昨日見た夢の話

夜に書くアルファベット

短編小説 「昨日見た夢の話」


「 日記をどこに隠した? 」

と、捜査官は言った。


「 何の話だ? 」と素直に言う。

こいつは頭のキレる捜査官だ。ここは冷静に答えておこう。


ここにあるのは机と椅子だけ。

余計なものが何も無いこの部屋は、僕と捜査官の声がとてもよく響く。

故に、僕の発する声に震えは無いか、違和の無い日本語を使えているかなど、一語一句慎重になってしまう。

一瞬でも気を抜くことは許されない。


捜査官の腕時計をちらりと見た。時刻はどうやら午前8時50分らしい。

強迫性障害を患っている僕は、物心着いた時から「時間」というものに敏感だった。

つまり、決められた毎日を過ごさないと気が済まないということだ。

"それ"は普通の人には考えられないくらいきっちりしたものだ。

そのせいか、時計など見なくとも、今が大体何時で自分は何をするべきなのか分かるのだ。

時刻は8時50分、となると……朝ごはんを食べる時間だ。

あと10分で朝ご飯を食べなければならない。

食パン2枚にレタスとハム、絶対にそうでなければならないのだ。


「 今何時だ? そろそろ9時なはずだ。朝食が食べたい。」と頼んでみる。

おそらく、断られるだろう。


「 お前が時間に強いこだわりを持つ強迫性障害を患っていることは知っている。

…分かった。9時に朝ご飯が食べられるように説得してみよう。」


「あと10分だ。でないと本当に弁護士を呼ぶ。」




僕の事件の時効まで後8時間。

僕が犯したとされている罪はひとつ。

1人の女性を殺した罪である。

どうやらこの捜査官、いや警察自体、僕が殺したと確信しているようだ。

しかし、警察が掴んでいる情報は、殺された女性に最後に会っていたのが僕だったというしょうもない証拠だけ。

故に警察は僕の逮捕に踏み切れない。


その女性は、24年前の金曜日の夕方17時頃に行方不明になり、その1日後の朝10時頃に遺体の写真が遺族に送られて来た。

写真からの推測だが、その女性は複数回ナイフのようなもので腹部を刺されており、死因はおそらく失血死であろう。

写真から見える死斑や、死後硬直から推測するに死亡推定時刻は夜20時頃らしいが、なんせその女性の遺体が手元にないため、遺体と犯人を結びつけることは出来ず、捜査は難航していた。

