第5話 笑顔

 話はやや巻き戻る。国王の使者がブロッド卿に勅書を下達かたつしていた頃、ソレイユはオリガと合流して真っ直ぐルーナの部屋へと向かっていた。


「ご苦労だったな、オリガ」


「まったく問題ありません」


 そう短く言葉を交わした二人はルーナの部屋の前に着き、周囲に人の気配がないのを確認しながら目配せで会話する。

 それに応えたオリガはドアをノックすると、ルーナの返事を待って中へと入った。


「誰っ? えっ、オリガさん?」


 ルーナはノックの主がメイドだと思っていたものだから、驚いたのも無理はない。しかも先日の様な黒装束ではなく、今日のオリガは軍服を着ている。


「はい、本日はお約束通りに貴女あなたを助けに参りました」


「私を助けに……オリガさんが?」


「いいえ、こちらのお方です」


 そうオリガに紹介されたソレイユは部屋の中央へと進み出ると、片膝をついて挨拶をした。


「はじめまして、勇者殿の自慢の娘さん。今日から俺が君の守護騎士になりました!」


 意味が分からないという顔で不安気にオリガを見たルーナを見かねて、オリガは一つ咳払いをすると軽くソレイユの尻を蹴った。


おびえさせてどうするんですか、たっく。ルーナ様、こちらはアラン・ソレイユ辺境伯爵様です。国王の命により今日からブロッド卿に代わって貴女の保護を務めます」


 ソレイユは不評に終わった登場にもめげず、笑顔でオリガの紹介を引き継ぐ。


「ご紹介ありがとうオリガ君! ちなみに彼女は俺の副官でね、頼りになる君のお姉さんだとでも思って欲しい」


「アラン・ソレイユ様……」


 いきなりの事で戸惑いを隠せないでいるルーナにソレイユはそっと近づきながら、「ちょっと失礼」と言って掛け布団にルーナをくるんで抱き上げた。

 するとルーナは「きゃっ」と、小さな悲鳴をあげる。


「ごめんねルーナ、ブロッドの奴がとち狂うとも限らないんで、早く君をこの屋敷から連れ出したいんだ。悪いけど協力してね」


 ルーナの頭は混乱しまくっていた。只でさえ心の病は頭にかすみがかかった様に理解力を低下させるのだ。

 しかしこうして見知らぬ男に抱き上げられているというのに、恐怖も嫌悪も感じないのはどうしてだろう?


(──あったかい)


 もしかしたらこの屋敷に来て以来、ずっと感じる事のなかった人間らしいぬくもりに飢えていたせいかもしれない。

 ルーナは我知らずソレイユの衣服を掴むと、震える手に力を込めて己の顔をその胸へと乱暴に埋めた。


 酷く痩せていて痛々しい程に軽い──


 腕の中で震える娘を見下ろしたソレイユは、「さあ急ごうか!」と努めて明るい声を出してその部屋を後にする。

 しかし踏み出したその一歩にはルーナの身の軽さとは裏腹な、命の重みが足底にまで届いていた。



 ブロッド卿とダミアンは縋りつく様にして国王の使者を追いかけながら、未練たらしく言い訳を繰り返していたようだ。

 しかし使者はそれを無視してずんずんと玄関へまで戻ると、すでにソレイユの馬車が出発した後である事に気付き安堵する。


 ブロッド卿の取り乱し様を見れば、ルーナを連れ出す際に一悶着起こるとも限らないと心配していたからだ。

「ではこれにて失礼つかまつる」と使者は自分の馬車へと乗り込み、もはや格式も忘れて喚くブロッド親子を置き去りにしながら馬に鞭をいれさせた。


「くそがあっ! 一体何なんだッ!」 


 取りつく島もない使者の態度にブロッド卿の怒りが噴き出すと、追い討ちをかけるかの様に家令が報告に来る。


「か、閣下、ルーナ様の姿が何処にも見当たりません!」


「なんだとっ!?」


 こうなったらもう政治閥貴族の力に頼り、国王に翻意して貰うまではルーナの身柄を死守すべしと思っていたブロッド卿であった。

 だがその目論みは呆気なく崩れ、同様にブロッド卿自身もその場に崩れ落ちる。


「お仕舞いだ……我が侯爵家の名誉は失墜した。もはや中央政治からの失脚はまぬがれん」


「いや、まだそうとは限りませんよ父上」


 そう言ったダミアンの目には怒りの炎がたたえられたままで、心の折れていない様子が窺えた。


「話ではルーナとの婚約は保留との事ではありませんか。破棄された訳ではない以上、ルーナはまだ私の婚約者です」


 ダミアンの言わんとした事に気づいたのだろう、「わしとした事が取り乱した」とブロッド卿が自嘲する。 


「その通りだダミアン。何としてもルーナと婚姻を結び、最終的に我ら侯爵家の勝利をもってソレイユの奴に報復せねばならん!」


 そう息巻く父親に頷いてみせたダミアンであったが、その本心は侯爵家の行く末など考えてもいない。


(農夫の娘風情ふぜいがっ、この俺から逃げられると思うなよッ!)


