3 これが崩壊のはじまりでした

「クロエ、こちらがお前の新しい母上のクリス。そしてこの子が妹のコートニーだ。さ、ご挨拶をしなさい」


「ご機嫌よう、クロエと申しますわ」



 パリステラ侯爵家に新しい家族がやって来た。

 かつてはロバート・パリステラ侯爵の愛人だった、元平民のクリスとその娘コートニーである。


 クロエは新しい家族の様子に一瞬目を見張ったが、貴族令嬢としてなんとか穏やかな笑顔を保った。


 継母であるクリスは昼間なのに胸元の大きく開いた真っ赤なドレスに、少し離れた場所に立つクロエにも襲いかかるほどのきついムスク系の香水。ドレスに負けない真紅の蠱惑的な口紅に、舞台女優みたいな主張の激しいギラギラしたアイメイクがさながら獲物を狙う猛獣のようだった。


 異母妹のコートニーは、これでもかというくらいに過剰にフリルが装飾された淡いピンクのドレスと、華美な宝石。そしてじろじろと品定めをするかのような、下から突き上げて来る下品な視線……。


 二人の親子の姿はこれまでクロエが出会った貴族夫人や令嬢とはあまりにも掛け離れていて、彼女は戸惑いを隠せなかった。


(どうしましょう……。彼女たちと上手くやっていけるかしら……)


 初対面で既にクロエは困り果てていた。


 ただでさえ自分と眼前の母娘の関係は綱渡りのような危うさを孕んでいるのに、どことなく敵意を向けられている気がする。

 それに、環境の違いゆえに仕方のないこととは言え、二人とは価値観がかけ離れているように感じて、どう接すればよいか分からなかった。



「まぁっ、あなたがクロエ? とっても綺麗なお嬢さんだこと。あたくしはクリス。今日からあなたの新しい母親よ。こちらは娘のコートニー。仲良くしてあげてね?」


 クリスはわざとらしくしなを作る。貴族令嬢のクロエにとっては眉をひそめる行為だったが、父親にはそうは映らないらしく、嬉しそうにでれでれと鼻の下を伸ばしてた。

 継母の娼婦のような振る舞いと予想外の父の反応に、彼女はぞっとした。


「ほら、コートニー。あなたもお異母姉様にご挨拶なさい?」


 クリスが声を掛けると、コートニーは母親の陰からぴょこんと出てきて、ぺこりとあどけないお辞儀をした。


「あたしはコートニーです。今日からよろしくお願いします、クロエお異母姉様」


「クロエよ。よろしくね、コートニー」と、彼女が微笑むと異母妹はふいと視線を逸らしてまたぞろ母親の後ろへ引っ込んだ。


 クロエは彼女の無礼な態度にちょっと目を見張ったが、貴族令嬢としての教育を受けていないのだから仕方がないことなのだと思った。

 同時に、自分が無意識に二人を下に見ていたことに気が付いて、恥ずかしい気持ちになった。


(お母様が言っていたわ。身分にあぐらをかいて人を蔑んだり、思いやりの心を忘れてはいけない、って……)


 クロエは優しい子だった。両親の不仲で家庭環境は悪かったものの、母親や乳母など周囲の教育の賜物で、純粋で人を慈しむ心を持っていた。 


 父と再婚をして本邸に来たからには、きっと異母妹はこれから侯爵令嬢としての教育を受けていくのだろう。その過程で困ったり辛くなったりすることがあるだろう。

 そんなときは、姉である自分が妹を助けてあげなければ。……そう彼女は考えた。



 父の母に対する所業は許されることではない。

 そのことに彼女は今でも怒りを覚えていた。


 しかし、同じ父の「被害者」と言っても過言ではない二人のことを憎むのは、お門違いなのかもしれない。貴族に求められて平民は拒否することが出来ないのだから。


(それにお母様も人を憎んではいけない、って言っていたわ)


 二人とも初めての貴族の生活で、今の自分と同じくらいの不安を抱えているのかもしれない。父親のこれまでの裏切りを水に流すのは難しいけど、これからは家族になるのだから少しでも歩み寄らなくては……。



 しかし、そんな甘い考えは無意味だったと、彼女はすぐに悟った。


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