第8話 幕間・垣間見はれっきとした人類の文化

灯台の火が弱々しく揺れて、油が残り少なくなったことを知らせる。


「あちゃ~……またギリギリまで夜更かししちゃった」


忠子の家では油を節約するために夜は早く寝るのが決まりだったが、徳子さとこからの援助を得てからというものつい夜遅くまで読書する日が続いてしまっている。


理知たかちかが大量に持ってきた宮廷作法のハウツー本、当世流行りのファッション誌にも目を通さなければならない。

前世ではお洒落にあまり興味がなかった忠子だが、淑女のモテしぐさは言うなれば当時を知る資料だし、ファッション誌は買おうと思えば馬鹿高い服飾資料集。興味津々だから隅々まで読めるが、時間がいくらあっても足りない。


寝る前に一日を共にした眼鏡を外し、丁寧に拭くのも日課だ。これのお陰で随分と疲れ目から解放された。視界がクリアって素晴らしい。


「これ……竜なんだよね」


初めは唐草文様だと思っていたのだが、よくよく観察してみれば間違いなく竜だ。目の位置に嵌め込まれている青みがかった灰色のスワロフスキー的なものを覗き込むとキラキラした輝きの向こうに何かが見える気がするのだが、複雑な光の屈折に阻まれてよく分からない。


螺鈿の箱に元通りしまい、枕元に置いて忠子は眠りに就いた。



 * * *



「はああ! 目が合うた! 今間違いなく目が合うたで!」

壬治みはる、まーた人間の女の子覗いてんの?」

「やかましいわ順和すな! これは覗きやない、垣間見や。れっきとした人類の文化やで」

「はいはい、今度はどんな女の子?」


不思議な空間だった。


忠子より二つぐらい年上に見える青年が纏っているのは一般的な貴公子の装束だが、室内の様子は日本と言うより唐や宋、もっと言うなら古代中国の建物を新しい技術で拵えた感じだ。


雲を象った縁のついた鏡の中に、眼鏡の手入れをしている忠子が写っている。


「はあ~……可愛え……最高や」

「そう? たいしたことないじゃん」


うふうふと鼻の下を伸ばして見入る鏡を横から覗き込んでみるが、写っているのはそばかすだらけの平凡な少女だ。面食いの壬治らしくない。


「性格がええねん。俺が黄昏に紛れてこっそり贈った眼鏡、朝から晩まで大事に使て寝る前は優しーくお手入れしてくれはるんやで」

「お姫様からの支度品だと思うから大事にしてる節があるけど?」

「一夜にして資産家になってもむやみに贅沢したり、姫君の権力をかさに威張り散らすような品のないところもあらへん。見識のあるご両親に大切に育てられたんやろなあ」

「ただお金の使い道を知らないようにも見え……あっ」


褥に入るために上着を脱ぎ、体の線が露わになると順和は大いに納得した。


全体的には小柄で細身だが、不釣り合いなほど豊かな乳房がぽいんぽいんとぶら下がっている。若いだけに張りがあり、形も真ん丸。

本人の素朴な雰囲気もあって男を惑わすような色香に欠けても、あどけなさと性的魅力がいい具合でブレンドされていて独特の雰囲気があり、好きな人にはたまらないタイプだ。


「なるほどね。隠れ巨乳なんて好みど真ん中じゃん」

「人をおっぱい星人みたいに言うなや」

「実際そうだろ。竜の一族ともあろうものが、三度の飯の次に巨乳が好きだなんて情けない」


本当に嘆いてはおらず面白がっているのは揶揄うような口調で分かる。


順和を青みがかった灰色の目で睨み返す壬治の姿はほぼ人間と姿は変わらないが、頭には鹿に似た二本の角が生え、耳の位置からは半分透き通った羽のような鰓が伸びていた。

鱗の色はくすんだ茶がかった銀色で、着物も合わせて薄い灰色を選んでいる。なおかつ顔立ちも天竺に近い大陸風で彫りの深いイケメンであった。


順和の方はあまり人には近くなく、胸から下は一枚一枚が黒真珠のような鱗に覆われた竜そのものだし服らしいものは何も身につけていない。


竜族の気性は激しい。よく笑い、よく泣き、よく恋をする。異種族との間にもよく子供を作る。それが竜族の本能だから、好色スケベなのは仕方がない。

褥に行儀よく収まり、小さく上下する立派な双丘をエアモミモミする手つきには流石に呆れたが。


「はあ……やらかいんやろなあ……お名前なんて言うんやろなあ。あやかしは黄昏時に喋っとんの聞くか本人に教えてもらうかせん限り人間の名前を知ることができんなんて縛りつけたんどこのどいつや。天帝か! 天帝やったら仕方あらへん!」


どちらかの条件を満たさなければ人の名前には不自然にノイズが入り、妖の耳ではどうしても聞き取れないのだ。


「でもこれももうしばらくの辛抱。あの眼鏡に込めた見鬼の力があの子に宿れば俺が見えるようになる。そしたら夜這いして、お名前教えてもらうんや」

「順序おかしくない?」

「恋は稲妻やねん。順和も優良物件見つけたらシュッと行ってシャッと掻っ攫って来んと泥棒猫に横取りされるで」

「月公子から見れば、お前が泥棒猫じゃない?」


月公子とは月のような貴公子ということで順和が理知に付けたあだ名だ。


「あいつ、ほんま邪魔やねん」


すうっと目を細めると、泡沫のような人の寿命など何とも思わない数千年を生きる神獣の相が顔を覗かせる。

壬治は普段はチャラいがその実気性は誰より激しく、同じ竜族である順和でも時折ゾクゾクしてしまうほどの凄味があった。


「せやけど眼鏡にあそこまで反応するんは見どころがある……同じ女を愛しさえせんかったら、ええ友になれたかもしれん」


顔はシリアスだが言ってることは大分しょうもない。


「ま、ほどほどにしなよ」


一応は自他ともに認める一番親しい友だ。おざなりだが忠告はして、黒光りする竜身をくねらせて背を向けた。



館の外は光も届かない深海だ。雪の降る海の水に全身を洗われ、しょんぼりと俯いた視界の先ではなだらかな曲線の上に可憐な桜色が二つ、ツンと勝気に上を向いて咲いていた。


「何だよ、壬治の馬鹿」


順和は自分の洗濯まな板ド貧乳から目を逸らし、恨めし気に呟いたのだった。

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