REQUEST3 消えたワイバーン
「もしかして俺たち、かなり貴重な体験をしたんじゃなかろうか」
大空を飛んでいく紅炎龍の姉妹を見送りながら、俺は誰に言うでもなくぽつりと呟いた。
「そうね。天下に名高きこのアタシも龍族と会ったのは初めて――ッ!? んっ、ちょっ! そこはやめ、て」
胸を張って、意味もなく偉そうに喋っていたコノエが、突然その小さな身体を掻き抱いて悶え始めた。
まぁ、それは俺が弱点である狐耳の先っちょを撫でくり回しているのが原因なんだけどな。
先ほどさんざん笑われた俺からのささやかな仕返しである。
「って、いきなり何すんのよこのバカッ!」
フーッ、フーッと息を荒げながら、コノエは肩を怒らせている。
ハッ! この姿が拝めただけでも、危険を冒した甲斐があったというもんだ。
「変態変態変態変な顔ーっ!!」
「ぐぇっ!? か、顔は生まれつきだ。この野郎……」
腰の入った正拳突きを受けて、一瞬だけ俺の身体が浮遊する。
相変わらずえげつない威力で、あまりの痛さに声を出すのも一苦労だった。
「だんちょも懲りない人。そんなことしたら、コノちゃんに殴られるのわかってるくせに」
「お、男にはな、こうなるとわかっていても、やらなきゃなんねぇ時があんのさ」
鞘に収まったままの黒剣を腰から外し、それを頼りによろめきながらも立ち上がる。
ハクの言う通り、コノエの奴をからかえば、このように拳がくるのは俺だって承知の上だ。
「いつもいつもいつもいつも。軽い気持ちでアタシの耳を触りやがって」
膝を抱えながら地面にアルカ語で『の』の字を描いているコノエを見て、俺は心の中だけでほくそ笑む。
気をつけないといけないのは、この気持ちを死んでも表情に出さないことだ。そんなことしてみろ。今度こそ
いつもは手加減してくれているが、恥ずかしさが限界突破するとタガが外れるらしいのだ。俺は一度それで死にかけたこともある。
「あの、さ。だんちょ。お楽しみ中に悪いんだけど、少しいい、かな?」
それまで呆れたように俺たちを見守っていたハクが、おずおずと右手を上げながら言った。
「ん? どうしたんだ?」
「ハクたちこの後、依頼のためにワイバーンを十体ほど狩らなきゃ、だよね?」
いつものように淡々と言葉を並べる虎耳さん。
ハクは感情表現が得意じゃないらしく、普段は常に冷めたような無表情で過ごしている。わかりやすく表情が変化する子ではない。
それでも、こいつと出会ってから早一年。今ではなんとなくだが小さな表情の変化もわかってきた。
「……ねえ、だんちょ。ちゃんとハクの話、聞いてるの?」
おっと怒られてしまったか。
俺はきちんと謝り、もう一度ハクに意識を戻す。
「悪い。少し違うことを考えていた」
「もう、しっかりして」
そう言うハクの顔は、少しムッとしているようだった。
この若干の違いがわかるようになると、実は感情豊かなことに気づくのである。
「じゃあ、再開してもいい?」
「ああ」
さてさて、この虎耳っ娘は俺たちが請けている依頼のことで何か言いたいことがあるらしいのだが、一体どうしたのやら。
俺は腕を組みなおして、ハクの声に耳を傾ける。
「もう一度言うけど。ハクたちは今日、ワイバーンを倒しに来たんだよね?」
「おう。隣で武器屋やってるルドルフ爺さんに、素材調達を頼まれたからな」
「まだ気づかない? ハクたちの周囲一帯、ワイバーンがいないの。気配も感じないわ」
「あ」
紅炎龍と楽しく会話をするという貴重な体験をして、俺は少し浮かれすぎていたのかもしれない。
確かに言われてみれば、辺りを見渡すかぎり、ワイバーンの姿が見えない。
いつもはうるさいくらいの鳴き声だって聞こえやしない。
「きっとサラさんに驚いて、どこかへ隠れちゃったんだと思う。またここに再び戻ってくるかはわからないよ」
ワイバーンにとって紅炎龍――というか龍族は、絶対的な畏怖の念を抱く対象。
紅炎龍が姿を見せたこの場所を、再び棲み処として戻って来る可能性は低いだろう。
「仕方ねえ。今日はやめとっか」
ガシガシと乱暴に頭を掻きながらしばらく考えた結果、今日は諦めて帰ることに決めた。
気配察知に長けたハクが、ワイバーンはもうこの辺りにいないと言っているのだ。
これから日が暮れるまでさがし歩いたとしても、怯えて敏感になったワイバーンたちを果たして見つけられるだろうか。いや無理だろう。
「明日また、ここにくる?」
ハクは俺の顔を横から覗き込みながら、いつもと同じ口調で尋ねてくる。
「いや、明日はもう一つの狩場に行こうぜ。ここはもう当てにならん」
「りょーかい」
「うっし、じゃあ帰るか。悪いが、帰りもひとっ走り頼むな。ハク」
「うん」
