第19話 心理テスト

 診察は週に一回、今日の診察は榊さんだった。

「心理テストを受けてみてほしいんだけど」

 椅子に座り、あいさつもそこそこに榊さんに、いきなりそう言われた。

「心理テストですか」

 私はどう答えていいのか分からず、戸惑った。

「かんたんなものよ。そんなに大仰に構える必要はないわ」

「はあ・・」

 私は、榊さんに説得されるような形で、早速、その日の昼前、十一時に心理テストを受けることになった。

 案内された部屋に行くと、スタッフらしいが、どんな立場の人なのか分からない頭の薄い、やせ型のおじさんが一人奥の椅子に座っていた。白衣を着ていないところを見ると、医者ではないらしい。

「じゃあ、これをやってみて」

 なぜか妙に機械的な言い方で、そのおじさんは一枚の紙を私の前に差し出した。

 それはかんたんなペーパーテストだった。自分のことを明るいと思うかとか、自信があるかとかそういった質問が延々百問ほども続く。

 私は紙と一緒に差し出された鉛筆を手に取り、それに向き合い、順々答えていく。しかし、質問は単純だが、百問となるとなかなかめんどくさかった。最初のうちこそ、マジメに考え、熟考し答えていたが、それもだんだんめんどくさくなってきて、こんなんでいいのかと思いながら、五十問を超えた辺りでもうフィーリングで答え出す。

「ふぅ~」

 やっと終わって、紙をおじさんに渡すと、おじさんはやはり、表情なく機械的な態度でそれを受け取った。

 その後、そのおじさんからの問診がいくつかあり、何か訳の分からない質問と、禅問答みたいな問いかけをされた。その間中も、終始そのおじさんは、まったく愛想のない機械的な対応だった。もともとそういう人なのか、病院内でそういう教育をされて意図的にそうしているのか、たんに私を舐めているのか、嫌っているのか、それ以外の理由なのかは分からなかったが、私はとにかくなんだか不快で嫌な気持ちになった。


「・・・」

 ここに来て、ずっと感じていたことだが、他の看護婦さんやスタッフ、医者も一応基本的な愛想はあるのだが、しかし、みな一様にどこか患者と距離を取っている感じがあった。そこにかすかな冷たさを感じる。それは多分、意図的にしていることなのだろうと思った。慣れ合わないためなのか、病気に巻き込まれないためなのか、何かそういったやり方の心理学的な理屈があるのか理由はよく分からなかったけど、そんな対応に私は違和感を感じ、そして何だか寂しかった。精神病院に来れば、みんなやさしくしてくれるものと思っていた。でも、それは違っていた・・。

「どうだった?」

 私は共有スペースに戻って来ると、どこから現れたのかさっそく私の横に立ち、美由香が訊いてくる。

「うん・・」

 心理テストはものの三十分程で終わった。

「心理テスト受けたんだろ」

 美由香には、受ける前にテストのことを言っていた。

「うん、でも、結果はまだだよ」

 なんだか、あれが何だったのかよく分からなかった。

「下らない質問ばっかだったろ」

「うん・・」

 それはその通りだった。あんなんで私の何が分かるのか疑問だった。

「まっ、とりあえず飯行こうぜ」

 美由香が私の背中を叩いた。

「うん」

 柱に設置されている学校にあるような大きな丸型のアナログ時計を見ると、ちょうど、昼食の時間だった。

 今日の昼食のメニューは鶏肉の照り焼きだった。美由香も真紀も玲子さんも、食堂の配膳カウンターに並び、順番が来ると、それぞれご飯やお味噌汁の乗った用意されているプレートを取っていく。そして私の順番が来る。

「あなたはこっちよ」

 すると、脇に立っていた看護婦が、鋭く別のプレートを指し示した。

「・・・」

 やっぱり、私だけ量の少ない別メニューだった。なんだか普通に食べれそうな気がしたが、やはり不安もあったし、私はそれに従った。

「・・・」

 目の前で美由香や真紀はおいしそうに、ご飯を食べている。私はちょぼちょぼと自分の少ない量のご飯を食べていく。さすがに目の前でおいしそうに、なんの制限もなく食べている姿を見ると、今は拒食状態でありながら、堪らない爆発しそうな食欲の衝動を感じた。

「大丈夫?」

 隣りの玲子さんが、そんな私を察して気を使って声をかけてくれた。

「は、はい・・」

 今の私は食べるのも怖かったし、食べ始めると止まらなくなるのも怖かった。


 ――過食に疲れた私は、食べることをやめた。やめると今度は食べることが怖くなった。食べ始めると止まらなくなり、また延々と食べ続ける過食にどうしても戻ってしまう。あの苦しさにはどうしても戻りたくなかった。固形物を食べるのが怖くて、私は液体しか口にできなくなった。

 だから、私は毎日牛乳を飲んだ。私は小さい頃から牛乳が嫌いだった。あのぬるっとした感触が嫌で、給食の牛乳は苦痛でしょうがなかった。だから、牛乳を飲んでいれば、他の食べ物を食べたいという衝動は起こらなくてすんだ。

 さすがに栄養価も高く、死ぬことはなかったが、しかし、私の体はみるみる痩せていき、骨と皮だけになった。栄養バランスも偏っているため、体にも様々な不調がでた。立ち眩みは当たり前で、体力もなく、体を動かすとすぐに息切れした。頭もいつもぼーっとした感じがして、思考が回らなかった。

 そんな日々を続けていたある日、私は鏡に映る自分の顔を見て、ぎょっとした。目は落ちくぼみ、目の周りは黒ずみ、目の中には生気がなく、頬はコケ、骸骨が皮をかぶっているみたいだった。そこに映っている人間は、生きている人間のそれではなかった。

 あの時のショックは今も忘れられない。だから、私は鏡を見るのが今でも怖い。あの時の私が立っている気がして、だから、今でも絶対に鏡は見ない――。


 でも、なんとなく大丈夫な予感もしていた。なんとなく心のタガの外れた無秩序なあの私は、ここでは出てこない、そんな何か心の揺るがない確固とした部分も感じていた。

 結局、少ない量だったが食べ終わると少し多いくらいに感じた。食べることの恐怖はあったが、何とか食べきることが出来た。そして、食べ終わった後に吐きたい衝動や、過食の衝動も出てこなかった。 

 普通の量にしなくてよかった。私は思い、そして、ホッとした。 

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