13-1

 フォシアははっと顔を上げる。

 青年の目は真っ直ぐだった。これまでに向けられたどんな眼差しよりも、涼やかで――澄んでいた。


「私に言える言葉ではありませんが……。でも、あなたは勘違いをなさっている。本当に卑怯で甘えることしかしない人間は、そんなふうに自分を責めない。……あんな目で、姉とその夫を見ることもしないはずだ」


 フォシアは唐突に胸を刺されたような衝撃を受けた。

 あんな目、というのが、先日のことだとなぜか理解できた。友人との茶会を中座して帰ってきたとき――ヴィートとルキアの親密さに打たれたとき。


 取り繕う間もなく、グレイと目が合ってしまった。


「あなたの目にあったのは嫉妬や憎悪ではなく、苦しみと悲しみでした。それは、卑劣さや身勝手から生じうるものではないのです」


 そう静かに告げられたとき、フォシアは息を止めた。

 見られたという羞恥が、何か別の熱へ変わる。その熱が目の奥を潤ませ、慌ててうつむいた。震える唇を引き結ぶ。


 こんな――こんなふうに自分を真っ直ぐに見て、善意に解釈してくれる人を知らない。ヴィートやルキアにすら押し隠していた暗い気持ちなのだ。


 でも、とフォシアの中の臆病が、震える声で反論させる。

 ――自分のためにルキアが神殿に向かったのに、止められなかった。


 いつものようにルキアがなんとかしてくれると思っていた。

 いやになるほど卑怯で弱い自分。なにもできない臆病な自分。


「……フォシア嬢」


 グレイが、抑えた声でフォシアの途切れ途切れの言葉をさえぎる。

 そして優しく被せて言った。


「あなたは自分を抑え、身を引いている。苦しみも嫉妬もすべて抱え込んだ上で。誰にもわかりうる勇敢な行動だけが、勇気と呼ばれるものではない。家族を思いやり、苦悩に耐えて己を律する……それもまた、勇気と言わずして何というのですか」


 ――あなたは卑怯な人間などではない。

 冷静に、けれど静謐な力強さを感じる声でそう告げられたとき、フォシアの喉は震えた。


 勇気。

 自分が持っていないはずの、持ちたかったものの名前。


 そんなはずはない、と心がとっさに反発する。だがグレイの声の不思議な強さが、胸の奥深くにまで染みた。

 ずっと隠していた醜い気持ち、後ろめたい感情――それを、確かに受け止められたような気がした。


 こらえていたはずのものが目の奥から決壊する。やがて堪えきれず、声を漏らして泣いた。


 グレイはただ黙ってそこにいた。どんな空虚な慰めを口にするでも、虚栄に満ちた態度を取るでもなく、正面に座ったまますべてを受け止めるようにそこにいた。


 ひとしきり泣いたあと、フォシアはハンカチを口元に当て、泣きはらした目を伏せた。


「……ごめんなさい。ひどい醜態をさらしてしまいました」


 隠しようのない鼻声で言うと、いえ、と短い答えが返った。

 少し歯切れの悪い響きがあり、フォシアは気まずい思いでおずおずと目を上げる。

 青年の目と合う。

 すると、グレイは少し瞬きをしたあと、視線を迷わせた。


「申し訳ありません。泣いてる女性にどう対応したらいいか……その、わからないもので」


 常の冷静で鋭い弁舌とはかけ離れた、ためらいがちの調子だった。

 フォシアは意表を衝かれたあと、頬を少し赤くした。


「こ、こちらこそごめんなさい。こんなふうに人前で泣くなど……」

「……いえ、感極まって涙する女性は多くいます。それが悪いなどということはまったくありませんし、私も対応がまったくできないというわけでは。ただ……」


 グレイはぽつりぽつりと答える。

 その声の調子がどことなくヴィートの口下手なところに似ていた。

 フォシアは一瞬状況も忘れて意外の念に打たれていると、彼は顔を少し背け、口元を手で覆った。


「その……あなたが相手だと、どうにも」


 冷静なはずの青年は、戸惑いを露わにしていた。

 フォシアはぱちくりと目を丸くする。あの小憎らしいほど冷ややかなグレイの素朴な一面に、涙も引っ込んでしまう。


『あいつもああ見えて結構不器用なところがあるんだ』


 かつてのヴィートの言葉が急に、強い実感を持って蘇ってくる。


「わ、私が……」


 フォシアもまた驚きのせいで、とっさにグレイの言葉を反復していた。

 ――私が相手だと、どうだというの。

 フォシアという人間が相手だと、他の――他の女性とは、何か異なるというのだろうか。

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