第99話 私が言いたいから言っただけなの
所長室の応接ソファには一萬田と並んで黄瀬が、向かいにはコランジョが座っている。壁際に赤星が控えているのは黄瀬たっての頼みによるものだ。そして赤星がいれば当然のようにシロノも一緒で、それについては誰も何も言えない。
「なんとか返事を頂きたいのだが……」
結局、黄瀬は決めきれずいた。しかしコランジョは手ぶらで帰るわけにはいかず、良い返事でも悪い返事でも構わないので何らかの返事が必要だった。
迷いに迷っている黄瀬は困っている。
戻るに戻れないコランジョは困っている。
お客が帰らないと営業所の皆も困っている。
アニメを見る許可が出ない魔女も困っている。
皆が皆困っている。
「それは分かるっすけど……」
「王は確かに我が儘で傲慢で自分勝手で威張って怒りっぽい」
「それ、良いとこないっすね」
「しかし本当はとても優しい御方で、昔は優しすぎるぐらいに優しかった。他人に尊大な態度を取るようになったのは、幾つもの裏切りや苦労を味わったからだ。しかし貴女の事を口にする時、王の顔は昔の優しさを浮かべている」
「…………」
「これは家臣としてではなく、あいつの幼馴染みとして頼む。どうかあいつの側で支えてやってくれないか。貴女であれば、あいつの心を解してやれるはず」
コランジョはテーブルに手をつき頭を下げた。しばらく動かない。
空調の音が耳につき、アナログ時計の長針が時を刻む音を響かせる。ブラインドが降ろされた窓は強い日射しがあり、そこに鳥の影がよぎっていく。
そんな状況の中で黄瀬は困った様子だ。
何かを言いかけるが、それは声にならない声となって呑み込むばかり。煮え切らない態度である。しかしそういう性格なので仕方がない。主役より脇役に徹したがり、目立つよりは隅で応援し、率先して何かをするより指示される方が好きなのだ。
「もうっ、ごちゃごちゃ煩いわね。黄瀬が困ってるでしょ」
突然シロノが言いだした。
怒っているような感じだが、そうではなく一生懸命な感じだ。シロノなりに黄瀬に対し仲間意識を感じているのだろう。もちろん面白いアニメを教えてくれたり、美味しいお菓子を用意してくれた事も大きく影響しているに違いないが。
「あの人間に伝えるといいわ。欲しければ自分で取りに来いっ、て」
「これシロノ……」
「源一郎は黙ってなさい」
有無を言わせない口調で一蹴され赤星は首を竦めた。
「いやしかし、お嬢さん」
コランジョが反論するのは、シロノの正体を知らないからだ。ギルウス王は知っているが、今回の件とは関係ないので告げていない。だからシロノの事を、単なる亜人種の少女ぐらいに思っている。
「我が王が来られないからこそ、私が来ているのだ」
「ごちゃごちゃ煩いわね。私が言ってるの、私の言う通りになさい!」
「失礼だが、そのような事は――」
気分を害した様子のコランジョであったが、シロノが腕組みして一瞥すると急に額に汗を浮かべ黙り込んだ。
目の前にいる存在が少女の姿をした何かと察し恐怖している。
「これシロノ」
赤星が軽く小突いて叱る。
「お客さんに失礼だよ」
「でも、だって!」
「よしよし分かっている――しかし失礼ながら言わせて頂きます」
シロノを宥めた赤星はコランジョに対し一礼して続けた。
「私は黄瀬から相談を受けたわけですが。彼女は本当に真剣に考えて悩んでいます。そして彼女はギルウス王陛下に対する好意は間違いなく持っていますよ。ただ一世一代の大きな出来事に戸惑ってしまい、どうして良いのか自分でも分からないのです」
その言葉を聞いている黄瀬は肯き、赤面し、首を竦めた。
「だから最後の一押しがいるんです、ギルウス王という存在が」
「……言いたい事は分かる。だが、王はそう簡単には動けない身だ。その為に王都を長い間留守にするわけにはいかんのだ」
「なら何日なら動けます?」
笑顔で問いかける赤星にコランジョは困惑していた。
コランジョが営業所を発って、営業所は注意態勢が解除された。皆は日常生活に戻って作業を開始し、魔女たちはアニメ視聴――をする前に薬品づくりをせねばならず恨み節だ。
所長室で赤星は一萬田と今後の話をしている。
「余計な口出しをして申し訳ありませんでした。結局のところ問題を先送りしただけですし……」
「いや、あの場ではあれが正解だよ。他にどうしようもない」
周りが言っても事態が動かぬのであれば、もはや当事者同士で話をつけるしかないのだ。どんな形であれ、そこで決着がつく。
「何にせよ、あと数日のことだ」
一萬田は窓辺に行ってブラインドの一部を指で押し下げた。平原が広がる雄大な景色が見えて、その中に軽く土埃をあげ遠ざかる集団が見える。
営業所のライトバンや、阿部の大排気量バイクだ。
ギルウス王が王都から営業所まで移動すると、片道でも十日以上はかかる。しかも途中にある集落を素通りは出来ず、各所で歓待の宴が儲けられるため、さらに日数を要する。
そのための車両だ。
