第二章 ~『庭師と恩返し』~


 畳の上に布団を敷いて、アリアは仮眠を満喫していた。目が覚めると、外は薄暗くなっており、数時間、眠りに付いていたのだと知る。


(久しぶりの布団のおかげで、よく眠れましたね)


 王宮で働いていた頃は床で眠る毎日だった。硬い大理石の感触はもう懲り懲りだと、寝具で眠れる日常に感謝する。


(でも甘えてばかりはいられませんね)


 シンは優しい性格をしている上に、アリアのことを慕っている。きっと惰眠を貪っても、屋敷から出て行けとは言わないだろうし、どこまでも甘やかしてくれるはずだ。


 しかしアリアにも人並みの恥はある。無駄飯ぐらいになるつもりはない。


(でもどうやって恩返しすればいいのでしょうか?)


 最初に思いついたのは、手料理を振舞うことだ。実はアリア、料理に自信があった。子供の頃のシンにご馳走した時は美味しいと喜んでくれたし、あのハインリヒ公爵でさえ、料理だけは上手いと褒めるほどだ。


(ただ調理人さんの面子を潰すことになるかもしれませんね)


 皇子には多くの家臣が仕えている。その中には調理人も混じっているはずだ。もしアリアの腕が勝っていれば、立場を失ってしまう。


(やはり私が貢献するなら聖女としての力を活かすべきでしょうね)


 単純に思いつくのは怪我人の治療だが、屋敷にそれらしき人は見当たらない。能力の特性上、緊急時にしか活用できないのが歯がゆいばかりだ。


(急ぐ必要はありませんね。今までの仕事の疲れを癒しながら、貢献する方法を考えていくとしましょう)


 布団で眠ったことでリフレッシュすることができた。しかし王宮で貯め込んだ疲労は完全に消えたわけではない。


 穏やかな日常を過ごすと決めて、客間の外に広がる中庭へと出る。石敷きの庭に、松の木が伸びている。庭の中央には鯉が泳ぐ池があり、そこで一人の老人が伸びた木の枝の伐採に勤しんでいた。おそらく庭師だろう。


「綺麗なお庭ですね」


 庭師だと思われる老人に話しかける。白髭を蓄えた彼の顔は彫りが深く、どこか気品を感じさせつつも、優しさが表情に滲んでいた。腰が曲がり、ほうれい線が目立っていることから、かなりの高齢だと伺えた。


「あなたは、お客人の聖女様ですね?」

「私の事をご存知なのですか?」

「それはもう。屋敷中で噂になっていますから」

「なんだか恥ずかしいですね」


 聖女は世界に二人しかいない限られた存在だ。屋敷に招待されれば、話に挙がっても不思議ではないし、噂話をアリアが止めることもできない。


「この庭を一人で整備されているのですか?」

「客人を楽しませる眺めを作るのが趣味ですから……ただ、この腰ですから。いつまで続けられるか……」

「後継者の方は?」

「いませんよ。若者はこんな地味な仕事をやりたがりませんから……私がいなくなった後、荒れていく庭を想うと不憫ですが、仕方ありませんね……」


 老人は残念だと、小さなため息を吐く。アリアにとっても美しい庭は貴重だ。ここで失われるのは勿体ないと感じる。


「なら私が力になりましょうか?」

「聖女様に庭の整備はお願いできませんよ」

「そちらではなく、曲がった腰を治して差し上げますよ」


 老化は肉体の生命力が衰えたことにより発生する現象だ。回復魔術は生命力を復活させることで、老化による衰えを和らげることができる。


「腰に手を触れますね」


 相手に同意を得てから、魔力を帯びた手を添える。溢れる魔力を癒しの輝きへと変換し、回復魔術を発動させた。


 光の奔流に包まれ、曲がっていた腰が次第に上向きはじめる。肉体が活力を取り戻した証拠であり、その効果を実感した老人も驚きで目を見開いている。


「これは凄い。まるで十歳は若返ったようです」

「ふふ、ご老人の治療には慣れっこですから。効果は保障しますよ」


 王国は年功序列の文化があるため、王国の上層部は老人が占めていた。聖女の仕事をしていた頃の顧客は、ハインリヒ公爵によって選ばれた重鎮たちであったため、高齢者の相手には慣れていたのである。


「本当にありがとうございました、聖女様」

「いえいえ、素敵な庭のお礼ですから」


 感謝されるのは満更でもない。王国では高慢な貴族の相手が中心だったため、素直に喜んでもらえるだけで嬉しかった。


(これで少しはシン様にも恩返しができましたかね)


 彼の家臣を治療したのだ。これは回り回って、シンの利益になるはずだと達成感を覚えるのだった。

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