3話 女神の悩み
●1
仕事を終えたレイは、鼻歌まじりにアイリスの屋敷の廊下を歩いている。
すると、声をかけられた。
「おやおや? そこにいるのはもしかしてレイくんかな?」
振り返ると、そこには二人の女性がいた。
一人はレイとさほど変わらない背丈の落ち着きを感じさせる女性で、もう一人はいろいろと小ぶりな、雰囲気の明るい女性だ。ちなみに、声をかけてきのは後者の方。
「これはこれは。マリアーナ様とイリア様。お久しぶりです」
「あぁ、久しぶりだな。──5年ぶりになるか」
「あたしは1年ぶりくらいかな?」
「お二人とも相変わらずお美しいですね」にこやかにレイはそう言った。
「えぇ〜そうかなぁ〜? まぁ? そんなこともあるかな?」
「こら、いちいち世辞で喜ぶな」
「あはは、本心ですよ」
すると、小柄な女神──イリアが上目遣いでレイの顔を覗き込んでくる。
「それにしても本当だったんだねー。レイくんが神さまになったって」
「……そうだな。驚きだ」
「ねぇねぇ、どうやったの?」
まるで小さな子供のように聞いてくるイリア。レイはそのままの笑顔で応えた。
「基本的にはセオリー通りですよ。とある世界で芽生えた信仰心が僕を神様の位まで押し上げてくれました」
そう説明すると、足早にマリアーナが尋ねる。
「それは人間たちに、自分は『神』だと刷り込んだということか?」
「えぇ、言い方はアレですが、おおそよその通りです。女神様から授かった転生特典のおかげで、人々に信仰心を植え付けるのはそう難しい事ではありませんでした」
「……信仰とは自然に、偶発的に生まれるものだ。そしてその信仰心が我々神の力の根源となる。レイ。お前の過程はいささかセオリーとはかけ離れている。もしや狙ったのか?」
「いえいえ。流石にそこまでは。偶然に偶然が重なっただけですよ。そもそも僕自身、当時は神様になるつもりなんてありませんでしたから」
マリアーナの黒く鋭い瞳は、レイを確実にとらえる。それでもレイは笑顔を崩さなかった。
「ねぇねぇまーちゃん。もしかして怒ってる?」
「え、」
「目が怖いよ?」
「……う、うむ。別に怒っている訳ではないのだが」
「?」
「ただ、私はレイが神になった過程が、黒か白かで測り兼ねている」
「? どいうこと?」
マリアーナはため息を吐いた。
「基本的に、神は世界に干渉してはならない。故に、神自身が人々に対して布教活動を行うことは禁じられているんだ。──ただ、レイの場合は神になる前、人間だった頃に行われたものであるから、厳密にいえば神の法に触れることはない」
「なら、いいじゃん」
「うぅ、確かにその通りなんだが……」
「もー。まーちゃん頭硬すぎ! そんなんだから石頭ってよく言われるんだよ? あたしがマッサージしてあげよっか?」
「や、やめんか!」
「綺麗な髪ですね。つやつやで滑らかだ」
「な、なぜお前まで⁉︎」
「実はかねがね思っていたんです。なぜ女の人の髪はいい匂いがするのかと。好奇心が抑えきれません」
「お、お前は私の髪に何をする気だ⁉︎」
と、事態が一旦落ち着いたところでレイは尋ねた。
「ところで、お二人はどうしてここに?」
「あーちゃんと飲みの約束しててねー」
「あーちゃん?」
「アイリスのことだ」
「なるほど。アイリス様でしたら、いま仕事部屋にいますよ」
「え、そうなの? あーちゃんまだ働いてるんだ。 熱心だなぁ。あ、そうだ。レイくんもまざらない? いろいろと話したいこともあるし」
「うーん。美女3人を酔わせられるのは大変魅力的なご提案ではあるのですが、申し訳ありません。このあと天使のコと約束がありまして」
「……酔わせて何をする気だ」
「天使? もしかしてデート⁉︎」
「えぇ、だからすっぽかす訳にはいかないんです」
「そっか。なら仕方ないね。また誘うよー」
「えぇ、その時は是非」
こうして、レイは2人の女神たちと別れた。
●2
アイリスの屋敷の一室で、アイリス、マリアーナ、イリアは酒を飲みながら語らう。
「あーちゃん。どうしたの? 今日はペース早くない?」
「うぅ…。私なんて私なんて……っ」
「悩みがあるなら聞くぞ? そのための集まりだからな」
「そうそう。全部ぶちまけちゃいなよ。こうドカン~って!」
二人の励ましに、アイリスは目をうるうるさせる。
「ふ、二人も……ありがとうございます……っ」
「で、何があったの? 一人でくねくねダンスしてるところ誰かに見られちゃったの?」
「くねくねダンス? 何をまた訳の分からないことを」
「な、なぜそれを⁉︎」
「実在するのか⁉︎ くねくねダンス実在するのかっ⁉︎」
「まーちゃん知らないの? くねくねして踊ると、なんだかすっきりするんだよー」
「……ますます訳が分からんな」
三人はグラスに注がれた酒を一斉に口にする。
「……くねくねダンスの件は確かに胸の痛む出来事でしたが、別に今はそれで悩んでいる訳ではありません」
「そんな下らないことで不貞腐れているのなら、私は帰っていた」
「まあまあ。じゃあ、あーちゃんの悩みって?」
軽いノリでそう尋ねるイリア。アイリスは思い詰めた表情で口を開いた。
「じ、実は……私の担当しているとある世界の人口減少が著しいんです……っ」
「……」「……」
「え、なんですか。その反応?」
「いや、まじめな話だな、と思って」
「これから一体どんなポンコツ話に……⁉︎」
