人の心がわからない馬鹿ではありません。

 メイドの真摯な願いや、今日起こったことを考えれば、バルサさんの状況はなんとなく理解できました。


「あなたは部屋で休んでいなさい」


「は、はい」


 わたくしはドアを開け、脱衣所に入りました。


 洗面台がある小さな脱衣所の向こう側、曇りガラスを隔てた向こうでシャワーがずっと流れ続けています。

 わたくしは服を脱ぎ、曇りガラスが嵌った戸を開けました。


 そこには、雨のように降り注ぐシャワーを浴びながら、洗い場に座り込むバルサさんの姿がありました。

 いつもはまっすぐ伸ばした背を丸めて、バルサさんは入ってきたわたくしにも気づかずに、石鹸で手を洗い続けていました。


「ひっく……」


 シャワーの音に混じって聞こえる嗚咽に、わたくしは気づけばバルサさんを背中から抱きしめていました。

 切なくて溢れてくる涙がシャワーと交じり合って流れていきます。


「っ! す、ステリーナ……ぐすぅ……」


 名前を呼ばれても何も答えられず、代わりにわたくしは片手でバルサさんの手を握りました。


 石鹸で指の股がぬるりとしますが、決して離すまいと力を込めます。

 でも、バルサさんは嫌がるように手を離そうとしました。ダメです、離しません!


「……汚いよ」


「バカ! 汚くなんかありませんわ!」


 ぐすぅ、と鼻を鳴らしたのはどちらだったでしょう。

 沈黙が流れるシャワーの中で、バルサさんは震えながら、首元を抱きしめるわたくしの腕に手を添えようとして、力なく下ろしました。


「覚悟を決めていたはずなんだけどな、ははっ。……人をたくさん殺したよ。……ステリーナに触っていい手じゃないんだ」


「汚くないって言っているでしょう! 民を守った立派な手です! わたくしの親友の手です!」


 えーい、わからんちん!

 わたくしはバルサさんの頭をガッと掴み、無理やり横へ向けると、首を伸ばして口づけしました。


 や、やってしまいましたわ。

 でもでも、バルサさんはたぶん、わたくしに友情以上の気持ちを抱いていると思いますので、大丈夫でしょう。だって、ちょくちょく熱っぽい視線をわたくしに向けてきていましたし。気づいていないとでも思って?


「ひっくぅ……しゅ、しゅてりーむぐぅ!」


 それにしても、想像していたよりも感触が硬いですわね!?

 いえ、それはきっと唇に力を入れすぎているせい。

 フォーストキスだからやり方がわかりませんことよ!


 でも、熱いシャワーがエッセンスになっているのでしょうか、頭がおかしくなってしまいそうなほど情熱的な気分になってきましたわ!




 どれくらい時間が経ったでしょうか。

 わたくしとバルサさんは浴槽の中にいました。


 いつもは向かい合ってお風呂に入りますが、今日はわたくしの足の間に顔を真っ赤にしたバルサさんが収まっています。


「……学園島で同じクラスになって、すぐにステリーナが好きになった。私と違ってお淑やかで綺麗で、憧れたんだ」


 わたくしが素敵なのは否定しませんが、はっきりと言われると少し恥ずかしいですわね。


「いつかこうなりたいと夢にまで見た」


「そう言う割にはしょんぼりしてますわよ。想像していたのと違いましたの?」


「頭がふわふわするほど嬉しいよ。……でも、なんで、今日なんだよ。私は同情でこんなふうになんてなりたくなかった」


 バルサさん、乙女ですわね。それに騎士的でもありますわ。

 でも『食える肉は食っておけ』というアアウィオルのことわざを忘れまして?


 わたくしも女なので、バルサさんが今どうしてほしいか理解できます。

 片手をお腹に回し、片手で手を繋ぎます。

 バルサさんは、繋いだ手を拒まずにギュッと握り返してきました。


 本人はごちゃごちゃ言っていますが、わかる! 手に取るようにわかりますわ!


「同情なんかじゃありませんわ。バルサさんの貴族としての気高さと人としての優しさにわたくしは惹かれたんですの。一緒にいたいと思う人が傷つき、ずぶ濡れになって泣いていて、どうして放っておけるのでしょう」


「しゅ、しゅていーにゃ……」


 バルサさんが首を倒して、とろんとした顔を向けてきました。

 本心からのセリフではありますが、バルサさんの喜ぶことが手に取るようにわかりますわ!


