第30話 ねこま御前は百合の香り
(コマって今は犬の名前だけど、昭和初期ぐらいまでは猫の名前だったってそういうことだったんだ……)
小福はオス猫らしく甘えん坊で遊び好き、女房たちがオモチャや紐を見せると大喜びですっ飛んでくる。
しかし
体の大きなオス猫は女御の膝からはみ出しそうだ。
「徳子様、さすがに重くありませんこと?」
「そうですね、太りすぎです」
徳子にきっぱりと言われ、ねこま御前と
勝手に餌を与えないようおやつの量と当番が決められた。
時間が来れば当番の房に数名が集まり、手から直接おやつを食べる愛くるしい姿をキャッキャウフフと見守る。
華やかな光景であった。
スマホがある時代ならきっと写真を撮りまくられていた。
「猫と戯れたる女房たちの、いみじううつくしき(ぬこと遊んでる俺の推しメン尊みの権化!)」と、垣間見に来る殿方まで湧いて出る始末である。
そんな光景を忠子が書く。大好評である。猫ブログだ。
「いつの時代も猫って覇権コンテンツなんだなあ」
小福が来てからというもの、就寝前に忠子は机に向かって猫ブログをまとめ、ねこま御前はその傍らで猫を膝に乗せてブラッシングするのが習慣になった。
お猫様専用に作らせた柘植櫛で、肉球の彫刻がしてある。
馴染んだ道具で丁寧に毛並みを梳いてもらい、小福は満足そうに目を閉じてウトウトし始めた。
「覇権コンテンツとはどのような意味なのですか?」
「え? えーと、簡単に言えば凄く人気がある題材って意味です」
「まあっ、やはり
本格的に寝息を立て始めた猫をそっと寝床に移動させ、ねこま御前も膝を崩して寛ぐ。
「私、文車太夫様ってもっと……とっつきにくい方なんじゃないかと思ってましたの。御免なさいね」
「はへ? あ、あの、恐れながら何故にそのように思われたのかお伺いしても?」
一応そこそこに名前が売れてきているので、評判が気になるようになってしまった。
ついガクガクぶるぶる震えるマナーモードになり、口調がへろへろになってしまう。貴照の事件などで悪評が立ってしまったのだろうか。
(ランキングに入るようになって、ついエゴサしちゃう心理が分かるようになるとは思わなかったなあ)
「失礼をお許しくださいね? 才能で見出された女性は自信に満ち溢れて、気位の高い方だと思い込んでいましたのね。でもあなたは私の初歩的な質問にも気軽に答えてくださって」
(分かりにくいですよね! 私も来た頃つっかえましたもん!)
「常識でしょ? って面倒臭がるどころか親身になって色々教えてくださって、本当に助かっています」
深々と頭を下げるねこま御前に、忠子の方が慌ててしまう。
「そんな、自分がしたのと同じ苦労を人にはさせたくないのは当然じゃないですか!」
「それを徳が高いと申すのです。自然にそう思える方ってそれほど多くはないんですよ? 少なくともあなたが思っているほどは」
「そ、そうなんでしょうか……?」
「そうですよ。あなたがお優しいから、周りの方も自然と親切になっているだけで」
いつの間にか、ねこま御前の繊手が忠子の手を包み込んでいた。
顔を近づけ見つめる瞳が異様に熱っぽいのは気のせいではないと思う。
「私……っ、以前から文車太夫様の作品のファンだったんです……実際にお会いして、中の人まで好きになってしまいました」
(近い近い近い顔が近い! 平安時代、御簾文化だったはずなのにゼロ距離の方そこそこいませんかー?!)
「私の……祥子のこと、お友達にしてくださる?」
深情けが具現化したような声が、忠子に絡みつく。
「は、はははははいっ、な、祥子様さえよろしければ、喜んでっ!」
「やっと名前で呼んでいただけた……二人のときは祥子とお呼びくださいね? 祥子も、お名前でお呼びしたい。よろしいでしょう?」
「もも、もちろんです!」
「ああ、嬉しい……っ……」
感極まったため息とともに、温かくて湿った吐息が近づく。
何が起こったているか分からない。視界は軽く眉を寄せてうっとりと目を閉じたねこま御前のドアップで占められている。
(ひいいいいっ?)
全身がカチンコチンに固まる。
耳まで真っ赤になっているのが自分で分かる。
だが、体の芯は冷たく冷えていた。
唇と唇が触れるという、正にその瞬間。
理知の顔が浮かんだ。
「うひゃあああああっ! ストップストップ、駄目、です!」
「ああん、忠子様あ」
祥子の顔面に手をかけて押し返そうとする忠子と、忠子の肩を両手で掴んで引き寄せようとする祥子の腕力勝負が始める。
結局顎が上がってしまった祥子の方が先にスタミナ切れを起こし、渋々ながら手を離した。
「わ、わ、わ、私っ、キッ、キス、接吻は、その、この人のために、取っておきたいかなと、思ってる人がいて……!」
「まあ、口づけひとつしたことがないのですか? 女同士ならいいじゃないですか、祥子とお稽古いたしましょうよう」
「いえ、いえ、いいええええ間に合ってますお引き取りくださいぃいいい!」
自分でもどうやったか分からないが、祥子をポイッと部屋の外へ放り出すと文机と行李と片づいたとは言えまだまだあり余る書籍の類でバリケードを築いた。
(ど、どうして女だけの場所で貞操の危機に……?)
人はこういうとき、海に向かってバカヤローと叫びたくなるのだと実感したのだった。
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