第43話 真知子の恋
「ふうぅ~」
共有スペースのいつものソファで、私は物思いに沈んでいた。
「どうしたんだよ」
そこに美由香がやって来て、そんな私に声をかける。
「玲子さんのこと・・」
玲子さんはまだ、保護室からできていていなかった。
「気にすることねぇよ」
「私が・・」
私が玲子さんを・・。自責の念が私を苛む。
「退院も近かったのに・・」
「あいつはもともと壊れてたんだよ。最初っから、退院なんて無理だったんだよ」
「・・・」
でも、やっぱり私が悪い気がした。
「ところで例の彼氏はどうなったんだよ」
「えっ」
私はドキッとする。
「・・・」
「どうしたんだよ」
うつむく私に美由香が訊ねる。
「傷つけちゃった」
「何をだよ」
「直志さん」
「いいだろそんなの」
「でも」
「男はいいんだよ。そんなんで」
「そうなの?」
「ああ、そういうもんだよ。男なんて思いっきり傷つけてやりゃいいんだ。そのくらいが丁度いいんだよ」
「・・・」
でも、私にはそんなことできないし、やっぱり、心を苛まれる。
「やっぱりか」
美由香が、そこで突然、訳知り顔で言った。
「やっぱり?」
私は美由香を見る。
「やっぱり、あいつはお前のこと好きだったんだな」
「そ、そんなこと」
私の顔が赤くなる。
「なんだよ、うれしくないのかよ」
「・・・、そういうわけじゃないけど・・」
「じゃあ、いいじゃねぇか」
「うん・・」
でも、なんだかそいうのは自分じゃない気がした。それに・・。
「どうしよう」
「何が」
「だって・・」
私は人から好かれたことなんかなかったし、まして男の人から好きだなんて、そんなこと想像すらしたことがなかった。だから、私の中であり得ないことで、だから、どうしていいのか分からなかった。
「私みたいな・・」
私みたいな醜い人間なんて、愛される訳がない・・。
――私は鏡を見るのが怖かった。怖くて、鏡を見ることができなかった。醜い私という現実を直視することが怖かった。それは世界が滅びてしまうんじゃないかってくらい怖いことだった。でも、一度見だすと、何時間でも自分が納得するまで見続けてしまう――。
「お前のことかわいいって言ってんだろ」
「うん」
「じゃあ、それでいいじゃん」
「でも・・」
私なんか、私なんかが愛されるわけがない・・。
「自信がねぇなら確かめたらいいだろ」
「でも、どうやって相手の愛を確かめればいいの」
「そんなのかんたんさ」
「どうするの?」
「あたしのおばあちゃんが言ってたけど、本当に女を愛せる男っていうのは何か自分の好きな詩を持っているんだって」
「詩?」
「そう、詩」
「詩・・」
私は直志さんの顔を思い浮かべる。詩とは無縁な感じがした。
「ていうか美由香って」
私は美由香を見る。
「なんだよ」
「意外とロマンチストなんだね」
「そんなんじゃねぇよ」
美由香が恥ずかしそうに斜め上に視線を逸らす。初めて見る美由香のそんな姿だった。
「ふふふっ」
私は思わず笑ってしまう。美由香の意外な一面だった。
「あっ」
レクリエーション室から出ようと、ドアを開けた瞬間だった。反対側からもドアを開ける力があり、ドアは私の力以上に勢いよく開いた。そして、突如人が目の前に現れた。
「わっ」
私は驚く。
「直志さん・・」
直志さんだった。別に避けていた訳ではなかったのだが、突然バッタリと出会ってしまったことに気まずさを感じる。気づけば、あれから数日が経っていた。時々、直志さんの姿を見てはいたが恥ずかしくて、声などかけられずにいた。
「・・・」
お互いいきなりのことに固まる。滅茶苦茶気まずい。お互い、何て言っていいのか分からない。
「ごめん」
「ごめんなさい」
そして、私たちは同時に口を開いた。
「えっ」
「えっ」
お互い顔を見合わせる。
「あっ、ごめん」
「いえ」
「前、なんか僕酷いこと言っちゃった」
「ううん、違うんです、そんなこと、私こそ、なんか・・」