王都までの往復で三日程度という実績があるが、それは慎重に移動してだ。チェントロの旗を押し立てての強行軍であれば、旅程は半分以上に縮められるだろう。向こうでの調整や準備はあるだろうが、早ければギルウス王は数日で来るに違いない。
「この機会に王都の再確認と調査が出来る。悪い話じゃないさ」
「ロセウさんに追加のマスクと手袋、ガーゼも贈れましたし良かったですよ」
「そういう伝手は大事だね。しかし、黄瀬君は本当に乗り気なのかね」
一萬田はやや心配そうな顔だ。
世話焼き的心情で応援したい気持ちと、失意で帰らせる事で生じるデメリットへの心配、黄瀬が望まぬ事にならぬようにという配慮など、いろいろ混在した様子だ。
「本人は乗り気だと思います。もちろん私は独身ですから、まあ、そういった恋愛事はからっきしですけど……」
「いや恋愛事情と言うよりは、女性の気持ちが分かるかどうかだろうね。そしてそれは男には分からんものさ。私だって妻の気持ちが分かっていれば、離婚されることはなかったのだから」
家族の為にと家族を省みず働き、家族も何も言わず家族に見切られ、互いのディスコミュニケーションが招いた上での破局と言うわけだ。城島課長のような、誰からも非難されるような離婚とは違う。
「黄瀬君とギルウス王には、よく話し合って貰いたいものだよ」
「そうですね」
頷いた赤星は所長室を辞した。これからギルウス王を迎えるため、営業所内の模様替えや片付けをする予定なのだ。
「源一郎、源一郎」
廊下でぶらぶらしていたシロノが駆けて来る。赤星が出てくるのを、ここで待っていたというわけだ。
「どうした」
「呼んでみただけ」
「そうかね」
二人並んで歩いて行く。
営業一課の前を通ると、いろいろと飾り付けの準備中だった。しかし課長の鬼塚と阿部が王都に行っているため、今は課長代理の久保田が指示をしている。ただし、相変わらずふざけて変な事をやらかす稲田に手を焼いている様子だった。
「ねえ源一郎、私たちは何をするの?」
「うん、料理の担当だね。王様に出す料理を考えるんだよ」
「なるほど。それなら、お肉ね。お肉がいいわ」
「シロノが食べたいだけなのでは?」
「そうよ、当たり前じゃないの」
シロノは軽く顎をあげて小威張りした。それから少し前にでて、期待した目で見つめてきた。味見も込みで楽しみにしているらしい。
「それはそうと、さっきは助かったよ。ありがとう」
「なんのこと?」
「黄瀬を庇ってくれたことだよ」
「……べ、別に。私が言いたいから言っただけなの、庇ってなんてないんだから」
「なんだそうだったか」
「ちょっと、なんでそこで簡単に納得するのよ!」
理不尽なシロノに怒られつつ廊下を進み、二課室に戻った。
入り口近くの席にいるコンネヅとコンルリが即座に立ち上がり一礼し、また座って勉強に取り組む。必要ないと何度言ってもやめないのである。課長席でインターネット視聴中のミハイロに見習わせたい真面目さだ。
黄瀬は机に突っ伏し停止状態のため、青木と話をするしかない。
「聞いていると思うが、ギルウス王が来られる予定だよ」
「へいへい、そうらしいですな。いやぁ、こりゃ一大事ですな」
「国賓を迎えるようなものだからね」
「いえ、そういう意味じゃありませんよ」
そう言って青木は自分頭に両手をのせ、椅子を後ろに傾けた。口はへの字にして、やや思わしいといった顔をしている。
「課長、ギルウス王が来て求婚するって事の重大さが分かってます?」
「もちろん分かっているさ、一国の王が動くわけだ。つまり総理大臣が遊びに来るようなものだろう」
赤星の言葉に青木は息を吐いた。
「ああ、やっぱり分かってませんか」
「どういう事だね」
「いいですか? この営業所には女性の皆様がいらっしゃるわけですよ。そんな方々の前で、自分と同じ独身だからと可愛がりつつ年下だからと少ーし軽く見ていた子がイケメン王様に求愛されるわけですよ。では、ここでクエスチョンです。皆様はどんな気分にお成りにならっしゃられるのでございましょうか?」
「…………」
「お分かり、頂けましたか」
心霊特番風に語る青木だが、実際に赤星はそんな番組で気付いてはいけない事に気付いてしまったように震えた。
「源一郎、それどういう事なの。説明なさい」
「う、うむ。つまり何と言うかだね……あー……たとえば。自分が本当に食べたい美味しそうなものを、例えば青木君が独り占めして、心から美味しそうに食べていたらどう感じるかね?」
「死ぬほどイラッとするわね」
シロノは想像するだけでは収まらず、じろっと青木を睨んでさえいる。
「そういう事だよ。とりあえず……今回のことは部外秘だ。幸いにも所長と一課の者と、出発したメンバー以外は知らない。所長にも念押ししてこよう」
言って赤星は大急ぎで所長室へと駆け戻った。
そして黄瀬は机に突っ伏してしまい、身の安全の為に王都に行った方が良いのではないかと思っていた。
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