「私のことなんだと思っているんですか⁉︎」
酒の影響もあってか、いつもより少し強めに声をだすアイリス。しかし、すぐにしょんぼりする。
「もともと争いの絶えない世界で、人口は減少気味でした。ですが、ここ数年でそれが爆発的になりまして……」
「うーん。でもそれは仕方ないことなんじゃないかな?」
「上に何か言われたのか?」
「……管理問題だと」
「まったくよく言うよ! 手を出したら出したで、世界の摂理がどうのこうのうるさいくせに!」
「うむ。確かに理不尽な話ではあるな」
「……いえ、上の方々のご指摘に関しては、私が怒られただけですから」
「? では何に思い詰めているんだ?」
「……」
アイリスは俯く。
すると、悲しみを込めて続けた。
「ここ数年の死者……実はその殆どが『自殺者』なんです……っ」
「──なに?」
そのときマリアーナの動きが止まった。
「確かに自殺者はどこの世界にもある一定数はいるものだが、それが大半を占めるというのはどういうことだ?」
「楽園思想……私はそう呼んでいます。命を絶つことで楽園へ旅立てるという、危険な思想です。そんな考えをもつ人々がいま後をたちません」
「異常だな。しかしなるほど、上が口を出してくる訳だ」
「自殺はねー」
基本的に、人の魂は循環する。肉体が死ねば、魂はまた新たな肉体へ。そうやって世界は回っている。しかし、自殺者はやや事情が異なる。『自殺』と認定された魂はそのサイクルから排除され、消去される。生きる意志のない、脆弱な魂と判断されてしまうからだ。
「どうしてそんな事態になっているんだ? やはり環境のせいか?」
「確かに、理由としてはそれが一番でしょう。ですが、根本的な原因はそこではありません」
「どういうことだ?」
「……人が自ら命を絶つ。それは生きることに良さを見出せないからです」
「自殺者の行動原理はよく分からないが、うむ。まあそうだろうな」
「逆にいえば、どんなに絶望に囲まれていようと、たった一つの希望さえあれば、人は安易に死を選びません」
「……」「……」
「希望はなんだっていいんです。どんなに些細なことでも、どんなに矮小なことでも。生きることは楽しいことなんだ。そう思えることならなんだって。……ですが、あの世界の人々はそんなものなんてない、と言わんばかりに命を簡単に捨ててしまいます」
「……アイリス」
「そんなことはないはずなんです……っ。周りに楽しいことが一つもないなんてあるはずがありませんっ。……だた、視野が狭くなっているだけなんです。自分には生きる意味なんてない。希望なんてない。そう思い込んでるだけで……。だから、ほんの少し、ほんの少しでも、視野を広げてくれれば、身近にある大切なものにさえ気づいてくれれば、簡単に命を捨てる、なんていう選択は取らないはずなんですっ!」
アイリスが言い終わって、場は静まりかえった。
そんな沈黙を破ったのは──イリア。
「あーちゃんは優しいね」
「……え?」
「あたしはダメだなぁ。人間なんて小さくていっぱいいて。とても特別には感じられないよー」
「私も同感だな」
アイリスは表情を暗くする。
「……やはり、わたしは欠陥品なのでしょうか。いつまで経っても、この気持ちを捨てきれません」
「捨てなくていいんじゃないのかな?」
「え、」
「一人の人間を想う神様がいてもいいとあたしは思うよ」
「え? え? さっきと言っていることが矛盾して……」
「ないよ。確かにあたしには人間を思いやるなんて無理だし、したいとも思わない。でもね。そういうあーちゃんのこと、あたしは大好きだよ♡」
「ふっ、私も同感だな」
「……イリア、マリアーナ」
きっと、世界に確立した正さなんて存在しないのだろう。考え、思いやり、否定し、行動することで、正しさは形成されていく。故に、正しさに間違いなんてない。
大切なのは、自分の正しさに胸を張れること。
友人とは、そのための良き理解者になりえる存在と言えるだろう。
●3
飲み始めて数時間がたった。
三人の顔は赤みを帯びていて、言葉数も少なくなり、体はぐったりしている。
そんな中、マリアーナが言った。
「それにしても変わったな、彼」
「? 彼とは?」
「レイのことだ」
「……あぁ、彼ですか」
「そうなの? 確かにちょっと変態さんになってたけど、あたしの知ってるレイくんそのまんまだったよ?」
「イリアは昔のレイを知らないからな。無理もない」
「えー。気になるなー。昔のレイくんってどんな感じだったの?」
マリアーナは額に手を当てる。
「……そうだな。昔はもっと──静かな奴だった」
「うそ~。信じられないなぁ。あのレイ君が?」
「少なくとも、昔の彼は意味もなく笑う奴ではなかった。私はどうも今の彼を好きになれそうにない」
「笑顔はいいことだよ?」
「分かっている。分かってはいるが……うーん。うまく説明できんな」
「よく分からないよー」
「す、すまない……」
そんなやりとりをしている間、アイリスはずっと無言だった。だが、静まり返ると、ぽつりと呟く。
「彼は、諦めてしまったんです」
「?」「?」
イリアとマリアーナは二人して首を傾げる。
「諦める? 何をだ?」
そんなマリアーナの問いに、アイリスはどこか遠くに視線を送りながら、答えを返した。
「幸せになる事を、ですかね」
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