割れた急須

 真夜中のラジオの公共電波に乗せていた洗脳プログラムは、フォーラの調査の結果、ラジオスタジオに決まった時間だけくるスタッフが持ち込んだものだという。彼は金によって雇われ、洗脳プログラムの入ったディスクを放送局に持ち込んだ。誰がそれを指示したのかは、末端の彼にはわからなかったという。

 事件のあった次の日、学校は休校になっていた。内山牧師の家の周りにいた誰もが、自分がどうしてあんな場所に、危険なものを持って集まっていたのか、わからなかった。情報を整理するための休校なのだろう。ある意味自然な反応だった。

 なんの前触れもなく学校が休校になり、バイト先の店も休みになったため、輝は朝から暇を持て余していた。すると、その日の昼に、母のところに旧来の友人が訪れた。その人のことは輝も知っていた。母の幼馴染で、元々は糸魚川いといがわにいたが、結婚して上越に行った。時折暇を見ては土産の笹団子を持って母に会いに来る。今日は町の人の混乱が収まらないためか、周りをキョロキョロと見ながら輝の家に入ってきた。

「何かあったの、芳江よしえ?」

 芳江とは輝の母の名だ。

 母は、幼馴染を居間まで案内して、ことのあらましを話した。

 そこで輝が驚いたのは、シリンや戻すものの話まで、二人の中で共通の話題として話されていたことだ。

世那せなおばさん」

 輝は、二人の話が途切れると、母の親友の名を呼んだ。世那は、長く伸ばした癖のある黒髪を後ろへと払った。

「輝くん、今、翡翠のシリンとあなたの話をしていたの」

 声をかけただけなのに、突然そのようなことを言い出す世那に、輝は口をあんぐりとあけた。

「翡翠?」

 問いかけると、世那は笑った。

「糸魚川というと、翡翠でしょ」

「翡翠のシリンなんて、いるんですか?」

 輝が問いかけながら、お茶のおかわりを置いていく。輝がいつも入れる緑茶とは違い、なんだか今日のお茶は翡翠の色をしている気がする。翡翠のシリンの話題など、しているからだろうか。

「翡翠のシリンは魔除けのシリン。私は、ずっとそれを探しているのよ。もしかしたら、あなたなら探せるかもしれないわね、輝くん」

 世那が話し終えると、輝もお茶を配り終えた。低温でいれる繊細なお茶は、すぐに口に運べるほどに冷めていた。

「世那おばさんは、どうして翡翠のシリンを探しているんですか?」

 輝は再び問いかけた。すると、世那は少し寂しそうに、ほほえんだ。

「私の親友を、助けたいからよ。まあ、これは、私が自分勝手にそう思っているだけだから、当の本人は大して気にしていないのかもしれないわね。でも、私には気になって」

 そう言って、世那はチラリと芳江を見た。

「輝くんにはまだ言っていないんだよね」

 芳江は、無言で頷いた。

「言う勇気がないなら、いつでも私を呼ぶといいわ。私たちは二人で一人。何も恥じることはないんだから」

「でも世那、私はまだ賛成しきれてなくて。町子ちゃんのおじい様も少し強引だし」

 すると、世那は芳江の額に自分の額を重ねた。

「私はいいと思うな。輝くんの人生観、壊しちゃった方がむしろ」

 世那は、そう囁くと、こちらを不審そうに見ている輝に向き直った。

 そして、真剣な面持ちで、輝にこう告げた。

「輝くん、あなた、来週から英国で暮らしなさい」

 世那が突然おかしなことを言うので、輝は自分の持っていた急須を取り落として、割ってしまった。急いで片付ける。世那と母はそれを手伝ってくれたが、輝に動揺している様子はなかった。

「急に何言い出すんだよ」

 片付け終えて、割れた急須を外に持っていって資源物置き場に置いてくると、輝は不機嫌になった。英国に行くとはどう言うことなのだろう、突拍子もないことを言う。先ほど割ったのは家に一つしかない来客用の高い急須だ。輝は、その急須の取手を握り、中に入っていたお湯を捨てた。いい香りの茶葉を入れて、冷ましてあったお湯を注ぐ。

「あら、変ねえ」

 世那が、頬杖をついてニヤニヤしながら輝を見る。

 母もニコニコしている。

 おかしなこともあるものだ。そう思って、輝は急須の中身をゆっくりと湯呑みに注ぎ分けた。

「今までもこういうことはあったの、芳江?」

 世那が芳江に問いかけると、母は輝をチラリと見た。

「たまにあったわ。あの急須も、もう五回は割ってる。小さい頃からあるものだからね。輝がお茶を淹れ始めたのは十歳くらいからだから」

 母の話を聞いて、輝はハッとした。確かに、この急須を割った記憶は何度もある。今回が初めてではないはずだ。

「あの急須は一点もので、二度は手に入らないのよ、輝」

 輝は、自分の手が震えるのを感じた。身体中から不自然な何かが湧き上がってきて支配を始める。そんなことがあっていいはずはない。壊れたものは二度と元には戻らない。

 戻らないはずだ。

 だが、戻った。

「戻すもの、その力の片鱗」

 テーブルに輝が置いていったお茶を啜りながら、母が呟いた。

「輝、あなた、やっぱりこうなるまで信じきれていなかったのね」

 輝は、震えながら自分の手を見た。戻すものは、壊れたものを元に戻す力があるのか。今までそれを知らずに、それを当たり前だと思って使ってきていたのか。だったら、その不自然さに、なぜ今まで気がつかなかったのだろう。

 戸惑う輝に、真剣な顔をした母が、こう告げた。

「輝、地球のシリンに会いなさい」

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