警察が今血眼になって探しているのは、彼女が生前書いていた日記だ。

複数回腹部を刺し殺していることから明確な「殺意」を感じ、動悸は怨恨である可能性が高いと警察は見ている。

そのため、彼女が「毎日起こること」を逐一書いていたその日記は、重要な手がかりのひとつだ。

そして24年後の今、時効が近づいていること、家宅捜査を強行したが僕の家から彼女の痕跡や日記などの証拠がなにも出ないことに、警察は焦っているはずだ。

証拠もない今、僕自身が日記の隠し場所を言い「自白」をしなければ、僕を捕まえることが出来ない。

僕の良心に訴えるしか方法がないなんて、実に滑稽だ。



僕じゃない、僕が殺したんじゃない。そう思いたいが、自分に嘘はつけない。


だって僕がやったんだから。


24年と11ヶ月と30日も自分が殺人鬼であることを隠してきたこの僕が、今更捕まる訳には行かない。

今1度、自分の発言に矛盾がないか、目を閉じあの日のことをこと細かく思い出す。24年後の今でも目を閉じるとまぶたの裏であの日が鮮明に再生される。


・・・・・・・・・

17時、仕事が終わった僕は真っ先に教会へ行く。18時に待ち合わせて彼女と教会に行くと約束していた。

黒のセダンに乗り、目的地の教会まで見慣れた道を走っていく。

今から会う彼女を僕は殺す気でいる。

教会につき、彼女を無抵抗で車に乗せるために1発、頭を殴る。

いくら賢い僕でも生まれて初めての殺人ともなれば焦る。

故に家に帰ってからの記憶だけは曖昧だ。

だが、彼女を20時に殺した。時間だけは覚えている。はっきりと。


次の日の朝は驚く程いつも通りで、平和で、淡々としていた。

朝8時半に起きる。

瞼を開けた僕の目には天井の電球が写る。

それから布団を畳み、クローゼットを開けて全て同じ柄のスーツが等間隔に並んである状態を3秒眺め、1番左のスーツを手に取り寝間着からスーツに着替えた。

冷蔵庫を開け昨日の朝ごはんの残りのレタスハムを挟んだパンと水を取り出す。

僕の腹時計に狂いがなければ、食べ始めるのがちょうど9時になるはずだ。

食べ終わったら食器を洗い決められた場所に戻す。歯を磨いたらちょうど9時20分。

そう、彼女の命を絶った次の日も僕の時間に狂いは無かった。


そして、ガレージに移動する。

物がないだだっ広いガレージの真ん中に、昨日仕事から帰った僕が殺した女性の遺体が置いてある。

その女性の側まで行き、神の御加護がありますようにと祈る。

僕と出会ってしまったこと、そのせいで命を落としてしまったこの女性に、せめてもの償いとして神の祝福を。

仕方ない。僕は死。すなわち死と出会ってしまったのが悪い。

そして、女性の遺体の写真を撮り現像する。この写真はこの女性を産んでくれたことへの感謝として、”遺族”に送ろう。


女性を抱き、キスを落とし、ビニールシートにくるみ車に乗せる。

ここで重要なのは、女性と触れたところは全て入念に掃除をすること。

髪の毛1本残さない。奴らに僕を逮捕する理由を与えてしまうから。

車に乗り、エンジンをかける。

大好きなビートルズを聴きながら、いつもの看板、いつもの景色、いつもの建物を順番に巡り、いつもとは違う角を曲がる。

そして、子供の頃よく遊んだお化け屋敷のような山小屋の中に、ビニールシートごと置いていく。

勿論、僕の悪口が書かれた彼女の日記は持ち帰る。


そして24年、経ったんだ。もうすぐ25年だ。

もう少しで僕はまた……。

大丈夫、痕跡などない。俺は、無実だ。


時刻はどうやら午前11時

もうそんな時間か。

時が過ぎるのは早いものだな。

時効になることはどうやっても避けたい捜査官は、僕に核心を突いた質問をした。


「 時効って勿論知ってるよな?お前がおれの腕時計を逐一盗み見るのも、時効を楽しみにしているからか? 」 と、問う。


見事だ。

この捜査官は俺の心の機微から突き動かされる行動を一切見逃さない。

だが、僕もまた賢い。僕はこう、答えなければならない。


「 俺はやってない。ご存知だろうが、俺には決められた生活の周期があって、たとえ冤罪で捕まっていてもそれを守りたいだけだ 」と。


時刻は昼の12時。時効まであと、5時間。

証拠や手掛かりがない今、この事件の中心にあるのはやはり動機だった。


彼女とは親しかった。

人との会話を苦手とする僕にも穏やかに関わってくれる彼女には、居心地の良さしか感じなかった。

しかし、ある時、彼女の書いている日記の中身を見てしまった。

彼女は、僕の大切にしている「時間」を貶していた。

それどころか、僕自身も貶す内容を綴っていたのだ。許せなかった。

僕には許すことが出来なかった。

その時、頭の中にお告げが聞こえた。

そいつは、罪人イザベルの成り代わりなのだ、と。

この動機は犯人である俺しか知らないはずだったが、どこから仕入れたか、警察も日記が重要な鍵であるという所までたどり着いている。

そんな重要な日記を俺が手放すわけが無い。

日記は俺が大事に隠したのだ。

その日記さえ、俺の家から見つからなかった故に焦った警察は俺の口から聞き出すしかないと思っているようだ。


「 お前は人を殺しておいて、その罪から逃れてまで、何をしたいんだ。 」

捜査官は、情に響く視点から僕を責めた。


「 罪を犯したくないだけだ。 」


「 お前は精神疾患を抱えている。時間に几帳面どころか、支配され、依存している。その自覚はあるのか? 」


「お前まで、時間を貶すのか?」


「お前まで?他に誰か貶したのか?」


心臓をぎゅっと掴まれたような気分だった。

「時間」を大事にしている自覚はあるが、大事にするあまり、言ってはいけないことを言ってしまいそうになった。

この捜査官は知っている。「時間」が僕の感情の壁になっていて、触れると僕が乱れるということを。



時間が過ぎる。

僕はまた、捜査官の腕時計をちらりと見る。16時。

あと1時間で彼女が失踪した時間、そして時効成立の時間。


「 お前は病気なんだ。時間というものを意識しすぎている。 」


「 そういう君たちは今、誰よりも時間を気にしているように見えるが。

不思議だ。君たちは人生をどのように区切る? 時間じゃないか。

一定に流れていく時間を無駄にすることなく有効活用することの何が悪い。

この世の主導権を最も握っている時間を貶すことは何があっても許されない。 」


「 だからといって、自分と同じ生物の人間を殺すのか? 口説い言い方をするな。素直に言え。日記に自分の悪口を書かれたから殺したと。 なんだ?根暗のクソ野郎とでも書かれたか? 」


「 うるさい。黙れ。お前こそ焦っているように見えるぞ。なぜだ? 時効が成立する17時がもうすぐ来るからか? 」


「 なぜ、時効が17時だと分かるんだ。

彼女が行方不明になった17時と言う時間をお前はなぜ知っているんだ? 」



やってしまった、と そう思った。

捜査官の目に見えた挑発にまんまと嵌って、24年間が無駄になった。

藁にもすがる思いで、捜査官の腕時計を見た。


17時1分だった。


俺の勝ちだ。

たとえ俺が罪を告白しようと、俺の勝ちなんだ。

なぜなら17時過ぎているから。


「 やあやあ、捜査官。俺を嵌めたつもりでいるようだが、その手を打つのが遅かったな。

もう17時だ。

俺が罪を告白しようとも、時効なんだ。ははは。 25年だ。ついでに教えてやろう。25年も隠した日記は俺の家の裏庭に埋めてあるぞ。」


捜査官はじっと俺を見つめ、ため息を吐いた。

そしておもむろに立ち上がり、無線を通して、同僚に今知った日記のありかを伝えた。


「 なんだ?声が出ないくらいショックか?俺はな、今まで時間だけを大切にして生きてきたんだ。その時間が、1回くらい俺を助けてくれたっていいだろ?」


捜査官はゆっくりと噛み締めるように俺に言った


「お前を逮捕する」と。


その時、俺は捜査官が賢いことを思い出し全て手のひらで踊らされていたのだと悟った。


そして捜査官は呟いた。


「この腕時計、1時間早く進んでるんだ。修理をし忘れていた 。」と 。

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