頁07:決意とは 2

     








 疲労など本来ならば感じるはずが無いであろう彼の体が、長距離走を終えたばかりのランナーみたいに激しく波打っている。


「ど、どう、して……どうしてアンタ平気な顔してんだよォォォォォ!!??」


 ほこり一つ付いていない、乱れもしていないスーツの、付着してもいない汚れを小さな所作しょさで払い落とし、ズレてもいない眼鏡の位置を片手で正す。


「男性と違ってんですよ。

「んな馬鹿なぁぁぁぁぁ!!!!」


 想像もしない展開にパニックを起こす彼に私は再び歩み寄る。


「ひぁっ、わっ、あ、来るなっ、来るなああぁぁ!!!! うるさい黙れ!!! あ、うわっ…!!」


 力を使うという判断も付かず、尻餅をつきながら転がる様に逃げ惑う彼。

 何なんだろう、この状況は。まるで私が悪者みたいな扱いをされている。

 いや…、彼にとっての【正しき事】を私は私の【正しき事】でし潰そうとしているのだ、ある意味その認識は正しいじゃないか。

 正義の反対は悪ではなく、また別の正義なのだから。


「落ち着いて下さい。少なくとも今、私はあなたに何もするつもりはありません」

「じゃあ何が目的なんだよォ!!」

「それはもう言いました。私は私が信じる正しさを、あなたの身勝手で危険にさらされる人々を守る事で貫きたいだけです。ついでにあなた自身も」


 そして何度目かの手を差し伸べる。


「もう取り返しがつかないならばせめて善処ぜんしょしましょう。私が必要ならば手は貸します。だから───」


 真正面から、再び彼を見据みすえる。


「行きましょう。に」


 あとは彼が決める事だ。それまでは私はもう微動だにするつもりは無い。この手を

 これはけなのかもしれない。勝敗のすでに決まっている───。


「…本当に、オレには何もしないんだな…? 嘘じゃないな?」


 あれだけの事をしておきながらよく言う。

 しかしそれはぐっとこらえた。…今は。


「あなた次第です」

「……分かったよ」


 彼がおずおずと私の手へ自らの手を伸ばす。私は彼の目をずっと見つめていた。だから、

 やがて我々の手が触れ───


「甘いんだよ!!! ………って、アレ…??」


 つかんだはずの手が消え、引き倒す心算つもりで込めた全身の力が空回りした彼は姿勢を崩す。

 しかし倒れそうになった体は地には伏さず、代わりに首に巻きつく腕、そして頭部を掴む手が上体を支える。

 勿論もちろん、私の腕と手だ。


「押し倒して力ずくではずかしめれば後はどうにかなると思いましたか? いかにも男性的で陳腐ちんぷな発想ですね」

「ひっ…」


 彼の背後から、耳元でそっとつぶやいた。先程のお返しでもあるが。


「ああ、【力】を使おうと思わないで下さいね。それ、もう


 集中して相手を感じていればどのタイミングで行動に移すかなど、武道をある程度かじっていれば自然と分かる。

 超大な力であれど実行に移すまでは結局は人間の思考スピードのままだ。それよりも早く反応できれば制圧は可能である。


「う、嘘吐き! オレには何もしないって言ったじゃんか!!」


 呆れた、どこまで自分に都合がいいんだろうか。


「あなた次第、って言いましたよね。もう忘れたんですか? それとも本当に馬鹿なんですか?」


 首を深く締め上げ頭を固定しているこの両腕。

 当たり前だけど人を殺した事なんか無い。でも、何度も自分が殺されている内に。どこに、どう力を加えたら───


「…! ふざけ───」

「はい」

 

 鈍く重い、命がへし折られる音が無音の空間に響いた。







 私は、私の意志で、彼を殺めたのだ。











   (次頁/08-1へ続く)







         

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