7
「これからの話?」
お風呂上り、ちーちゃんの部屋で髪をとかしていると声を掛けられた。
「そう。これから」
トイレから戻ってきたちーちゃんが、なぜか入り口で仁王立ち。ふざけているのかと思いきや、その面持ちは真剣そのもの。せめてその淡いピンク色のパジャマがなければ良かったのに。なんて、おそろいのパジャマを着ている私が言えた義理じゃないか。
喉まで出かかった冗談をとっさに飲み込み、ドライヤーをちゃぶ台に置いた。
「はる姉が退院した後のことって、まだ話してなかったでしょ?」
ちーちゃんがベッド脇に腰を下ろした。
「言われてみればそうね」
「だから寝る前に話しておきたいの。明日の朝になって慌てても仕方ないし」
思わず面食らう。流れに任せてここへ帰ってきた私と違い、ちーちゃんはいろいろと考えていたんだ。
「あたしは大学に行くけど、はる姉はどこにも行く所ないでしょ? それから話そうよ」
行く所。それはつまり自分を証明できる居場所だろう。
ちーちゃんには大学があって故郷もある。それらには数多の友人が存在し、誰もが笑顔のちーちゃんを覚えている。ふとした瞬間に思い出すこともあるだろう。
それに比べて私は? この狭いアパート以外で私を証明するものはどこにもない。全てを忘れ、知人や友人、家族の顔すらもいまだに思い出せない。故郷についても何も知らない。
b私の居場所はどこにも――違う。私にはまだ別の居場所がある。
「事故に遭う前はバイトしていたのよね。そこは?」
「とっくの昔にやめてるよ」
こちらが疑問を挟む前にちーちゃんは続けた。
「はる姉が入院している間に、バイト先に連絡を入れたの。そうしたらはる姉、ちょうどやめる相談してたみたい」
「やめるって、どうして」
「なんか勉強に集中したいとか何とか。それで事故のことを話したら、長く休むくらいならそのままやめてほしいってさ」
「そんな……本当?」
「あたしがうそをつくと思う?」
ちーちゃんが腕を組んで頬を膨らませた。
「それは、ないと思うけど」
「それじゃあ話を戻すね。えっと、はる姉には専業主婦になってほしいの」
「主婦?」
素っ頓狂な声にちーちゃんが深く頷いた。
「まだ結婚はしていないから専業恋人かな? とにかくあたしが大学に行っている間、家事と受験勉強に集中してほしいの」
「そんな、でも」
「もしかしてお金の心配? 元々の貯金に加えて、あんなにもらう予定なのに?」
すぐに五百万というワードが頭をよぎった。それだけあれば無駄遣いしない限り三年は優に持つ。だから働かなくていい。ここにいればいい。ちーちゃんの帰りをただ待てばいい。
それはわかっている。わかっている、けれど。
「生活費はあっても、入学費までは賄えないでしょう?」
「そっちも心配しなくて大丈夫」
ちーちゃんが小さく笑った。
「社会人向けの奨学金で通うって言ってたよ。はる姉は何も心配せずにここにいればいいんだよ」
悪気のないはずの声が歪に聞こえてしまう。それが溜めていた不満に火をつけてしまった。
「一度、帰ってみたい」
どこへ? という疑問は飛んでこない。ちーちゃんもわかっているのだろう。
「駄目、駄目だよ」
ちーちゃんがわかりやすくうろたえる。
「何度も言ったでしょ。地元に戻ったってどうしようもないって。ここにいる方が、はる姉は幸せなんだよ?」
「それなら教えて」
ちーちゃんの手を取り、強気に迫った。
「地元はどこにあるの? どんな場所なの? 家族は? 友だちは? 教えてくれないのなら、直接行って確かめるから」
「それは――」
ちーちゃんが何かを言いかけ、すぐに目をそらした。
薄々感じていたけれど、ちーちゃんは何かを隠している。故郷についてじゃない。私に話せない理由をずっと隠し続けている。
それを話してくれないのなら動くしかない。意を決して聞き直そうとした矢先、ちーちゃんが顔を上げた。
「はる姉が傷付くと思ったの」
ちーちゃんがぽつりとこぼした。
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