悪魔の影①


 運命を分ける晩餐会の後、マリアンヌはオリヴァーを部屋まで送り届けた。

 うとうとと船を漕ぐオリヴァーの着替えを手伝い、ベッドまで手を引く。珍しく「まだ眠くない」とぐずるオリヴァーに子守唄を歌って聴かせ、気持ちよさそうに眠る彼の顔をしばらく眺めた後、額にそっとおやすみのキスをして部屋を出た。


 マリアンヌは確かに未来が変わった事に喜びを噛み締めながら、今はひとり自室へと戻る帰り道の途中である。




「今度は上手くいってよかったな?」


(⋯⋯! どこに消えたかと思えば、そんなところにいたのね)


 マリアンヌは自身の影からズルリと姿を現したサタンを見やる。

 どうやら、サタンとは心の中で念じるだけで会話出来るようであった。これならばオリヴァーに独り言を言う可笑しな母親だと幻滅される心配はないだろう。



「貴様、俺様の事を疑っただろう。ずっと見ていたんだからな」


(ごめんなさい、反省しているわ。だから、そんなに睨まないで。⋯⋯でも仕方ないじゃない、なかなか未来が見えなくて焦っていたのよ)


「まあ、良い。今回だけは大目に見てやる。⋯⋯それで、お前はこれからどうするんだ。具体的な復讐方法は考えているのか?」


 サタンと心の中で会話しているうちに、マリアンヌの自室の扉が見えて来た。

 周りに誰も居ないことを確認し、そっと口を開く。


「ええ。目には目を、歯には歯を。————そして⋯⋯毒には、毒よ」

「⋯⋯ほう、面白い。ではお前もあの女と同じようにスズランの毒を使うのか?」

「いいえ。今の時期、スズランは手に入らないわ。それに、スズランの毒は強すぎる。出来ることならゆっくりと、本人も気が付かないうちに身体を蝕む毒がいいわ。⋯⋯⋯⋯だって、簡単に死なれては面白くないでしょう?」


 マリアンヌは碧の瞳をギラリと妖しく光らせて言った。

 復讐に燃えるその姿を見たサタンは至極愉快そうにクッと笑い声を漏らす。


「⋯⋯やはり、お前を選んで正解だったな」

「ありがとう、と言うべきかしら?」

「王直々の褒め言葉だぞ? 当然だろう」

「はいはい」





✳︎✳︎✳︎





「ストラスを喚べ」


 偉そうにふんぞり返りマリアンヌお気に入りのソファを陣取ったサタンは、長い足を組みながらそう言った。



「⋯⋯意味がわからないわ」

「物分かりの悪い人間だな。だから、それを使って召喚するんだよ」


 さも当然と言うように、サタンはマリアンヌが持つグリモワールを指差す。



「わ、私に他の悪魔とも契約しろって言うの!?」

「そうだ。だが、安心しろ。あくまで仮契約だ。既にお前の魂は俺が予約済みだからな」

「だったら、貴方が協力してくれればいいじゃない!」

「ハッ⋯⋯! 俺は悪魔の王、サタン様だぞ? 王たる俺が何故そんな面倒な事をせねばならないのだ。あくせく働くのは下々の者の務めだろう?」

「はぁ⋯⋯怠惰な王様だこと。魂以外に私が悪魔に渡せるものなんて持ってないわ。まさか⋯⋯オリヴァーの魂を寄越せ、なんて言うんじゃないわよね? それだけは何があっても絶対に許さないわよ」

「⋯⋯ふん、あいつには家畜の肉でも与えれば良い。なんせフクロウだからな」

「⋯⋯そ、そんな物でいいの⋯⋯? なんだか拍子抜けだわ⋯⋯」

「まあ本来は召喚者の魂や寿命だが⋯⋯。この俺がいるからには否とは言わせないさ」

「私としては魂をあげる相手はどちらでも構わないのだけど。オリヴァーが無事なら何でもいいわ」

「⋯⋯契約し甲斐のない奴だな。つまらん」


 サタンは心底退屈そうに頬杖をついた。こうして見ると威厳も何も感じられず、とてもじゃないが魔界を統べる王には見えない。

 マリアンヌがジッと恐ろしい程に整った顔を見つめていると、その視線に気付いたサタンは顔を上げる。


「ちょうど今夜は新月だ。闇に紛れて秘密の儀式を行うにはうってつけだろう」


 サタンは悪戯っぽくニヤリと口角を上げて言った。




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