第6話 『オテサーネク』の唇

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 こんにちは。ようこそお越しいただきました。

 ここはダラダラと映画のイメージを述べていくエッセイです。大抵映画の感想ですらない。


 さて、だらだら映画エッセイ流れ第6弾はリクエスト頂いた『ヤン・シュヴァンクマイエル』です。

 これは! ホラーでは! ない!

 ……と断言できるかどうかは少し不安。ヤン・シュヴァンクマイエルはチェコの監督だ。本来はアニメーションの監督かな。

 自分としては『古典的2.5次元監督』の名を進呈したい。同じ名を進呈したい監督はもう一人いて、レイ・ハリーハウゼン監督。こちらは特撮の方でとてもキュート(?)なのだ。そのうちなんか書こう。


 えっとまず注意書き。

 この監督は複雑な背景を持っている人で、その作品の中には案外こじれた政治色が結構濃く注入されている。でも自分はチェコ人じゃないからこのあたりは全部カットして、普通に日本人が見たときの映画の感想として書く。だから『戦闘的シュールレアリスト』とか『スターリン主義の終焉』とかそういう方向性の話は一切ない。


1.ヤン・シュヴァンクマイエルはロリコン

 さて、この監督は結構好みがわかれると思う。

 なぜなら『気持ち悪いこと』を映画における日常の基礎に置いているからだ。普通のサスペンスやホラーのように、普通の世界から『気持ち悪い世界』に巻き込まれていくのとは違って、監督の描く世界はそもそも異界で『気持ち悪い』。その『気持ち悪い』異界のなかで息ができる人は納得と興味部深さを覚えられるだろうし、無理な人はただひたすら『気持ち悪い』という印象しか抱けない気はする。

 SAN値が測られてる感。

 ある意味監督の属性が初見殺し。多分1作見て無理なら他のも全部無理。


 今回のテーマは『オテサーネク 妄想の子供』という作品をタイトルにしてみたけど、見た時の感想の手控えがあって有名な作品っていうだけでチョイスしたのであって、他の作品も傾向はだいたい同じです。

 自分は『オテサーネク』のほかは『ルナシー』、『アリス』、『悦楽共犯者』あと短編をいくつか見てる。


 この監督の飛びぬけたもの。ずばり、ロリコン。

 しかもかなりこじれたロリコン。でもここで言うロリコンは単に年齢の話じゃなくて、子供特有の幼児性っていうのかな。ロリコンの精神性? の話だ。

 自分が何を言っているのがいまいちよくわからないが、要するに登場するのが一見妙齢の女性に見えていてもその属性が付与されていれば幼児性を有している。

 あ、ちなみにロリコンというのは監督の特徴であって、作品の特徴ではありません。わかりやすく……例えば『アリス』では幼女を全方向から部位を詳細にズーム撮影している。病的な何かを感じる。胸とか尻じゃなくて、耳の穴とか指とかそういうのをひたすら拡大して映しています。これ合わせると幼女のフルデータができるんじゃないかってくらい。


 それでどうこじれてるかと言うと、ストップモーションだとか2.5次元な異界に世界を置くのに極度に3次元的な肉感が画面をあふれ出ている。でもこれ一般的なエロとは随分方向が結構異なる。これは言葉で説明するより見てもらったほうが早いんだよな。でも頑張ろう。

 この監督の作品の特徴を2つに絞ってみた。

 1つ目は気持ち悪さの描き方のうまさ。

 2つ目は触感に訴える生々しさ。


2.ヤン・シュヴァンクマイエルは気持ち悪い

 さて、この監督の作品の1つ目の特徴は気持ち悪さの描き方のうまさ。

 言ってしまえばヤン・シュヴァンクマイエルの世界観は基本的にはダークな童話、又はディストピア的世界観だ。

 『オテサーネク』はチェコの民話の人を食べる木で、『アリス』はそのまま不思議の国のアリスの改変(原題を直訳すると『アリスのなにか』)。『ルナシー』はエドガー・アランポーの作品の合体。『悦楽共犯者』はまあ、変態が集まってそれぞれの好きなエロ道具を真面目に作る話。


 どこか身近な、けれども異界。そんな世界観。

 で、この監督のすごさは、この異界感の絶妙さにある。


 この監督の映画を見てると不快感というか居心地の悪さを感じる。でもこの居心地の悪さが独特だ。自分の理解の範疇を超えそうな時に起こる気持ち悪さ。でも超えてはいない。超えたら『異常な世界』になってしまうそのキワ。

 正常と異常の曖昧なすき間をついて、何がおかしいのかよくわからないけど何かがおかしい、という気持ち悪さと齟齬を世界に振りまいている。

 なんていうのかね、「お前おかしいだろ」って指摘できないギリギリの気持ち悪さ? でもひょっとしたら自分の感覚がおかしいんであって、普通に見たらぶっちぎりでおかしいのかもしれないけど。


 そしておかしな人物の描き方も異常にうまい。

 普通の作品でよく描かれる『おかしな人』っていうのは、普通の人に何かの要素を追加しておかしさを演出することが多い。例えば普通の生活を送りつつも人の腕を切り取らなければ満足できない、というような異常さを付け加える。

 でもこの監督の描く異常さは引き算な気がする。普通の人が通常持っているものから何かが欠けたからおかしくなった、その奇妙さ。でも一見普通に見えるというか。例は難しいんだけれども一見普通の人に見えるけれどもおなかがゼンマイで出来ていて内臓がないとかそういう類の異質さだ。

