第9話  既婚者はダメ絶対

 アグニエスカの祖母となるマリアは、娘のジャネタが流行病で亡くなった後、パスカ家が喪に服す事なく後妻を迎えたという噂を聞いたのは、葬儀を取り行った半年後の事だった。

 

 心配になってパスカ家を訪れてみれば、アグニエスカは放置状態で満足に食事も与えられておらず、物置のような部屋に軟禁状態となっていた。


 息子ヘンリクの力を借りてアグニエスカを助け出したマリアがアグニエスカと共にポズナンの家に戻ると、暖炉の前で小さな男の子が一人、所在ない様子で佇んでいる。


「マリアや、この子はマルツェルといって、魔力暴走を起こしたという理由から処分対象となっていたそうなんだ」

「あらまあ、この子、王様の子供じゃないですか?」


 伸び放題の紅茶色の髪の毛の下には金色の瞳がキラキラと輝いていて、古の血の紋章がその瞳の中に浮かび上がっている様が良く見えた。


「マリアや、その様子だと、パスカ家は自分の子供の面倒もまともに見られなかったという事かね?」


 大魔法使いパヴェウはそう言って泣きながら眠ってしまったアグニエスカの頬を撫でると、


「理の外に生きるアグニエスカと、理の中で生きるマルツェルは、共に成長させいくのに都合が良いだろう」


 そう言ってマルツェルの小さな頭を撫でると、小さなマルツェルが、

「その子誰?僕、その子と一緒にいてもいいの?」

 と、可愛らしい声で問いかけてきたのだった。


 アグニエスカは三歳、マルツェルは五歳、共に母を亡くし、父親は育児を放棄し、我が子に関わろうともしない。 


 夫を亡くし、父との二人暮らしとなっていたマリアにとって、引き取った二人は我が子同然の存在となったのは間違いない。


「ねえ、マルツェル、貴方がアグニエスカの事を妹としてではなく、女性として好きだって事は知っていたわよ。だけど貴方、結局、アグニエスカの事は諦めたのよね?」


 キッチンへと招かれたマルツェルは、マリアが渡したコーヒーのカップを両手で包み込みながら矢継ぎ早に言い出した。


「それで?アグニエスカは何処にいるの?元気だよね?王都からの引っ越しは無事に済んだの?とりあえず連れて帰りたいんだけど?」


「アグニエスカは今、教会に行っているわ。戦地に送る包帯やガーゼを婦人会で作っているんだけど、それを手伝いに行っているの」


「迎えに行ったら駄目かな?」

「ねえ、マルツェル、貴方、アグニエスカが居るのに、他の女の人とも遊んでいたって本当?」


 ソワソワソワソワソワしていたマルツェルは、ようやっとマリアの言葉が耳に入ったようで、ギョッとした様子で体を硬らせると、

「え?他に女の人?どういうこと?意味がわからないんだけど?」

 と、言い出した。


「アグニエスカが言うには、王宮勤めのマルツェルは女なんかよりどりみどりで、幾らでも手を出せるんだって」


 目の前に座るマルツェルは、高級なダブルのスーツで身を包み、一見痩せては見えていても、筋肉質の引き締まった体つきをしている。


 王族としては認められていないものの、その身に宿る膨大な魔力を武器に、十五歳の時にこの家を出て行ってからはずっと、王家の剣としての役割を担っている。


 相変わらず髪の毛をボサボサにして、王家特有の瞳の色を隠しているのだけれど、

「アグニエスカ以外の女に手を出すなんて・・・バカな事言わないでよ・・・」

 マルツェルは苛立たし気に自分の髪の毛を掻き回しだした。


「僕はアグニエスカしか見えていないし、アグニエスカにも僕しか見てもらいたくない。だけど、アグニエスカは僕よりも、前に働いていた新聞社の上司の方が気になっているみたいで」 


「新聞社の上司って、確か奥さんがいるのに、若い子に手を出してどうしようもない人だったと話に聞いているけど?」


「やっぱり僕より、その上司の方が好きだったみたい」

「はい?」


「王都を引き払う前に、会社で告発みたいな事をしたみたいなんだよ。可愛さ余って憎さ百倍っていう奴なのかな?やっぱり、上司の事は忘れられなかったみたいで、僕もそいつの顔を見に行ってみたんだけど、確かに女に不自由してなさそうな奴だった」


 マルツェルはコーヒーカップを両手で握り締めながら声を震わせて言い出した。


「だけどさ、どんなに格好良くたって、離婚もしてない、他の女にも手を出すような奴は、アグニエスカを不幸にするよ。僕だったらアグニエスカ以外、絶対に見ないのに、なんでアグニエスカはあんな奴が好きなんだろう?」


「えーっと・・」


「マリアおばあちゃんからも言ってやってくれない?絶対に、不倫は良くないって、そんな男は忘れた方がいいって」


「そうねえ」


 確かに、王都から突然戻ってきたアグニエスカは言っていた。


『働いた先の上司は見かけは素敵な人だったし、私に気がある素振りをしていたんだけど、即、後輩の子へ鞍替えするような人だったのよ?しかも、君は一人で大丈夫だからって、意味わかんない事言い出して?お前は一人でも大丈夫だけど、あの子は俺がいないと駄目なんだとか言い出す奴って?私はやっぱりクソそのものだと思うのよね!しかもそいつ、結婚して妻が居るのよ?あんまり頭に来る奴だったから、去る間際にきちっと制裁しやったのよ!ザマアだわ!ザマア!あははっはは』


 マルツェルの言うように、未だに好きというようには見えなかったのだけれど。


「まだ、僕、結婚とかそういうのは全然許されていないけど、もしもアグニエスカの事を王家に大反対されるようだったら、国外逃亡したっていいんじゃないのかなって最近思ったんだ。アグニエスカさえ僕を選んでくれたなら、ねえ、おばあちゃん、おばあちゃんはどう思う?」


「ええ、マルツェル、貴方の熱意は充分に理解したわ」


 マルツェルは自分の血筋のこともあって、パスカ男爵が勝手にアグニエスカの婚約を決めた時には、自暴自棄になっていた。だから、女遊びで取っ替え引っ替えとなっていても、まあ、そんな事もあるのかなと考えていたマリアは、マルツェルのアグニエスカに対する相変わらずの熱量に感心してしまったのだった。


「おばあちゃんからも言ってくれない?男は見かけじゃないって、堅実が一番だって、だから僕にしたほうがいいって、ね?だめ?」

「駄目じゃないけど」


 マリアは思わずため息を吐き出した。


 だけどねえ、ポズナンに帰って来た時のアグニエスカは本当に傷ついていたから、あの娘の感情を無視して、さあ、マルツェルとお付き合いしなさいとは言えないわよねえ。


「ねえ、マルツェル、アグニエスカは十八歳になったでしょ?それで、あの娘と縁を結びたいっていう人が沢山いて、集まった釣り書きが大変な事になっているのよ」


 キッチンのコンロの脇に積み上げられた釣り書きの山を指さすと、マルツェルは笑顔のまま顔を硬らせた。


「マリアおばあちゃん、僕の気持ちを知った上で、他の奴なんかをアグニエスカに勧めたりなんかは絶対にしないよね?」

「だけど、アグニエスカがマルツェルに弄ばれたって言うから」


「僕がそんな事をするように見える?この一途な僕がだよ?アグニエスカしか見えない僕がだよ?」

「そうなのよねえ」


 やっぱりマルツェルは変わっていなかった。

 五歳の時にこの家にやって来た時から、アグニエスカはマルツェルにとっての唯一無二の存在だという事に変わりはないらしい。



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