第2話:母が訪ねて三千里02
洗面台の前に座って自分を見る。見慣れた顔だ。左右対称ではあるのだが。
背後に鏡花。丁寧に俺の黒髪を梳いていく。一応髪の質は上々だ。寝癖さえ直せばサラサラと大気に揺れる髪となる。
「兄さんにはいつも格好良くいて貰わないといけませんしね」
軽やかに鏡花は言った。
「格好良い……ね」
目の前の鏡の少年が苦々しい顔になる。基本的に勉強も運動もそこそこ。父親曰く、「うちの息子の取り柄は顔だけ」である。そのご尊顔も既に見慣れているため特に価値あるモノとは思えないのだ。そう云うと、
「兄さんはとっても魅力的ですよ?」
何を今更と彼女が否定する。
「そもそうでなければ私が惚れるわけないじゃないですか」
そうも言われた。
「さいか」
気疲れを言葉に乗せる。
蓼食う虫も好き好きなんて言葉もあるしな。義妹の趣味の悪さとも長い付き合いだ。髪を整えると俺と鏡花はダイニングに顔を出した。
「おはよう」
鏡花に似ている……あるいは鏡花を似せた遺伝子の持ち主である魅力ある女性が爽やかに声をかけてくれた。
鏡花の実母で俺の義母。
「おはようだ」
新聞を読んでいる父親も挨拶をかけてくる。
俺の実父で鏡花の義父。
この二人が結婚したため俺と鏡花が兄妹となった経緯。ま、そゆこと。俺と義妹はダイニングテーブルの席に隣り合って座り朝食をとる。
「いただきます」
それを起点に。
「今日からまた学校かぁ」
俺は嘆息した。今日は九月一日。飯は美味さには影響しないが面倒事は俺のことさら嫌うモノの一つだ。
「残暑は厳しいですが……しょうがありません」
サラリと鏡花が言う。
「夏休みがあっただけ有り難いと思え」
父親がそう皮肉った。出版社勤めの父親は夜遅くにしか帰ってこられないブラック企業も真っ青の職場で働いている。家族を支える大黒柱も大変だ。
「そういえばお向かいさんはどうなった?」
俺はそう言った。夏休みから始まったお向かいさんの家の建築についてだ。途中経過を見るに豪邸が建つはずだが……はてさて。何せ元々のお向かいさんだった三つの家を取り壊してからの建築だ。神鳴市の高級住宅街とはいえ非常識にも程がある。
「既に完成してるみたいね」
母親がそう言った。
「わかるんですか?」
白米をもむもむ。
「表札が出てたから。たしかゴールドーンって書かれてたわ」
母親はぼんやりとそう言った。
「外国の家族でしょうか?」
鏡花が首を捻る。これには理由がある。
「日本の名ではないしね」
母親の尤もな意見。
「しかしあれほどの豪邸ともなると相応のお金持ちなのだろうな」
父親が疲れたように言った。同意しておく。
「いいじゃない」
と話題を収束に導いたのは母親だった。
「引っ越し蕎麦は期待できないけどご近所同士助け合えれば」
基本的に良い人なのは母親の業である。
ここでうだうだ議論して得られる回答でも無いため不毛には違いない。
「馳走様」
俺を一拍して食事を終えた。
「あーあ」
今日から学校だよ全く。教養が近代国家の支えと民度の水準になっている以上、国民はすべからく教養を身につけねばならない。軍事力とは別の意味で重要なファクターである。そのため勉強に否定的であるのは国家の屋台骨を揺るがす蛮行である。
あまり知ったことでもないのは……俺の性だ。
俺は鏡花がアイロンをかけてくれた白シャツを着て黒のトラウザースを穿く。都立鶏冠高校は男子が学ランで女子はセーラーが指定制服だ。夏休みが終わったとはいえ残暑の厳しい季節。さすがに学ランを纏っては汗で濡れ鼠になるためシャツにパンツだけなのは自然な流れである。
「兄さん、準備は出来ましたか?」
ヒョコッと俺の私室に顔を出してくる鏡花。
「ああ」
頷いて学生鞄を持つ。彼女も既に学生服仕様。黒のセーラー服だ。夏でも冬でもセーラー服ではあるが生地の厚みが違うことを明記しておく。つまりは夏用セーラー服と……そういうこと。それがまた彼女を引き立て……俺がサラリーマンなら援助交際を申し込みたいくらいに魅力的であった。例えについては忘れてくれ。
「では参りましょう」
義妹が俺の腕を取る。抱きついてきてニッコリ微笑む。
愛らしい仕草ではあるが、
――兄妹にてそれはどうなんだ?
「とまれ」
俺はスマホを動かした。
「今から行くぞ」と。カシカシ。
「また朱美さんですか?」
鏡花は不満そう。今更だ。罪な男だな、俺は。
「クラスメイト同士仲良くな」
それこそ今更であるも。ちなみに俺と鏡花は連れ子の関係上、兄妹ではあるが同じ学年である。さらにいえばクラスメイト。そして鏡花の言った『朱美』もまた俺と関係の深いクラスメイトである。
「いってくる」
「いってきます」
俺と鏡花はそう言って家を出た。
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