 とりあえず、また情熱的な気分になっちゃったので、しばらく情熱的なことをして。


 今度は並んで湯船に浸かりました。横幅はあまりないので足が窮屈ですが、首を傾けて頭をくっつけ合うのも悪くありません。


「魔物は散々狩ってきたけど、戦争は同じじゃなかった。ろくなもんじゃなかったよ」


 湯気で湿った耳朶に、バルサさんの声がしっとりとして聞こえます。


 お風呂は不思議な空間です。

 情熱的な気分にもさせれば、こうしてしんみりとした気分にもさせます。


 そして、大きな決断をする気分にもさせるようです。


「そうですわね。きっと、人の命は本来、あんなにあっさりと失われていいものではないと思いますわ」


「うん、私もそう思う」


「アアウィオルは強くなりましたわ。でも、その剣を濁らせてはいけません」


「女王陛下は優しい人だし、きっと私たちと同じ気持ちだよ」


「はい。でも、騎士たちはどうでしょうか。平和主義を唱えれば剣を振るう先を見失うことになります。今代は良くても次代は、その次は?」


 わたくしはバルサさんの手に絡めた指に力を込めました。


「バルサさん。わたくしは学園島と貴族学院を卒業したら正式に家を継ぎますわ」


 わたくしがそう告げると、バルサさんは迷子の子供のように不安げに手を握り返してきます。


「わたくしは他国を武力で侵略しない世界を目指したい。その世界はきっとアアウィオルから始まります。だから、アアウィオルは決して他国へ侵略してはいけない。侵略で拡大した先には誰からも信頼される千年王国はあり得ません」


「派閥を作るのか?」


「いまある穏健派が頼りないのなら、そうするかもしれません」


 わたくしがそう言うと、バルサさんは握り合った手の中で忙しなく指を這わせます。


 わかりやすい子です。

 それもまた可愛く思えます。


 バルサさん。

 この半年で、あなただけが情を育んだわけではないのですよ。


 一緒に学び、一緒に笑い、一緒に寝て、一緒にお風呂に入って。

 そんな中でたまに性的な視線を向けられたら、友情が愛情に変化することもありますのよ。

 そして、今日、雨のようなシャワーの中で息も絶え絶えになりながら口づけを交わして、わたくしはもう決めてしまいましたの。


 わたくしは身を起こして、バルサさんに向かい合いました。


「バルサさん、わたくしの隣でわたくしの人生を支えてください」


「す、ステリーナ……」


 凛々しいバルサさんの顔が、へにょりと女の子の顔に変わりました。


「それは……親友……騎士として?」


「いいえ、伴侶としてです」


「私は女だよ。当主になるのなら子供はどうするのさ」


「当主である以上、世継ぎは必要です。こんな時に言うべきではありませんが、身籠る時だけ優秀な殿方と夜を共にさせてください」


「本当にいま言うことじゃないよ!」


「でも、この身も心も、そして生まれてくる子供もバルサさんのものです」


「ステリーナ……っ!」


 わたくしは泣き始めてしまったバルサさんの手を取って、言います。


「愛していますよ、バルサさん」


「ひぅ……わ、私も愛してましゅ。……こ、この命に懸けてステリーナとその夢を一生守り抜くと誓うよ!」


 真っ赤な顔でそう返す凛々しい女の子と、わたくしはすっかり上手くなってしまった口づけを交わしました。


 人生はわからないものです。


 キャサグメ様に一目惚れをして学園まで追いかけて。

 多くのことを学び、戦争の悲惨さを感じ。

 気づけば同性のバルサさんと婚約をしてしまいましたわ。


 とりあえず、人生で最大級に情熱的な気分になりましたわ。




 少し先の話。

 全てのことにケリがついたある日の晩。


 わたくしは屋敷でくつろぐ両親の下へ行きました。


「お父様、お母様。大切なお話がございます!」


 ……あれ?

 なんだか、前にもこんなことがあったような気がしますわね。


 ああ、思い出しましたわ。

 勘違いで、キャサグメ様との縁談を進めてほしいと申し出た時ですわね。

 ふふっ、奇しくもこれはそこから始まったお話の結果報告となるのですわね。


 お父様とお母様はキョトンとしましたが、すぐに居住まいを正してわたくしの話に耳を傾けてくださいましたわ。


「ふむ、聞こうか。改まってどうしたんだ?」


 お父様はそう言って、メロンソーダで喉を湿らせます。

 あれはリゾート村のお土産ですわね。


 学園島での生活で度胸がついたわたくしは、堂々と告げました。


「わたくし、婚約いたしましたの」


「ぶふぅ!」


 お父様がメロンソーダを噴き出しましたわ!

 いやですわ、汚らしい!


「ごほごほごーほっ! ちょ、ちょっと待て。婚約って勝手にそんな。そもそも相手は誰だ」


「いまからご紹介しますわ」


「えぇええ? ウチに来てるのか!?」


 昼ならばお父様が存じてないのもあり得ますが、時は夜です。夜ならば客人が来ていればお父様の耳にも入るというもの。

 そして、お父様の耳にはすでに入っています。というか、晩餐を共にしましたし、とても楽しげに会話を交わしていましたわ。


 わたくしは部屋のドアを開け、バルサさんを両親の前に連れて行きました。


「わたくしが愛した人。バルサさんです!」


「ばばばば、バルサ・ジラートでしゅ!」


「わたくしたち、結婚しますわ!」


 バルサさんがご挨拶し、わたくしが高らかに宣言すると、お父様はぶっ倒れましたわ。


「まあ! お父様ったらなんて失礼なんでしょう! 起きてくださいまし!」


 わたくしはお父様の頬を引っ叩いて、気付けをします。

 さあ、お父様、絶対に認めてもらいますわよ!


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