反るように身体を伸ばすと、鞘に収まった黒剣を再び腰の剣帯に装着して。
いまだにいじけているコノエを、ちらりと流し見る。
「ほら、コノエも行くぞ」
「ん」
短く返事をしたコノエは、顔を伏せたまま俺の前まで来ると、
「お、おいっ。待てって。またアレか?」
「うっさいわね。別にいいでしょ? アンタからすればご褒美じゃないの」
強引に背中へよじ登り、おんぶしろと言わんばかりにしがみつく。
俺は口では悪態をつきながらも、手を後ろにやってコノエの身体を支えた。
「はいはい、世話のかかるやつだなお前も。そんじゃま、ちょっと途中までは歩いて帰るか」
コノエには意外と甘えん坊な一面もある。
出会った当初は、ことあるごとに「この下等種族が」と罵られたものだが、最近はそこまで言われることはない。
そう考えると、少しは仲良くなれたのかなと嬉しくなる。
「うわっ、きっも。アンタなんで笑ってんの?」
「うっせ。文句あるなら降りろ」
こうして俺たちは、拠点である城郭都市ティエーリへの帰路につく。
やけにハクの羨ましそうな視線を感じたが、わざと気付かないフリをした。
すまん、ハク。今度お前が好きな甘いお菓子でもご馳走するから許してくれな。
◇
「よーし。じゃあハク、そろそろ降ろしてくれるか? ここからはいつも通り、街道を歩いてティエーリに入ろう」
白き大虎――ハクはコクリと頷いて。少しずつ走る速度を落とすと、緩やかに立ち止まった。
毎回、白虎姿のハクに乗せてもらう時は、木々が生い茂る森の中を移動している。
森は基本的に魔物たちの縄張りだ。そこに自ら進んで足を運ぶ愚か者は、俺たち以外いないだろう。
ハクが幻獣族というのは俺たちだけの秘密だから、あまり他人には見られたくないんだ。
もちろんコノエが大精霊だってことも隠している。正体がバレると、厄介事に巻き込まれる可能性もあるからさ。
あ、それと一応言っておくけども、ハクにお願いすることはあくまで最終奥義みたいなやつだ。
今回のような遠いところに行く場合でなければ、竜車や乗り合い馬車を使ったり、徒歩で移動している。
「いつも悪いな」
「ありがとね、ハク」
大きな背中から飛び降りた俺とコノエは、真の姿に戻っているモフモフの白虎を、感謝の気持ちを込めて撫でる。
すると、気持ちよさそうに目を細めたハクの全身が淡い光に包まれて、
「ふぅ」
再び人型の虎耳幼女へと姿を変化させた。
それからハクはふるふると顔を左右に振り、片手を上げて力いっぱい身体を伸ばした。
こういうところはやっぱり猫っぽい。白虎は猫の仲間なのだろうか。見た目も似ている気がする。
「やっぱ日帰りで行ってこれるのはありがたいな。ハクには苦労をかけるけど」
先ほども少し言ったが、本来ならヴォルカニカ活火山の麓まで行くのに日帰りは厳しい。
徒歩では確実に不可能な距離だし、竜車や馬車だとしても、車や荷台を引いて走る竜や馬の疲労を考慮しなければならないからだ。
しかし、俺たちには超スピードを誇る白虎のハクがいるおかげで、速い竜車でも片道六時間かかる道程を二時間で帰ってこられる。
おいおいそんな速度で乗り心地はどうなってんだと思うかもしれないが、これが意外と快適でしてね。
背中の上はハクの風魔術で、ちょうど良い感じの環境に保たれているのだ。
「ハクのおかげで暗くなる前に帰ってこられたわ。頑張ったわね」
「うん」
コノエに後ろから抱きつかれて、くすぐったそうに身をよじるハク。
種族は違えど、二人は実の姉妹のように仲が良い。素晴らしいことだ。
「さて、と。それじゃ街道に入りますか。コノエ、いつも通り頼む」
「まっかせときなさい!」
コノエの大事な役割は威嚇。
圧倒的なまでの殺意を周囲に放ち、魔物の襲来を未然に防いでもらっているのだ。
「ハク、どうだ?」
街道近くにある背の高い草むらに身を隠しながら、隣に座るハクに問いかけた。
気配察知の点に関しては、この中にいる誰よりも広範囲に渡って観測可能なため、自然とハクの仕事になっている。
たまにコノエも気まぐれでやるけど、こいつはあの……自由な奴だからさ。気分が乗らないとやってくんないんだよ。
ハクに劣るとはいえ、ほぼ同じレベルの気配察知能力を持っているのにさ。
「もう少し待って」
瞑目していたハクが、ひとしきりの沈黙を経て瞼を開けた。
深い青色の瞳を俺に向けると、的確な情報を教えてくれる。
「あと数分で三十人ほどの集団が来る、よ。たぶん、乗り合い馬車と護衛の一団だと思う。その人たちが行ったら、しばらくは大丈夫、かな?」
「了解。本当に助かるよ」
「だんちょの力になれるなら、ハクも嬉しい」
◇
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