第18話 深まる疑惑1

 キスひとつでいっぱいいっぱいになった私はフロー様にエスコートされて屋敷に戻った。

 彼はずっと上機嫌で、『せっかくジャニスが屋敷にきたのに』と後ろ髪をひかれながら仕事に出て行ってしまった。

 ちなみに私は組織の件が片付くまでは、と無理やり休暇にされている。

 いつ戻れるのだろう……私も仕事に戻りたい。


 しかし、フロー様が屋敷を出て行ったのならこの機会を逃す手はない。

 色々と調べなければ。

 まずは屋敷の者に聞き込みを……。

 これからの行動を算段していると無意識に唇を触ってしまった。

 ここに、フロー様の唇が……。

 思っていたよりフワフワとしていた……。

 なんだかいい匂いしたし。


「あああっ!」

 なに、この女子的感覚! 

はあっ! 

 次に大切に鏡台の前に置いた指輪の入った箱が目に入った。

 陰謀があろうとも、私の人生にこんなことが起ころうとは!

 だって、素敵な庭園のベンチで、美男子にプロポーズだよ⁉

 そ、そ、それにチューだって!

 ベッドの上で枕に顔をうずめて悶える。

 これは、私の人生の由々しき事態である。





「お嬢様」

「え」

 しばらく気持ちを整えていると、声がして枕から顔をあげた。

 すると栗色の髪をした年高のメイドがこちらを見ていた。

「身支度を整えにきました」

 オドオドとする彼女を見ると手にするワゴンにブラシや香油がのっていた。

 いや、だから匂うものは……。

「あの」

「お嬢様専属のメイドのヒルダですよ」

 そう言ったメイドは私を不思議そうに見てから手の甲を差しだしてきた。


「ええと、初めまして」

「初めましてではございませんが……今日は匂いは嗅がれないのですか?」

「は? 私がいつも、あなたの匂いを嗅いでいたのですか?」

「そうです……香水や香油は嫌いだと。私は洗濯の匂いも付けておりませんから、ご確認していただいていいですよ。ブラッシングも優しくします。その間、お嬢様はこれを」

「え」

 ヒルダはブラシを持つ前に私にジャーキーを差し出した。

 よくわからないけどそれを受け取ると、髪をとかし始めた。

 まさか、ジャーキーを食べている間にいつも髪を梳かしていたの?

 鏡越しに私と目が合うとヒルダは不思議そうにしていた。

 この人は私がニッキーである時に会っているんだ。


「もしかして、ヒルダが私の髪をブラッシングしてくれていたの?」

 知らないうちにサラサラになった髪を思い出して尋ねる。

 慣れた手つきで彼女は私の髪に香油を垂らしていた。

「いつもは主人であるフローサノベルド様がします。私は準備と補佐を」

「それは……きっと私が夜にこちらに訪問している時なのですよね」

「……大丈夫です。ご主人様にも口止めされていますから私どもが外でその話をすることはございません。初めは驚きましたが、お嬢様が夜な夜な屋敷に通っていらしたのは『愛』です。廃人になりかけたご主人様を救ったのはお嬢様なのです。素晴らしい行動力でした」

「夜な夜な……通う?」

 ちょっとまて。私がこの屋敷に通っていたというのか?


「ようやく婚約が成立して、お嬢様を迎えることになって屋敷の者はみな喜んでおります」

「……あの、私が初めてここに来た時のことを覚えていますか?」

「あれは、半年ほど前でしょうか。ニッキー様を亡くされて部屋から出なくなったご主人様の部屋の窓を夜半に突然お嬢様が窓ガラスが割れそうな勢いで叩かれて……」

「ちょっと、待ってください。この屋敷のセキュリティを……その、破って?」

「ええ。ですから驚きました。まるで、全ての仕掛けを知っているかのように毎夜ご主人様のバルコニーに現れるのですから。あとから新人騎士のなかでもずば抜けた身体能力をお持ちで有名とお聞きして、みなで納得しておりました」


 なんてことだ。私の方からここへきていたに違いない。

 思えば板の間に寝だしたのもその頃だ。そして、よくよく思い出せば、罠を避けてどこかにウキウキと向かっている夢の記憶がある……。

 きっとニッキーの魂が私に入って、この屋敷のセキュリティをかいくぐってフロー様に会いに行っていたのだ。

 しかし、だったらどうやってフロー様はニッキーの魂を私の中に入れたのだろう。


 あ……。

「ヒルダ、もしかしてこれのこと、知ってますか?」

 私は鞄をあさって、封印されし袋からボロボロになったウサギのぬいぐるみを出した。

「それは……ニッキー様のお大のお気に入りです……汚れてもなかなか洗わせてもらえなくて苦労しました。お亡くなりになった時に棺に入れようと探したのですが、いったい、どこでこれを……」

 それを手に取ったヒルダが泣き崩れた。


 はあ。

 やっぱり、この不気味なぬいぐるみが部屋に落ちているくらいからずっと、私はニッキーに体を乗っ取られていたのだ。

 何度窓から投げても帰ってくる不気味なぬいぐるみを仕方なく袋に入れて保管していたが、捨てても戻ってくるのはきっとニッキーになった私が拾ってきていたに違いない。

 どうりで捨てられないはずだ。

 西の森に調査に行く前からフロー様は私をとっくに知っていたのだ。

 だから、あんなにフロー様が初めから私との距離が近かったのか。


 騙された、とか裏切られたとかいう感情は湧かなかった。

 ただ、がっかりした。


 本当に初めからだったのだ。

 フロー様の笑顔が思い出されると、鼻の奥がツンとした。

 ニッキーに向けられる愛情だとわかっていたのに、『似ているジャニス』にも少しはその愛情のおこぼれをもらえていると思っていたのだ。


 中性男子に免疫がないとこんなに簡単に心をもっていかれてしまうのだろうか。

 騎士団として町の詰め所にいる時は、優男に騙されて泣く下町の女の子だって色々見てきたのに。

 美男子にちやほやされて、知らず浮かれていたのだ。

 それでも、まだどこか、フロー様が私を亡き者にしようと思っているとは思いたくない自分がいた。

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