第2章

REQUEST31 神童と過去―1

 暗い、暗い路地裏の一角で、蒼髪の女性が倒れている。彼女は腹部に深い傷を負っていた。



「……うぅ、」



 ぐったり横たわる女性は、己の血の海で必死にもがく。その視線の先には泣きじゃくる男の子がいた。


 ああ、これは俺の夢だ。母さんが亡くなってから数えきれないほど見てきた昔の記憶だ。



「ごめん、なさい……ごめんなさい……!」

「……謝らないで。あなたのせいじゃないわ、ガウェイン」



 蒼髪の女性――ユリアは手を伸ばし、俺の頭を撫でようとするが、もはや身体が言うことを聞いてくれないようだった。

 と、その時である。



「イいえ、少年。君の母親が死ヌのは、まギれもナく君のせイですヨ」



 感情の窺えない声が小さく響いた。

 路地裏の闇から姿を見せたのは、ダークコートに身を包んだ仮面の男。



「……余計な、ことを言うな……ッ」

「あマり興奮しナい方が良いですヨ? 一秒でモ長く息子といたイなら、ネ。アハ、アハハハ!」



 男は仮面の中で愉しそうに笑って、右手に持つ細剣レイピアをビュッと振り下ろした。刃にべっとりと付着していた血が地面に叩きつけられる。



「ホら、少年。君も男ナら、その剣デ挑んでキたらドうでス? 勝テるかモしれまセんヨ?」



 仮面の男は俺の腰にある黒剣を顎でしゃくる。この剣は先日迎えた十歳の誕生日に母さんからもらったガラティーンだった。



「……っ」



 子どもの俺は恐怖で動けなかった。ガチガチと歯を打ち鳴らし、怯えることしかできなかったのだ。



「剣を抜クことモでキないトは。本当ニ騎士王の血ヲ引いてイるのでスか? 正直、期待外れでス」



 仮面の男は細剣を俺の首に這わせる。出血が赤い線を描いた。

 俺はこの時、生きることを諦めていた。死にたいとすら思っていた。



「たダの子どモですネ」



 幼い頃から剣の才能に恵まれ、神童ともてはやされていたが、俺は母親の窮地に剣を引き抜くことすらできなかった。

 ただその場に腰を抜かし、泣きじゃくることしかできない自分の弱さに、絶望していたのだ。



「気ガ変わリましタ。君は殺しマせん」

「……え?」

「君ハ生かシた方が苦しミそうダ。――ナので、片目ダけ頂キますヨ」



 一瞬、何が起きたのかわからなかった。左目が熱くなり、何も見えなくなる。

 それから数秒遅れて、今まで経験したことのない激痛が襲ってきた。



「うわぁぁああああッ!?!?」



 仮面の中で男が嗤った気がした。

 細剣を鞘に戻し、男は俺に背を向けると。



「生キて、生キて生キて生キて。絶望しなさイ。死にユく母親ヲ前に、無様に涙を流すコとしカできなかっタ自分を恨ミなサい」



 笑いを堪えるように言って、路地裏の暗闇の中に消えていった。

 直後、どこからともなく気味の悪い笑い声が聞こえ、しばらく続いた。



「――お母さん、お母さんッ」



 仮面の男が立ち去って数分後、ようやく我に返った俺は母親のもとに這っていく。

 うまく足が動かなかった。左目の痛みで身体が震えていた。



「…………ごめんね、守っ、て……あげられなくて」



 母親の声に力が入らなくなってきていた。



「謝るのはッ、ぼくのほうだよ、お母さん……ッ!」



 薄れゆく命の気配を感じ、右目から再び涙が溢れ出す。血だまりは冷たくなっていた。


 そこまで見届けたところで、世界が音を立てて崩壊しはじめる。

 ああ、またここで目が覚めるのか。いつもと同じ場面で俺の夢は終わりを迎える。

 これは罰だ。母さんの死を受け入れることができず、いまだに逃げ続けている俺への罰だ――







「――ッ!」



 目が覚めると、そこは傭兵団の事務所だった。

 心臓がうるさいくらい脈打っている。俺は泣いていた。

 左目の古傷がズキズキ痛む。



「……はは、は。こんな情けない姿、母さんには見せられねぇな」



 大きく呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせる。

 こんなところを誰かに見られるわけにはいかない。



「いつの間にか寝ちまったか」



 強い虚脱感に襲われながらも、柱時計に視線を向ける。

 時刻は十七時を少し回ったところだった。


 今日は月の曜。

 傭兵団の仕事が休みなわけではないが、月の曜は他の曜日に比べて暇なことが多いので、俺一人で店番をしていた。



「あいつらはまだ帰ってきてないか」



 コノエ、ハク、ルルフィの三人は夕飯の買い物に出ている。

 ゆっくりしてこいと伝えたので、どこかでお茶しているかもしれない。



「…………」



 昔の夢を見た直後だからか、ローテーブルに置かれた黒剣――ガラティーンに目がいく。

 震える身体に気合を入れて、俺は母さんからもらったその剣に手を伸ばした。

 剣の柄に手をかけ、そのまま引き抜こうとする……だが。



「クソ。どうしてだよッ」



 うまく力が入らない。血の気が失せ、息遣いが荒くなる。

 結局、俺はまた諦めてしまった。剣をローテーブルの上に戻す。



「ん?」



 不意に、ドアノッカーを叩く音が玄関から聞こえた。

 これを鳴らすということは、うちのケモ耳幼女たちではない。



「……へいへい。今行きますよー」



 頭を振って立ち上がり、いつもの調子で玄関へ向かうと。



「こんな時間に誰ですかっと」



 俺はけだるそうにドアを開けた。



「……久しぶりだな、ガウェイン」



 玄関を開けた先に立っていたのは男女の騎士だった。

 俺は二人の顔を見て言葉を失ってしまう。  



「ロイ……フラン……」



 銀鎧とサーコートに身を包むこいつらは、俺の古い友人――家出してから疎遠になっていた幼馴染たちだった。




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