異世界ローカル路線バス

横浜あおば

第一期中期経営計画

異01系統 王都西門〜ウィリアニス中央市場〜王立魔法学院前〜市民広場

『次はウィリアニス中央市場。採れたて新鮮野菜を買うならここが一番、トリナーレ青果店へはこちらが便利です。次、停まります。バスが完全に停車するまで、席を立たないで下さい』


 石畳の段差でガタガタと揺れる車内に自動音声が流れる。

 降車ボタンが押されたので、私はそれに続けてアナウンスをした。


「次停まります。危ないですので停まってから席をお立ち下さい」


 道の端を歩いている人をハンドルを軽く右に切って躱し、それからバス停の前にぴたりと停める。


「ご乗車ありがとうございました。ウィリアニス中央市場です」


 バス停に待っている客もいたので前と後ろの扉を同時に開けた。

 買い物に行くのであろう主婦が降りるのをミラー越しに見つつ、よぼよぼとした足取りで乗り込んでくるお婆さんに言う。


「六十五歳以上の方の運賃は110ゴールドになります。お金はこちらにお入れください」


 素早く指を動かして、シルバー割引料金の設定に変更。

 運賃箱の硬貨投入口を手のひらで示すと、お婆さんはゆっくりとした動作で財布からコインを取り出して、一枚ずつチャリンチャリンと投入した。


『ピンポーン』


 110ゴールドが機械を通過し、精算完了の電子音が鳴る。


「はい、これで大丈夫ですよ」

「ありがとうねぇ……」


 朝の通学時間帯とあって、車内はやや混雑していた。パッと見た限り、席は全て埋まってしまっている。

 私はマイクで乗客に呼びかける。


「車内が少し混み合って参りました。席は譲り合ってご利用ください」


 お婆さんが優先席の前で立ち止まる。

 優先席には四人座れるのだが、そのうちの一つには金髪の男子学生が座っていて。だからその子が譲ってくれると願ったのだけれど。

 彼は明らかに目の前のお婆さんを認識していながら、寝たふりをして全く動こうとしない。


「発車します。お掴まりください」


 仕方がないのでバスを発進させる。

 慎重にアクセルを踏み、極力揺れないように速度を上げていく。

 だがアスファルトの道路と違って、石畳の道はどうしても段差が多くガタガタと揺れてしまう。


「……あの、そこ優先席ですよね? おばあちゃんに譲ってあげたらどうですか?」


 しばらくして、心優しいピンク髪の女子学生が優先席に居座る男子学生にそう声を掛けた。同じ制服を着ているが、男子の方が先輩なのだろう。少々怯えた様子だ。


「ああ? テメェ、喧嘩売ってんのか? ここは俺様が先に座ったんだ。譲る理由は無ぇ」

「でも、優先席はお年寄りとか妊婦さんとか、足の不自由な人のための席ですよ……?」

「知るかよ、んなもん! ごちゃごちゃ言ってっと、女だろうが容赦なく殴るぜ?」

「ひぃぃっ……!」


 金髪男子の荒らげた声が、車内に響き渡る。


『次はワドクリフ三街区。回復魔法でどんな怪我も一発治療、ウテオラ診療所はこちらでお降りください』


 気まずい静寂の中、次の停留所を告げる自動音声が流れる。


 どうしよう、一旦バス停めた方がいいかな?

 私はハンドルを握りながら、対応を考える。


 でも魔法も剣も使えない私が仲裁したところで、返り討ちにされるだけだろうし……。

 そんな風に悩んでいると、後ろの方に座っていた黒髪の男子学生が勢いよく立ち上がった。


「おい、そこの君」

「ああ? 今度は何だ」


 走行中は座ってて! と心の中で叫んだが、黒髪の彼が放つオーラが凄かったので口には出せない。


 ずかずかと優先席に近づくと、黒髪男子は口を開いた。


「彼女の言う通り、ここは優先席だ。君が座る場所じゃない」

「チッ、うっせぇな! この俺様に逆らうつもりか?」


 今にも暴力事件に発展しそうな、一触即発の状況。


 いよいよヤバい。

 ちょうど次のバス停が見えてきたので、ブレーキを踏んで減速する。

 降りる人も乗る人もいないみたいだけど、とりあえず停まろう。


「逆らうだと? まさか君は、このバスの中で自分が一番偉いとでも思っているのか?」

「当然! 俺様はあのオーステング家の長男だぞ! 俺様より偉い奴なんている訳が無ぇ」


 バスを停め、私は運転席を立った。


 乗客のいざこざに対応するのも、運転手の大事な役目。他のお客さんの迷惑になるような行動には、毅然と注意しないと……。


 震える手を握りしめ、ぎゅっと力を入れる。

 覚悟を決めたところで、黒髪男子がいきなり私をびしっと指差した。


 何事っ!?


 私は思わず、その場で固まってしまう。


「ここにいるだろう。バスの中で一番偉いのはこのお方だ」

「はぁ? このいかにも気弱そうな女が偉いだと? ただの下級市民じゃねぇか」


 金髪男子にめちゃくちゃ睨みつけられる。

 怖い怖い……!


「郷に入っては郷に従え。バスに乗ったら運転手こそが絶対のルールだ。これだけの魔導具を操る運転手の逆鱗に触れれば、君の身体など一瞬で灰になるだろう」


 黒髪くんの目が赤く光る。

 その瞬間、金髪の男子学生は慌てて優先席から立ち上がった。そしてお婆さんに言う。


「どうぞどうぞ、座ってくださいっ」

「あらいいのかい? ありがとうねぇ……」


 どうやら丸く収まったっぽい?


「すみません、ご協力ありがとうございます」

「いえ。僕は大したことはしていませんよ」


 黒髪男子はさらりと告げて、元いた席に戻っていく。

 それからちらりと金髪くんを見ると、彼はびくっと身体を震わせた。


 私を最強の魔導士とたった一言で信じ込ませるなんて。あのオーラ、もしかして現代に転生した千年前の魔王なのでは?


「お待たせいたしました、発車します」


 ともかく揉め事は解決した。急いで運転席に座り、バスを動かす。


『次は王立魔法学院前。バスのすぐ前や後ろの横断は非常に危険です。バスの発車後、左右をよく見て横断しましょう。次、停まります。バスが完全に停車するまで、席を立たないで下さい』


 次のバス停に到着すると、金髪の男子学生は逃げるように、黒髪くんは堂々と前を向いて、ピンク髪の少女はホッとした様子で、順番にバスを降りていった。



 私の名前は沢山さわやまはこび。埼京交通バスの西新井営業所管内担当の運転手である。いや、だったと言う方が正しいかもしれない。なぜなら。


 ある日突然、私は営業所ごと異世界に飛ばされてしまったのだ。

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