 付け加えられてないから、外見からは一見普通に見えるところの違和感や不安定感というかゆらぎが、奇妙さと居心地の悪さを醸し出しているのかもしれない。

 奇妙な世界観と相まったこの奇妙な登場人物たちは映画を狂乱に導くけれども、それはこの世界の中での通常運航な普通の世界として描かれる。

 うーん、すごく、気持ち悪いな。ぐるぐるぐる。


3.ヤン・シュヴァンクマイエルは生々しい

 この監督の作品の2つ目の特徴は触感に訴える生々しさ。

 この監督は視覚じゃなくて触感で不快感を与えようとしていると思う。

 映画というのは元来視覚と聴覚に訴えかけて脳内に再現させるものだ。でも視覚じゃなくて触覚に訴えかけているようにしか思えない。

 観客に目で映画の中の幼女を通して肉や気持ち悪いものを触らせようとしている。


 最初に監督の画風について説明してみる。

 冒頭に書いた通り、ヤン・シュヴァンクマイエルはアニメーション監督でもある。だからその映画にはアニメ的表現が多分に混ぜられている。

 特に多いのがストップ・モーション。コマ撮り映画ともいうかな。クレイアニメとかそういうのにも多用されている奴。ピングーとかこまねことかなら動いててかわいい。けれどもこの監督の映画は普通の3次元の映画映像にそのコマ撮りされた画像が合成されている。

 コマ撮りって普段見ている人物やモノと異なる動きで近づいてくるものだから、よけに印象に残る。イメージ力が高まって生々しく感じるような気がする。


 それでこの監督が動かすものは実に生々しい。

 『オテサーネク』の切り株は触手じみて人を襲う。『アリス』を誘うリアルなウサギのはく製と床に穴をあけて出入りする芋虫を模した靴下。『ルナシー』ではリアルでざらついた肉や舌が立体的に動く。短編では粘土自体も結構多用される。

 そして自分の感覚として再現されやすいところを突いてくる。

 例えば昔の学校にあったような校庭を掃く木の枝で出来たホウキに絡みつかれて捕まえられる。擦り傷とか切り傷とかできそう。はく製のごわごわした感触。舌は自分にあるものだし肉触ったことも食べたこともあるだろう。粘土の触った時の感触はなんとなく根源的な記憶になっている気がする。

 そういう身近で触れたことがあったり触感が想像つくものをコマ撮りという目立つ手法で印象付けることで、妙にリアルな触感というのが自然と想起させるんじゃないかな。


 生々しい映像で一番特徴的なのは『肉片の恋』なのかな。

 『オテサーネク』の劇中CMに『肉片の恋』というのがある。

 これはタイトルで動画をググれば出てくるかも。

 1分くらいの短編なので視聴をお勧めうるところだが、ブロック肉から2枚に切り出された肉がストップモーションアニメでいちゃいちゃして最後にパン粉をつけて揚げられる。それだけの1分ちょっとの映像。

 この尺でこれほど生々しく感じられる映像はなかなか無い。リアルに見えるよう過度に発色良くはしてあるのだけれども、切り出された肉が踊り喋る映像は触感を呼ぶ。

 まあそんなふうにこの監督は生々しさを前面に出して、見てる人の視覚じゃなくて触感に訴えかけてくるんだ。

 だから、幼女はウフフと微笑むのではなく、ズルズルベッチャンと皿を舐めて食べ物を汚く食べる。


4.ヤン・シュヴァンクマイエルの幼女

 ロリコンに戻るけど、この監督の作品に登場するのは幼児性を持った或いは自分に正直な人たち。幼女多め。でもね、ここにでてくる幼女って、ロリの人が好むような『純粋無垢な幼女』とか『大人になる過程の青いなんたら』というものとは全く違う。


 全く!

 全然!

 かけらも!

 そういえば老成して論理的に考える人物、というのはこの監督の映画にはほとんどいないな……。


 この監督が描く子どもと言うのはそんなにいいものではない。

 『オテサーネク』でも『アリス』でも幼女はニコニコ笑ったりしない。オーバーアクションだし癇癪持ちで浅慮でずる賢くて不潔だ。近所の子汚いガキより数倍酷い。でも凄く肉感的で3Dが酷い。夢がない。

 思い返せばこの監督の作品の特徴として、幼女じゃなくてもやたら口の映像が出てくる。口が色々なものを咀嚼する。ペロペロというよりはズルズルベッチャンという汚いというか生々しい音を立てる。『オテサーネク』なんて食べ物がだいたいゲロ。

他の作品でも舌だけでてきてひたすらなめまわしていくというのがあるな。つまりここに出てくる2.5次元幼女はひたすら下品な方向で肉感的だ。

 あらためて考えてみたけど、幼女にしろ変態にしろ、この監督の登場人物は自分の触覚に酷く正直で、その映像はひたすらある意味下品に触覚に訴えてくる。なめ回す舌、動く肉。この登場人物たちには触感しか設定されていないような気すらする。触覚に訴えてくる視覚情報。そんなものはこの監督以外ではめったにお目にかかれないな。

 えっと、デヴィット・クローネンバーグ監督は少し同系統かも。

 突き詰めていくと、この監督が描くものには、映画としての娯楽性とは離れて哲学的とか政治的なものが多分に含まれているので、よくわからないところもある。

 でも多分、目で見て色々賢しらに考えるよりは、目で感じて色々気持ち悪く思ったりゲロったりエロい気分になったりっていうほうが監督に喜ばれる気はするな。


さて、そんな感じで今回はここまで。

上記の話は自分が勝手に思っていることなので、一般的な感想とは乖離していることがあります。次は一応サメ映画を予定しているけど、正直ホラー映画ブログだと思われてる気がしなくもない。

当エッセイは常にリクエストを募集しております(見てなければリクエストに添えないすみません。)。


See You Again★

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