 ただひたすらにルーナが憎かったのである。身分の低い女などは家畜にも等しいと考えていたダミアンは、その歪んだ思考で幾人もの女性を不幸にしてきた。

 その家畜が自分の婚約者となった事に、彼は言い様の無い不満と怒りを感じていたのだ。しかし侯爵家の一員である以上は、我慢してでも貴族の責務は果たさねばならぬ。


──だが、ルーナの奴は俺の我慢を踏みにじりやがった。


 ダミアンというこの人格異常者は、その自己中心的で偏狂な妄執と共にルーナへの恨みを募らせる。

 そして必ずや思い知らせてやるのだと、その目を血走らせて誓うのであった。




 ソレイユ辺境伯爵家の紋章を付けた馬車が、雪が舞い散り出した街道を北へ北へと走っていく。


「寒くはないかい? ルーナ」


 掛け布団にくるまっているとはいえ、寝巻きのまま連れ出してしまったのである。ソレイユとしてはこの季節の気温を考えると、やはり心配になった。


「寒さには慣れているので大丈夫です……ソレイユ、さま」


 病の身であるルーナは疲れたのだろう、少しぐったりとしながらした返事が痛々しい。


「ふむ、長旅になるから少し寝ていなさい。服は途中の町でオリガに買ってきて貰うとしよう」


「はい」と頷いたルーナであったが、自分が眠れるとは思っていない。この急変した運命から目を離せられるほど、自分は暢気者では無いと思っている。

 好奇心が強く多感な少女だったのだ。だがブロッド侯爵家での生活はそんな少女を粉々にしてしまった。それでもルーナは今、その欠片を必死で集めようとしている。


「なんだい? じっと見つめられると照れちゃうなあ」


 ソレイユはまばたき一つせずに自分から視線をそらさぬルーナに対し、少しおどけてそう言った。

 しかし少女は尚もじっとソレイユを見続けている。見続けていないとこの現実が嘘として消えてしまう気がして恐かったのだ。


 そんなルーナを見かねたオリガが、「中年男が照れちゃうとか気持ち悪い」と身も蓋もない事を言ったのは、オリガなりにこの場を和ませたかったからなのだろう。


 それでもルーナはひたすらにソレイユを見続けていた。


「なあルーナ、まだ我々を信用出来ないだろうし不安で一杯だろうけど、今は自分の身体の為にも寝なくちゃ駄目だよ?」


 ソレイユのその言葉が本当に自分を気遣ってのものである事は、ルーナにも分かっていた。だけどルーナは言わずにはおれなかったのだ──


「私……もうあの家には戻りたくない」


 そう訴えて一筋涙を流したルーナに、ソレイユは力強く頷く。


「もちろんだ。俺が絶対に戻させたりはしないから、だから安心おし」


 するとルーナの横に座るオリガも穏やかに、「大丈夫よ」とその肩を抱く。

 それで少しは安心出来たのだろうか、ルーナは「はい」と言ってまぶたを閉じた。ソレイユに言われるまでもなく、ルーナの体力は限界だったのだ。やがて小さな寝息が馬車の中に静かに流れた。


 オリガに抱かれ、胸にもたれて眠るルーナを見ながら「ちえっ、美味しいところを持っていかれたなあ」と口を尖らすソレイユに、オリガは唇に指を立ててシィっと囁いた。



 馬車での旅は順調に行程をこなしていき、外の景色が白一色となる頃にはソレイユ辺境伯爵領まで残すところ後二日へと近づく。

 その間にルーナもだいぶソレイユとオリガに打ち解けて、少しだけだが笑顔も見せる様になっていた。


「こんなに沢山の雪が積もっているのに、街道には雪が無いのが不思議です」


「街道管理も領主の仕事だからね。ここの領主が魔法士に命じて雪を溶かさせているのさ、火炎魔法でバーっとね」


「ソレイユ様の御領地でも?」


「ああ、そうだよ」


 ルーナの疑問に答えたソレイユは、ところでと話題を変えた。


「ねえルーナ、これからは俺の事はアランと呼んでくれないか? お互い名前で呼び合おうよ」


「えっ? 無理です」


「って即答!?」


 まあ、ソレイユにしてみればルーナとより親しくなる努力の一環なのかもしれないが、十五歳の娘に中年男を呼捨てにしろと言うのは無茶な話である。


「そんなの恥ずかしいですから……」


「当然ですね」と相槌を打つオリガに、じゃあ何がいいんだろう? と、ソレイユは困った顔を向ける。


「そうですね、オジサマとか?」


「なっ!?」と、絶句したソレイユであったのだが──


「オジサマ、いいと思います!」


 そう珍しく明るく応えたルーナの笑顔はまさに無敵であり。


「そ、そうだね、オジサマ、いいね」と、ソレイユは引きつった笑いを浮かべて同意するしかなかったのであった。

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