第26話 幕間・訳あり貴公子のフリをして会いに行きます
黒い竜が一頭、曇天の空を飛んでいる。
墨絵のように静謐な光景だが、当人は調子っぱずれの鼻歌など口ずさんでいた。
竜だから表情はよく分からないが、雰囲気は大分にやけている。
「ふんふふ~ん、んっふふふ。やっとあの子に会えるんや。ああ~、そばかす眼鏡の巨乳ちゃん、待っとってや~」
今は竜本来の姿を取っている壬治が頬を染めてクネクネと身を捩ると、駄々漏れの煩悩で周囲の雲がハート型になった。神通力の無駄遣いである。
* * *
話は数刻前に遡る。
「いよっしゃあああ、保養地ロマンスいただきや!」
「何騒いでんのさ、
遠見の鏡には、都を離れ一人尼寺で過ごす忠子の姿が写っていた。
「ああ、いっつも華やかな宮廷におる子が山奥の鄙びたお寺さんで一人ぼっち。さぞかし寂しい想いをしとるやろなあ」
衣裳化粧に気を使わずに済む快適空間で普段忙しくてできない読書に没頭しており、充実した時間を過ごしているようにしか見えなかった。
思い切りだらけた至福の休日を男に邪魔されるのは、同性としてちょっと同情する。
「ねえ、壬治? あの手の子は一人の時間も大事にしてるんじゃない?」
「何言うとんねん、人恋しいに決まっとるやろ。そや、お前この前鬼が襲ってきたらどないしよって怯えとるんやないか言うてたやないか! 心細くて仕方ないやろ!」
壬治は行李をひっくり返し始めた。
「何する気」
「いつ行くか? 今やろ! あの子の無聊を慰めに行くに決まっとる。普通の男やったら会いにも行けん、文もすぐは届かへん。その点俺ならひとっ飛びや」
取って置きの一着を手にして早速身支度を始める。
「寂しい山寺、尼さん以外はだーれもおらんと思うとったところへ届けられる一通の文。アラどちら様からかしらと開いてみれば素敵なお歌!」
「和歌詠めたっけ?」
「漢詩やったらイケる」
「まあ、あの子だったら漢詩の素養もあるからギリセーフかな。いいや、続けて」
「このような山奥で素敵なお歌に出会えるなんて。寂しさが消えていったわ。こんな細やかなお心遣いをしてくださる方は、とても立派な方に違いないわっと好感度爆上がりしたところへ! 俺、参上!」
「そんなに上手く……」
呆れた嘲笑が途中で立ち消えた。
「どや? ええ男やろ」
直衣を着こなした壬治は、確かに水際立った美青年だった。
上等な着物を堅苦しすぎず着崩しすぎない丁度いい案配で着付け、深山に隠れ住む訳ありの貴公子にしか見えない。
元が神獣だから人身を取れば人心を惹きつける高貴な容姿になるのはある意味当然だし、自分の魅力をよく知っている壬治だから色彩のコーディネイトも完璧である。
割としょうもないところもある中身を知っていてさえ、呼吸を忘れる佇まいだった。
息を飲んだ順和を見て壬治は心から満足げに胸を張った。
「見惚れてんなや」
「見てくれだけはいいからね」
「だけは余計や、なんで一言多いねん」
「今更だろ。すぐ行くの?」
「おん、決まっとるやろ、善は急げや。留守は頼んだで~」
「あ、ちょっと!」
* * *
そんな顛末があり浮かれ切って飛んできたのである。
もうすぐ忠子のいる霊山に差し掛かろうというところで、壬治は大きく身をのけ反らせた。
「うおっ?!」
間一髪、竜とは言え当たれば無事では済まない大きさの岩が黒い鱗を掠めていった。
「何やねん!」
単発では済まず次弾が飛んでくる。明らかにこちらを狙った投石行為だし、よく見れば岩どころか火山弾だ。殺意が高い。
素早く身をくねらせて回避し、口から雷撃を吐いて火口と思しき付近へと叩き込む。
「ぐぉおおおおっ! やりよったなあ海産物!」
怒りの咆哮を上げ、竜と遜色ない巨体を持つ白い虎が駆け上がってきた。
「何や、アヤ付ける気か? 哺乳類は巣穴でおかんの乳首咥えとれ!」
「ワレこそ海に帰れや装飾過多トカゲ! お山はわしら獣の縄張りじゃあ!」
「上空通るくらいええやんか、かさ張るネコチャンの縄張りになんか興味あらへん、用があるんはこの先や!」
「そうは問屋が卸すかよ、竜に目と鼻の先素通りされちゃあ虎の面子が立たんけぇのお!」
カッと稲妻が切り裂く曇天を背景に、竜虎が睨み合う。
「やんのかコラ!」
「上等じゃコラ!」
竜も白虎も神獣である。何なら聖獣とも言われる強大な存在である。
二頭のどつき合いは嵐を呼び、近隣の天候は大荒れとなった。
「ひいっ、雷!」
「急に荒れてまいりましたわね。文車太夫様、本日は露天ではなく、内風呂をお使いくださいませ」
「ありがとうございます、お料理もおいしいです」
「ほほほ、精進料理しかご用意できませんが、腕によりをかけましたのよ」
有り難い聖獣二頭による有り難くない局地的暴風雨はくんずほぐれつ北上し、三日かかって太平洋上に抜けた。
その間に忠子は保養期間を終え、心身ともにリフレッシュして
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