昭和四十一年、東京より。

げこげこ天秤

Epilogue


 雨が降っている。





 雨音に生まれ変わりがあるのだとしたら、それはきっとレコードのノイズなのだろう。周波数が異なるとしても、二つの魂が奏でる音は同じ。だから、喋り声がレコードのノイズに吸い込まれていくように、拳銃の乾いた音は、たちまち湿って水煙のなかへと霧散していった。


 世界は白黒モノクロ鈍色にびいろの天から降り注ぐ雨粒が、私の黒髪を激しく撫でては、体温を灰色の地へと連れ去っていく。そうして、アスファルトの上で、私の体温と君の体温が混じり合う。君の赤と混じり合う。灰色の世界に君の体温を連れて来たものは、この世で最も奇麗な唐紅からくれないの色をしていた。


「……へへ……てて……――やるじゃん、ソーニャ」


 君はまるで背中を叩かれた時と同じように笑った。けれど、もはや自重じじゅうを支えきれなかった君は、血が溢れ出る左胸を抑えながら電信柱に背を預けた。しっかり狙ったのに、急所は外れている。――流石はロキシーだね。心のなかで称賛しつつも、私は無言のままにマカロフPMの銃口を君の眉間へと向けた。


 ロキシー・ヘルナンデス。

 日本で活動するCIA工作員。

 殺される理由は彼女自身も分かっていた。


貴方あなたが手にした機密情報それは、新しい闘争原理の名前。アメリカはきっと、ヴェトナムの次に、を闘争原理の名前に使う。だから、世界平和のために死んで」


 ミールМирのために死んで。そう私が言ったら、君は悪戯っ子のように「やーなこった」と舌を出した。こんなところで私の旅は終わらないから。痛みに堪えながらも、歯を見せて笑う彼女は、いつか一緒に見た明星みょうじょうと同じ光を放っていた。くそ、最期の最期までそうやって笑うのか。こみあげて来た感情を奥歯で噛み殺す。

 

 もし、雨音とレコードのノイズが同じ音を奏でる魂を持っているのだとすれば、ロキシーと明星みょうじょうの魂は同じ琥珀色をしていた。この白黒モノクロの世界に、色があると教えてくれた君。世界は光で満ちていると教えてくれた君。流れ出る君の体温の前では、共産主義の赤私の信じる唯一など色褪せて見えてしまう。


「ねぇ、ソーニャ。世界が違ったら、一緒にいられたのかな?」

「さあね」

「最期くらい気を遣えないの? ――共産主義者」

「最期くらい黙って逝ってよ。――資本主義者」


 雨音が会話を何処かへ連れ去っていく。聞こえるはずのないレコードの音が、銃声を溶かしていく。代わりに、何処からともなく星の歌声のように響くグロッケン。二人を包み込む幻聴の名前は『星影のワルツ』。降り注ぐのが雨でなくて星であったなら、運命は違ったのだろうか。


「別れに……星影の……ぉ……ワルツを……歌……ぉぅ……」


 最期に君は歌っていた。

 君が大好きだった歌を。







 *****



 

 誰だ、こんな結末を用意したのはッ!?

 許さない!!


 そうか。そうですか。そっちがその気なら、私にも考えがありますよ。二人が死ななきゃいけない運命なんて、世界なんて、そんなの私が変えてやりますよ!! 


 だって私は――











    『昭和四十一年、東京より。』











 

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