ドアをつついて蛇を出す

「うぅっ……やっぱり気が重い」

 静まり返った広い廊下に、あたしの声が響く。

 あたしが立っているのは、同じホテルの中の中にある、一際豪華な部屋の前だ。


 なお、あたしが泊っている部屋よりこちらの方が料金が高い。

 この世界には無い単語だが、ロイヤルスイートと言う奴だ。


 本来はあたしが泊める予定の部屋だったのだが、さすがに隣国の王族を泊めるとなるとこの部屋しかない。

 私より格の低い部屋に泊めたとなると、いろいろ評判に傷がつくのだ。


 そのため、ホテルの支配人に土下座されて仕方なく譲った部屋である。

 あたしも実は公爵令嬢ではあるが、さすがに譲るべき相手はわかる。

 なので、どうしても嫌とは言えなかった。

 本当はすっごく嫌だけど。


「どうか留守でありますように」

 そんな邪な願いを口にしつつドアをノックしようとするが、なぜか手が動かない。

 やり嫌なものは嫌なのだ。


 せめて留守であるかどうか確認してからにしますか。

 私はプラーナを使って耳の力を拡大する。


 これはマウロに教えてもらった方法で、情報収集にとても役立つのだそうだ。

 もっとも、私は今一つ使いこなせていないが。


 要するに、情報を拾うことはできても、それがどう価値があるか判断ができなければ意味がないのである。

 そんなわけで、いつも私はこの力を使って情報を拾えるだけ拾い、そしてあとの判断はマウロ兄に丸投げだ。


 なお、この方法……呪物なり特殊なプラーナなりと、なんらかの方法で遮断されてしまうと効果はない。

 だが、その場合でも、相手に純粋な聴覚による情報収集を妨害する力があることは確認できる。


 大概は音自体が丸ごとすべて遮断されてしまうからだ。

 この手の技術が得意なマウロですら、試してみようとも思わないレベルの事らしい。


 大いなる神秘の力を他人ごときが便利に使おうとしても、そうそううまくゆくはずもない……とは、知り合いの呪具専門家の話である。


 さて、そんなわけで扉の向こうの音を探った結果だけど……無人ではないみたいね。

 会話は聞こえないけど、複数の鼓動と息遣いは確認できる。

 まって、一人の鼓動と息遣いが急に激しくなった!?


 足音が近づいてくる!

 まずい、気づかれた!?


 逃げるか?

 だが、その理由がない事にハタと気づく。


 なぜならば、あたしの本来の理由はマレ公と話をすることわけで……。


「でも、やっぱり嫌ぁぁぁぁぁ!」

 恐怖に耐えかねて私が逃げ出そうとした瞬間であった。

 目の前のドアがバタンと音を立てて開く。


「どぉぉぉぉらちゅわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」


 もはや言語として認識不能な叫びをあげながら、髭面のイケオジ|(中身は変態)が飛び出してきた。

 ……ポケ〇ンボールで捕獲して、そのままコンクリートに詰めて川に捨てたい。


「チェストォォォォォ!」

 おっと、気が付くと私は正拳突きをくりだしていた。

 無意識の行動である。


 だが、敵はマレ公。

 全力ではないとはいえ、私の正拳突きを掌で受け止める。


 バシュゥゥゥゥゥっと音を立てて、互いの手の間で生まれた衝撃波が周囲に吹き荒れた。

 あ……壁紙裂けたし!?

 冷や汗をかく私の耳に、部屋の奥でガラスの割れる音が響く。


 少し……いや、かなり早まったかもしれない。


「あーぁ、壊れちゃった」

 背後に広がる惨状を見て、マレ公がヒョイと肩をすくめる。


 ホテルのロイヤルスイートの修理費って、いくらぐらいになるんだろう?

 少なくとも、あたしの一ヶ月の給料程度でどうにかなる程度ではなさそうよね。


 近くの床に落ちて割れている花瓶、この前貴族向けのカタログで見た奴だわ。

 その値段を思い出し、あたしは立ち眩みを覚えた。


 あ、外から入ってくる風が気持ちいい。

 思わず現実逃避をする私をよそに、マレ公はパンと手を叩いて宣言する。


「はい、君たちぼーっとしていないで。

 さっさと片づけてよ。

 僕をこんな汚い場所に置いておく気?

 あと、ホテルの支配人に話をして修理費の見積もり持ってきて。

 料金はこっちで払うって伝えていいから」


 おお、なんと太っ腹な事か。

 どうしようもなく苦手な相手ではあるが、正直これはありがたい。

 うちの公爵家パパに負担をかけるのはうれしくないし、これは借りにしておくしかないだろう。


 いや、そもそも事の原因はマレ公こいつが急に前に出てきたからじゃないか!

 あー、感謝して損した。


 さて、胸をなでおろしたところで気づく。

 マレ公の従者たち、かなりデキる!


 なにこの職人じみた動きは。

 一切の無駄を感じないんだけど!?


 足運びや重心移動の滑らかさを比較する限り、たぶん戦闘能力はうちの騎士の方が圧倒的に上だ。

 けど、工作能力は確実に負けているわね。


 つまり、直接の戦闘が得意なタイプではなく、破壊工作などが専門なのだろう。

 下手な戦力を持ち込まれるよりも、はるかに厄介だ。


 私が顔に冷や汗が出ないよう頑張っているのをよそに、マレ公は実に気楽な調子でこう誘ってきた。


「まぁ、ここはボクが払う流れと言う事で。

 とりあえず、お茶にしない?」


 とてもとても不本意だが、私はうなずくしかなかったのである。


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