ユフの果樹園 〜ユフの方舟

Tempp @ぷかぷか

第1話 僕が生きるこの世界

 西暦2182年。ユフ暦80年ともいう。

 80年前にユフと名付けられた隕石が落ち、ユフに付着した微小なウィルスが世界に毒を振りまいて、あっという間に人の数は2/3まで減った。人は毒に抵抗するため、まず肺から侵入する毒を分解して無毒化するための触媒、酵素を作りだせるよう遺伝子を改変した。


 けれどもそのころには、すでに世界はユフによって重層的に汚染し尽くされていて、濃縮されてしまった毒は多少の酵素じゃ中和できないレベルに達していた。

少し、間に合わなかった。

 だから、僕らは酵素によってなんとか無毒化できた食物を口にした。つまり、僕らが食べられるのは人間だけだった。

 肝心の酵素は人体の中でしか作れなかったから。


 当初は改変を拒否する人間もいた。でも、ユフの毒は強力で、そんな人たちはとっくの昔にみんな毒で滅んだ。酵素がなければ、あっという間に体中が毒で汚染されて死んでしまう。

 今生きているのは酵素を持った、100年前と比べて1/3ほどに数を減らした人間たち。僕らはここ20年ほどでようやくバランスを取ることに成功して、人の数をほんの少しだけ増やすことができた。

 人類の未来にほんの少しだけ明るい兆しが見えていた。

 そして僕はそんな世界で働いていた。


「3番テーブル、OK!」


 その日も厨房は熱気とコンロの熱で沸き立っていた。溢れかえる様々な食材の香り。僕の声に、ギャルソンが皿を慎重にすくいあげてホールに向かう。

 僕が働いている『ヴァニタス』は、今最も注目されている最先端のレストラン。どんなに科学技術が発達しても、新たな味覚の発見に機械は取って代われない。


 僕の仕事はアントルメティエといって、前菜やスープを作る担当。毎日食材を切り分け、皿に盛って、ソースで幾何学的な絵を描く。

 この仕事は結構好き。今も2皿、素敵な絵が描けた。昔から絵を見たり描いたりするのは好きで、この職場にいられるのも僕の美的センスが買われたんだと思う。

 この絵はね、僕の大事な人が好んでいたもの。

 同僚や先輩からなんの絵なの? ってよく聞かれるけど、ちょっと説明しがたい。僕の秘密に関わることだから。


 僕の秘密、その前提となるこの世界のこと。

 僕らは人を食べないといけなくなってから、知恵を絞って考えて、人を2種類にわけた。


 『果実』と『庭師』。


 『果実』は20歳までのランダムな時期に、必ず食材となることを運命づけられた人たち。けれども、定められた収穫期が訪れるまでは、働くことなく思うがままに楽しく過ごす。趣味に生きる人も享楽にふけって暮らす人も多い。どこにでも行けるし欲しいものはなんでも手に入る。

 『果実』の人生に苦しみや悲しみは存在しない。科学の発展で病気になんてならないし、なってもすぐに無料で治療される。

 良い食べ物には良好な環境を。昔からも言われていること。


 『庭師』の役目は二つ。

 1つ目は『果実』への奉仕。

 『果実』が収穫されるまで、その幸福と健やかな人生に奉仕する。

 2つ目は伝統の承継、つまり人間性の残滓の保護。

 『庭師』は古い技術を学んで発展させ、毎日新しい試行や表現を考える。腕を磨いてデータにできない人の技を紡ぎ、何百年も前の人間性を次代の『庭師』に引き渡す。だから仕事に誇りを持つ人が多い。

 変わってしまった僕らの世界に、それでも人間を残したいという微かな願い。


 でも、『庭師』の生活は『果実』と比べてとても質素。朝から晩まで『果実』のために身を粉にして働き、その対価となるいくばくかの金銭で、その夜を生きるために必要な分だけのわずかなスープを得る。

 それに『庭師』は長く生きるけど、苦しみや悲しみも容認される。病気という欠損は人の感性には必要なものだから。治療は高額で『庭師』はなかなか払えない。


 前時代では人を2種類にわけるのは非人道的とずいぶん議論になったみたい。でも、結局僕らは人を食べないと生きていけない。『果実』ですら、『果実』を食べて成長する。

 だから、そんな議論はとっくの昔に終わらせて、『果実』には光り輝く圧倒的に幸福な人生という対価を支払うことにした。


 僕が働く『ヴァニタス』のお客は『果実』ばかり。

 『ヴァニタス』では、多くの『庭師』が毎日技を磨き、新しい味を作り上げている。僕も毎日、皿の上を新しいアミューズで満たし続ける。

 最先端の食事を提供する『ヴァニタス』は、特権を持つ『果実』でもすぐには予約がとれない数少ない人気店。お店の席数は限界があるから。


 僕は『果実』が注文した次の皿に、冷蔵庫で冷やしたテリーヌを型から外して切り分ける。これは僕の自慢の皿。この店でも特に人気が高くて、『果実』たちは僕の皿を食べて笑顔になる。

 僕が今皿に並べているテリーヌの原料も収穫された果実の一部。果実は収穫されたあとは、酵素が維持される可能な限りの限界点まで組織を培養されて、元の体積の何百倍かの量になって、『果実』や『庭師』に供される。


 7割の人は『果実』になることを選ぶ。


 『庭師』の中には、とびぬけた才能で莫大な給料を得て、『果実』にも匹敵する生活をする人もいるようだけど、そんなのは本当に一握り。ほとんどの『庭師』の人生は、客観的には『果実』に比べて不遇だから。


 8歳の誕生日、運命の日。僕らは自分で将来を選択する。

 親が『果実』でも『庭師』でも関係なく、平等に。

 だから子どもたちは選択の時までに世界の姿を見定めることを推奨される。親と過ごしても良いし『果実』と同様に自由に過ごしてもいい。

 6歳ごろから『果実』のように暮して、ツアーを組んで世界を回る子どもが多いかな。

 8歳で『果実』を選べば、以降は『果実』として生活するようになり、『庭師』を選べば本人の希望と適正に合わせて見習い仕事を始める。


 最初はクローンを作って食べようという話もあったらしいけど、クローンが不平等で可哀想だという声が上がり、結局全人類が平等に自分で選ぶことにした。

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