第2話 好意的な魔物

 スラくんの可愛さに悶えて癒されながら歩くこと数時間。俺が草原に来た時には真上にあった太陽みたいなやつが、沈みかけているから結構な時間が経ったのだと思う。

 でも俺は未だに、全く変わらない景色の中を歩いていた。


「スラくん、どうやったら人のいる場所に行けるのか知らない?」


 何度目か分からない質問を繰り返しつつも、足を止めることはしない。無理をしているのではなく、何故かあまり疲れないのだ。スラくんと出会ってから急に体が元気になって、喉が乾くこともお腹が空くこともなくなった。


「スラくんが俺を助けてくれてるのか?」


 その言葉にぷるんぷるんっと震えて肯定の意を示してくれる。スライムがそんなことできるのかって疑問だけど、実際に俺は疲れてないしスラくんは肯定してるし、多分俺はスラくんのお陰で生き延びられてるのだと思う。

 この世界のスライムは癒しの特殊効果でも持ってるのかもしれない。


「この草原ってどこまで続いてるんだろ。景色が変わらなすぎてループしてるんじゃないかと不安になってくるな」


 突然こんな場所に飛ばされたことが既にあり得ないことなんだから、ループしてたって不思議じゃない。もう何が起きても驚かない自信がある。



 ……待って、今最悪の事態に気づいた。俺は草原がいつか終わると思ってたんだ。そして終わったら整備された街道があって、人間が住んでる場所に行けると思ってた。でもさ、この世界に人間はいないって可能性は……ないのか?


 え、もしそうだったらどうすれば良い? 人間と会えればとりあえず安心だし、地球に戻る方法も見つかるかもって思ってたのに。


「す、スラくん……あのさ、この世界に人間って、存在してる?」


 俺は恐怖で声が震えるのを自覚しつつも、なんとかそう問いかけた。それに対してスラくんは……無反応だ。


「ちょっとスラくん? お願いだから人間がいるって言って! いないなんてことないよな?」


 だ、大丈夫だ。まだいないって言われたわけじゃない。無反応ってことは、スラくんでは分からないってことかもしれない。それなら可能性はある。大丈夫、大丈夫なはず。


 俺はそう自分に言い聞かせて、なんとか気持ちを立て直した。まだ絶望するのは早い。歩いて進める距離なんてたかが知れてるんだし。



 それからさらに数時間さらに歩みを進めた。辺りが真っ暗になっても、歩みを止めるのが怖くてひたすら歩き続けた。しかし大きめの岩に躓いて転んだところで、保っていた気力の糸がぷつんと切れる。


「はぁ……体は疲れなくても精神的に疲れた。帰りたい、日本に帰りたい。なんで俺はこんなところにいるんだ」


 それに眠くなってきた。疲れは蓄積しなくても、眠気はやってくるらしい。俺はとにかくこの現状から逃げる術が欲しくて、寝て起きたら日本に戻るだろうという楽観的な考えを意図的に自分に信じ込ませて、その場に横になった。

 そしてスラくんをぎゅっと抱きしめたまま瞳を閉じていると、気づいたら眠りに落ちていた。



 ――眩しい光によって夢の世界から現実に戻ってきた俺は、辺りを見回して深いため息を吐いた。


「昨日の草原だ……」


 やっぱりこれは夢じゃないんだ。腕の中にはスラくんが居てくれているのが唯一の救いだけど、これからどうすれば良いのか分からずとにかく途方に暮れる。


「また今日も歩くしかないか……いつまで歩いたら良いんだろう。この世界にこの草原以外があるのか、誰かそこだけでも良いから教えてほしい」


 地面に胡座をかいて座り項垂れていると、腕の中のスラくんがみょんっと腕を伸ばして頬を突いてくれる。


「うぅ……スラくん、お前だけが俺の味方だよ」


 俺が居なくなって日本ではどうなってるんだろうか。もし時間の流れが同じなら大騒ぎだよな。あのライブの途中で俺が突然消えてここに飛ばされたのだとしたら……神隠しとか、宇宙人に連れ去られたとか、そんなニュースが連日報道されるのだろう。

 理玖と幸矢には心配かけてるだろうな……マネージャーにも友達にも家族にも。皆が心配してくれてるはずだ。


 ――どうにかして帰らないと。俺が諦めたらダメだ。


 俺は気合を入れ直してその場に立ち上がった。そして昨日は暗くてよく見えなかったので周囲の確認からと思い、ぐるりと辺りを見回してみると……斜め後ろに、額に立派なツノを付けた馬? みたいなやつがいた。


 その動物は俺に狙いを定めているのかじっと見つめてくる。


「ま、まさか、攻撃とかしてこないよな……?」


 俺にはマイクぐらいしか武器がない。というか剣とかもしあったとしても使えるわけないし、そもそも戦いの経験なんてゼロだ。


「ヒィッヒィーンッ!」


 視線を合わせながら少しずつ後退りをしていたら、そいつは突然大きな声で鳴いて前脚を宙に浮かせた。そして地面を強く蹴ると俺に向かって突進してくる。


「ちょっ、ちょっと待て! マジでやめてくれ!!」


 連日の精神的な疲れと寝起きだということ、それに人生で初めて動物に襲われているという焦りで全く足が動かない。

 俺は辛うじてスラくんだけは守ろうと腕の中にしっかりと抱き込み、その場にしゃがみ込んだ。そして頭を守ろうと手で押さえて衝撃が来るのを待っていると……


 ……突然その動物が地面に脚を強くめり込ませ、凄い音をさせながら俺の目の前でピタリと止まった。


 何が起きたんだ……? あんなに殺気を込めた瞳で俺に向かってきてた癖に、途中で急に減速した。しかも脚を見てみると、急に減速したせいで少し怪我をしているようだ。自分で怪我をしてまで俺にぶつからないように減速したように見えるんだけど……


「ヒヒンッ、ヒヒーンッ」


 俺が顔を上げて立ち上がると、その動物は俺に顔を擦り付けてきた。えっと……なんでこんな急に好かれたんだ? 命拾いしたのには助かったけど、不思議すぎる。

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