第22話 過去の容疑者

「今は、殺人事件の方です。解かねばならない、解くのが私の使命だという感覚……おかしいですかね」

「うーん、専門じゃないので憶測に過ぎないが」

 私はそう前置きして、コーヒーを一口飲んでから、続きを述べた。

「堀馬頭さんの職業が、そういう仕事だったんじゃないか? 学者や研究者とも考えられるが、もっと直接的に、それこそ警察関係者なのかもしれない」

「そういう意識は、まだ生じていませんが……先生が言うのであれば」

「ああ、待った。先入観を植え付けるのはよくないな。あくまでも仮定、仮説の一つだ。そう受け取ってくれたまえ」

 そう言われて笑みとともに首肯する堀馬頭。私の慌てた様子がおかしかったようだ。

 こちらも気持ちが軽くなった。

「それにしても、もし本当に君が謎を解く使命感に燃えた警察官であるならば、早く記憶を取り戻してもらいたいな。その上で、ローミーの事件とリサの事件を快刀乱麻を断つがごとく、すぱっと解決してほしいものだ」

「思考するのは、記憶が戻らなくてもできますしね。――先生のもこちらに」

 堀馬頭はまた笑うと、食べ終わって空になった皿を重ね、洗い場へと運んだ。



 ちょうどよいタイミングだと思った。

 私はやって来たトレント保安官を診察室に招き入れると、一枚の書類を手に、説明を始める。

「今朝から過去の記録に当たっていたのだけれど、幸運にも残っていた」

「おお、そりゃ素晴らしい」

「患者数がそんなに多くない、地方ならではだな。あまりに数が多いと、古い物から廃棄していたよ」

「して、該当者はいたのかいなかったのか」

 はやる保安官を制し、私は多少勿体ぶって、書類を見た。

「条件に該当する者という意味でなら、それらしき人はいた。カズウェル・ホーンとアビー・クライネの男女一人ずつだ」

「二人もいたのか」

「ローラ・ドナルドの失踪した日は分かっている。八月十五日の夜だと聞かされた。犯行時、つまりドナルドが襲われた際に犯人の爪が剥がれたのだとしたら、病院に来るのは翌日の十六日以降だろう」

「うむ。その推測は納得ができる」

「十八日だと遅すぎる。痛くても我慢すると覚悟ができた者は、化膿でもしない限り病院には来ない。だから、とりあえず十六と十七日の二日間に絞ってみた。その結果、浮かび上がったのがこの二人という次第」

「日はどうなっていた?」

 いささか興奮気味に、トレント保安官が紙に顔を寄せてくる。私は彼から読みやすい向きにして、デスクの端に紙を置いた。保安官は椅子ごと動いて場所を確保する。

「二人とも十六日に来ている。解体業のホーンは午後にやって来たのに対し、主婦のクライネは午前中。この記録を見て、私も朧気に思い出したよ。爪を剥がした患者が一日に二人とは珍しいと、しばらく記憶に残っていたんだが、いつの間にか忘れてしまったようだ。情けない」

「いやいや、これで充分でしょう。どれどれ。アビー・クライネは朝食の準備中に誤って剥いでしまい、応急処置をしてそのまま家事を続けたが、石鹸が染みるのが我慢できなくて来院したと。一方、カズウェル・ホーンは、仕事である家屋の解体作業の最中に、板塀を取り除こうとして爪が剥がれてしまった。仕事にならないので、残りは仲間に任せて、すぐに病院に来たことになっている」

「本当のことを言っているのか確認を取ってはいないが、嘘を吐ける余地があるのは、アビー・クライネの方じゃないかと思う。カズウェル・ホーンは、朝から解体作業に勤しんでいたろうから、前夜に爪が剥がれていたらまともにこなせないはず。仕事中に剥がれたふりをするのも、周りに同僚が大勢いて、目を盗むのはかなり大変だと想像できる」

「なるほど。その点、クライネは確か四人家族だが、朝食作りは一人でやっていたに違いない。前の晩に爪が剥がれたのをどうにか隠し通し、朝になって剥がれたと芝居を打つにはうってつけだ」

「他にもある。水仕事をしていたから、剥がれた爪は流してしまったと記述があるだろ?」

「ああ、そうか。爪がその場にないことの理由付けもばっちりってわけだ」

「可能性だけなら、アビー・クライネ。ただ、符合しないこともある。彼女は魔法の類は一切使えなかったかもしれない」

「何ですと」

 驚く保安官に、私は書類の一点を指差した。

「もしもクライネがドナルド殺害の犯人なら、物体を宙に浮かせるような魔法が使えなければならない。だが、この備考欄に、使える魔法の有無を尋ねて記載するようにしてるんだけれども、何もない。無論、確認を取るもんじゃなし、治療と直接関係ない場合は、嘘を言われてもどうしようもないんだが」

「それじゃあ、わしの方で警察に伝えて、調べるように言うかな。言わんでも調べるに決まってるが。しかし、なぁんか引っ掛かるものがある。アビー・クライネという名を、少し前に聞いた覚えがあるようなないような」

「保安官も? 私もそうなんだ。ひょっとしたらなんだが、たとえば旦那と別れて名字が変わったというようなことが起きちゃいないかな」

 私の問い掛けに、保安官はしかめ面に苦笑いを浮かべた。

「全住民の顔と名前と暮らしぶりを組み合わせて覚えていられる魔法が、わしにあれば即答できるが、現実は厳しい。実は、アビー・クライネと言われても全然顔が浮かばん。カズウェル・ホーンの方は分かる。浅黒い肌の精悍な中年て印象だな、今は。ホーンは腕力系の魔法が何か使えた気がするが……」

「ああ、ちゃんと記述してある。少し地味だ。最大の力を持続して発揮できる魔法。これは多分、ホーンが持てる最大重量の物をずっと持ち続けることができて、疲労しないという意味かな。職業には合っている」

「しかしその魔法があっても、女性一人を宙高く放り上げて落とす、なんて芸当は無理でしょうなあ」

 私もそう思った。無言で頷いておく。保安官は続けて述べた。

「てこの原理を利した道具があれば、できるかもしれないが、そんなケースを想定し始めたら、魔法云々は関係なくなるしな」

「それに、巨大な石を飛ばせる投石機ぐらい、大掛かりな道具になるのでは。いくら地方の村だと言っても、そんな大げさな代物は、隠し果せまい。トレント保安官、この書類はどうすればいいのだろう? 現物を持って行ってもらてもかまわないし、ラウラに頼んで、写しを取ってもらうのも手だ」

「うむ。今、事件が重なってごたごたしてるから、下手に現物を持ち込んで、紛失なんてことになったら問題になる。写しを取るとしよう。わしがこれを借りて、ひとっ走り行ってくる」

 椅子から腰を上げたトレント保安官。私は「その現物をなくさないように」と冗談交じりに言って、書類を手渡した。

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