「僕はいいんだ」
「うん・・」
なんだか、会話も噛み合わず、そして、再び沈黙が流れる。
「ふふふっ」
すると、直志さんが突然笑い出した。
「どうしたんですか」
「いや、なんかね」
「ふふふっ」
そして、私もなんだかつられておかしくなってきた。
「ふふふ、はははっ」
私たちは二人してなんか笑った。レクリエーション室の前を通り過ぎていく看護師や患者たちが、何ごとかとそんな私たちを奇妙な目で見ていく。それでも、私たちの笑いはとまらなかった。
「僕は君を傷つけてしまったんじゃないかって思って、すごく慌てたよ」
直志さんは笑う。私たちは前みたいに、本棚の前のソファに座り、コーヒーをすすっていた。
「すごく気になっていたんだ」
「いえ、そうじゃないんです・・」
私は、前回のことを思い出すと、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「私、なんか 混乱してしまって・・」
「そうなんだ。はははっ、それを聞いてホッとしたよ」
直志さんは笑う。
「・・・」
直志さんが明るく接してくれるので、なんだか私もホッとする。でも、私は、複雑な気持ちだった。
「・・・」
「どうしたの?」
急に黙る私を直志さんは覗き込む。
「いえ、あの・・」
「何?」
「あの変なこと聞くかもしれないんですけど・・」
この時、私は急に以前美由香が言っていたことを思い出した。
「うん」
「直志さんて何か好きな詩とかってあるんですか」
私はおずおずと訊く。
「詩・・?」
直志さんは突然の私の変な質問に固まる。
「ないならいいんです。ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」
私は慌ててあやまる。また変な奴だと思われた。私は恥ずかしくてまた死にたくなる。
「愛はバラ。すぐに枯れてしまう。愛は不可思議。実体のないもの。でも、僕は君を永遠に愛する」
「誰の詩ですか?」
私は驚く。
「僕さ」
直志さんが私を見つめる。
「えっ」
私の顔は真っ赤になった。
すごくすごく、心が揺さぶられた。なんだかすごくうれしくて興奮して高揚して、自分が自分じゃないみたいにふわふわして、もうなんだか、しっかりと地に足がついているはずなのに、空に舞い上がっているみたいな訳の分からない感覚になった。
「彼は詩を知っていたわ。しかも、自分の詩」
私は、直志さんと別れると、共有スペースでコーヒーをすする美由香の下に飛ぶようにして行くと、興奮して言った。
「あっ?」
いきなり、興奮してしゃべる私を、美由香がポカンとして見る。
「詩よ。美由香が言ってたんじゃない」
「ああ、あれか。じゃあ、本気なんだ。本当の気持ちってことじゃん」
「うん」
私の興奮は最高潮に達した。
「でも・・」
しかし、それは急に冷め、不安に変わった。
「・・・」
私は、どうしていいのか分からなかった。どう愛されていいのか、自分がどう人を、男の人を愛していいのか分からなかった。自分が人から愛されるなんて、想像もしていなかった。まして男の人からなんて・・。
「でも、どうしたらいいか分からない」
私は美由香を見る。
「いい奴なんだろ」
「うん」
「だったら、つき合っちゃえばいいだろ」
「うん・・」
でも、怖かった。愛されることが・・。
――いつだって希望を求めているはずなのに、希望を持とうとすると私は慌てる。そんなはずはない。いつだって世界は絶望だったじゃないか。絶望こそが私だったじゃないか――
私は怯えていた。幸せに怯えていた。私みたい人間が、愛されちゃいけない。そんな確信が、私の心の根底にはあった。そして、それは、絶対的に正しいことだった。
――希望が不安だった――
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