世界の星空
「ねぇ、それはさっきの魔女様と味が違うの?」
「だいたいは同じだと思うけど食べてみるかい?」
「おい、アイネよ」
「魔女様本体よりよっぽど薄いから大丈夫でしょう」
アイネお兄さんはふわふわと膨らみだす影のひとかけらをつまんでちぎり取り、僕の口の中に入れた。さっきのはマシュマロみたいにちょっとは歯ごたえがあったけど、これはふわふわしていて全然口の中に残らない。味付きの空気みたいだ。
「おいしくないや」
「お前も真に恐れを知らぬやつだの」
「でも気持ち悪くはならないかも」
「濃さが違うからじゃないかな。こうやって風に混ぜて増やして捨てるんだよ。固まってるとよくないからね」
「捨ててるの?」
「そう。この黒いのは月の煤だ。魔女様が百年働いて溜まった澱がこの黒い影なんだ。この領域の魔女様の本来のお姿はあの丸い光なんだけど、光があれば、だんだん影が貯まっていくんだよ。だから百年に一度メンテナンスのついでにまとめて捨てるのさ。僕らがご挨拶に来るついでに」
影って貯まるものなの?
貯めたこと無いけど今度試してみようかな。うーん? どうやったら貯まるんだろう。
「こやつ、また碌でもないことを考えておるな」
とうとう鞄を逆さまにしてバサバサと振り始めたアイネお兄さんと目が合った。
「それ全部捨てちゃうの?」
「この領域の魔女様を他の領域に持ち出すことはできないからね。それに魔女様を食べるなんて誰も考えもしない禁忌なんだよ、エグザプト王国以外は」
「エグザプト王国以外?」
「そう。エグザプト王国の生誕祭に供される特別な食べ物っていうのがこれ、いわゆる魔女様の肉」
「肉って感じは全然しないよ」
どっちかっていうと魔女様の、うーん、おならとかそういう感じ?
そう思ったら地面がちょっと揺れた。
「ラヴィ君、見えるかな。ここは丁度メルシア山の上なんだ」
顔を左手側に向ければ、たしかに黒い影がとんがっていた。
「1番高い山?」
「そう。最近は毎年ここで影を捨てる。この山を越えると風の流れが反転するから、うっかりすると戻るのが大回りになってしまう。だからここで影を捨てて気球で領域港まで戻るんだ。でもねぇ」
アイネお兄さんは月の下を見下ろした。僕もなんとかひっくり返ると、なんだか光が渦巻いてバチバチと弾けていた。綺麗。なんだろう。
「エグザプト王国民だよ。ここから魔女の影が捨てられるのを知って、毎回下でスタンバって取り合ってるんだよ」
「美味しくないのに?」
「本当にねぇ。じゃあ行こうか。お願いします」
アイネお兄さんがそう呟くとヨグフラウがふわりと闇色の羽を広げ、左右の足に僕とアイネお兄さんを挟んでゆっくりと飛び立つ。何もない足元にはたくさんの光が集まっていて、まるで光の川のようになっていた。上を見上げると、やっぱり星々がきらきらと川のようによりあつまっていて、まるで上下で川に挟まれたような不思議な気分。
「ねぇ、もう写真とっていい?」
「うーん、そうだね、ちょっとなら」
慌ててスマホを構えると、パチリと新しい星が瞬いた。……あとで確認したら、焦点があってなくて真っ暗だったけど。
それからこの間僕が逃げ出したのと同じように海岸線をゆっくりと滑空して、アガーティではなく領域港の近くに降り立つ。領域港の周りには簡単な宿舎しかない。
ここで一泊してアイネお兄さんは他の領域に向かうらしい。だからここでお別れだ。
「本当にありがとう。気球だとメルシア山から10日くらいかかっちゃうんだよね。その間目撃されたくないしさ。助かったよ」
「アイネお兄さんはもう行っちゃうの?」
「用事も済んだからね。ラヴィ君も『渡り鳥と不均衡』に戻るんだろう?」
「えっどうして」
ハァ、とカプト様が大きなため息をついた。
アイネお兄さんは混乱したように僕を見る。
なんで? あたりまえじゃん。
「僕まだエグザプトの料理食べてないんです! アガーディは普通だったし!」
「魔女様はもう食べたでしょ? あれがここで一番珍しいと思うよ。何せ百年に一度の魔女様の影だし」
「ラヴィよ、やはりアレなのか……」
「アレ?」
「捕まったところの食事のソースが美味かったらしい……」
そう。なんだかわからないけどクリーミーですごく美味しかった!
多分肉料理に合いそうなソース。調理場にお肉はなかったけど。
「編集長も好きにしろと言ってましたので」
「物好きだねぇ」
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