弘徽殿の奸計

第47話 弘徽殿の奸計

飛香舎ひぎょうしゃの東側にある弘徽殿こきでん

後宮七殿のひとつで、飛香舎と並んで身分の高い女御に与えられる。

飛香舎、つまり藤壺がヒロイン御用達なら、こちらは悪役御用達のイメージが強い。


今は左大臣の娘が女御として住んでいる。

正妃、つまりは皇后である中宮には徳子さとこがほぼ内定しているものの、その座を奪おうと一族郎党虎視眈々と狙っているところだ。



 * * *



「酷い言いがかりですわね!」


当然女房たちの仲も良くはない。普段はお上品に取り繕っているが、きっかけがあれば小競り合いはしょっちゅうだ。

今日はねこま御前と弘徽殿の女房がやり合っている現場に出くわした。


「ど、どうしたの?! 落ち着いて、ねこま御前」

「ああん、文車太夫様あ! 酷いんですのよお……」


毛を逆立てた猫そのものの勢いで女房に噛みついていたねこま御前だが、忠子の声を聞くと一転、目を潤ませて縋りついてきた。


「この方ったら『主上おかみは子年でいらっしゃるぅ。ネズミを食い殺す猫を飼うなど恐ろしいことざぁ~ます。これは藤原家や右大臣が帝から権力を奪い、政治をほしいままにせんとする悪意に違いないざぁ~ます』なんて中傷されましたの!」

「わたくし、ざぁ~ますなんて申してないざます!」

「ほら言いましたわ!」


(子供の喧嘩か)


「それどころか、私が密教のお寺に出入りしていたことも引き合いに出して、呪詛要員だなんておっしゃいますのよ! 疑わしい身振りをしているのを見た者がいるって! 酷い~!」


確かにねこま御前は猫っぽい動きをしていることがある。知らない人が見れば多少は怪しい。


騒ぎを聞きつけて人が集まり始めてしまった。物見高いわけではなく、これも情報収集の一環なのだから下手なことは言えない。

人垣の向こうに理知の長身が見えた。目が合うと素早く片手を掲げて親指から小指までを折り、もう一度小指を立てる。


(何? 小指って彼女? 六? ……あっ!)


「まっ……まあ……あの、あ、怪しい動きとは、このようなものではありませんでしたか?」


忠子はどさくさ紛れにゴロゴロにゃんにゃんとくっついていたねこま御前をひっぺがし、両腕を大きく動かして宙に文字を書いた。傍から見たら不思議な踊りを踊っているように見えたかもしれない。


「あなや、怖や! わたくしまで、呪われてしまうざます……」


女房は大袈裟に袖をかざして顔を背けたが、目端の利く者が見物人の中にいた。


「『子』って書いてたか?」

「ああ、子を六つだな」

「右手と左手、合わせて十二……小野おののたかむらか」


中には既に読み解いて、したり顔でニヤニヤしている公達もいる。


「主上は先帝の六番目の御子にございます。子の文字を六つ重ねれば『子子子子子子ねこのここねこ』と読めます。多産の猫にあやかって、御子をたくさん授かりますようにという願いなのですわ。決して、呪詛などではありません」


(高校の古典の資料集に載ってた! この時代の人なら知ってるはず!)


子の字を十二個連ねた『子子子子子子子子子子子子』を『猫の子仔猫、獅子の子仔獅子』と読ませる言葉遊びだ。

この問題を考えたのは嵯峨天皇、解いたのは小野篁と伝わっている。


どうせこういう状況で、見た者がいるというのはほぼ捏造だ。


(ならばこっちも、出まかせで言いくるめにかかるのみ!)


あちらもこれ以上は自分が不利と察してくれたようで、姿勢を直した。


「人騒がせな。これからは見えないところでおやり遊ばせ」

「はぁ~い、気をつけますね」


忠子の後ろに隠れているからねこま御前の表情は見えないが、相手方の鬼のような形相からテヘペロみたいな腹の立つ顔芸をしているのは察せられた。これ以上何か言わないうちに一礼して袖を引く。


「まいりましょう、ねこま御前。あっ……明式部あけのしきぶが探してらっしゃいましたよ!」

「ええっ? それでわざわざ? 文車太夫様が迎えに来てくださるなんて、感激~」

「そそそれでは、ごっ……ご機嫌よう! 失礼しまーす!」



 * * *



事の顛末は弘徽殿にも届いた。


「藤壺の女たちめ、忌々しいこと」


弘徽殿の女御は名を麻儀子という。左大臣が入内させるために他家から迎えた養女で、徳子さとこより半年ほど前に入内していた。

徳子が鷹臣に心を残して抵抗しているうちに割り込みで先を越されてしまったのだ。

華やかな容貌だが目尻に険があり、今は機嫌が悪いことも手伝って刺々しい印象だ。


「鷹臣様が徳子めを適当に相手していればこんなことにはならなかったのに、使えない男じゃ! まったく、亨子などにうつつを抜かしおって、家のことを考えればわらわを全面的に支援するべきであろうに」


帝にとって恋女房は徳子だから、やはり一番足繁く通うのは飛香舎だ。


思慮深い性質の帝はあからさまに贔屓などしていないし、他の妃たちを蔑ろにしているわけでもない。それどころか少なくとも表面上は公平に扱っている。


それでも、女であれば寵愛が自分にないのは分かるものだ。


自分より愛されている女がいる怒り、嫉妬。

家の権力を繋ぐ男児を期待されている重圧。

それだけでも妃たちの心には暗雲が立ち込めるのに、麻儀子は中宮の座まで狙っている。


徳子は憎んでも憎み切れない、目障りな邪魔者なのだ。


「文車太夫にねこま御前! 卑しい身分の者ばかり取り立てるなぞ、徳子は品性が低い。主上の妃として失格じゃ! お里が知れるというものぞ」

「麻儀子様、そのことで、お耳にいれておきたいことが……」


実家から付いてきた侍女、瑠璃子が麻儀子の耳に口を寄せてひそひそと囁く。


「ほほう? 徳子の乳姉妹ちきょうだいとな?」


赤く塗った唇が意地悪な笑みでますます華やいだ。


「はい。夫がそれらしい者を発見いたしまして……」

「それが徳子を追い落とすのに使えそうなのか?」

「ええ。この娘、実は……」




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平安もののお約束、ライバル女御による謀略編スタートです。

最強のライバルとなる麻儀子の登場です。悪役令嬢……と言うのもはばかられる性悪令嬢やけん、いなさそうで語感が強そうな名前にしました。


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