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フウガは自分の肩にアリアの腕を回させ、アリアの体を起こすと、辺りを見渡した。
こんな風に二人で話していられるのも、悪魔がこちらに意識を向けていないからだ。
悪魔は座り込んだまま、呆然と空を見上げている。微動だにしないのは、動けないからなのか。胸を掴んでいた両手も、気づけばだらりと下げ、先ほどまで悪魔を苦しめていたアリアの光もその胸元から消えていた。それにも関わらず悪魔が動けないでいるのは、上空の広がる黒を覆い尽くす程の、大きな光の川のせいだろう。
空に現れた光の川からは、無数の柔らかな光が地上へと降り注いでいる。それらは、地上で悪魔の手に飲まれた人々を優しく包み、アリアがいつもそうしていたように、心に根づいた黒を溶かし、失った分の心を、命を与えていく。死神の導きなしに空へ飛び出してしまった魂達にも、綿毛のような光がその頬を擽り、体へと導いていた。
今回、悪魔に心を奪われた人間は、外傷もなく命を落とした人間が殆どだったが、自分を傷つけてしまった人間の体に魂が戻ると、体の傷も同時に癒えていた。
八重の病室で一人奮闘していた狸もどきも、その光に気づくと窓によじ登り、窓の外に広がる光景を見つめていた。キラキラと降り注ぐ光に瞳を輝かせ、同時にうるうると瞳を潤ませている。
「神様の光だ…」
まるで、夜空に朝日が差し込むような、その温かくも儚い煌めきに込み上げるのは、喜びと寂しさだった。
「
狸もどきは、その目を開ける事はない八重を振り返り、ベッドの傍らに体を乗せた。
「…八重さん」
安らかな眠り顔に、伝えたい言葉が溢れて声に出来ない。零れ落ちる涙に、狸もどきは前足で顔を拭うと、その鼻先を八重の頬に寄せた。
ありがとう、もう大丈夫だね。
心の中で八重に語りかけ、それから倒れている八重の家族達の無事を確認すると、病室を駆け出した。
見上げた空には、青年の姿をした神様がいた。いつもの着流しが上質な生地に変わり、艶やかに光沢をみせている。肩に掛けた白地の羽織には、揺れる木葉が白い糸で繊細に描かれており、光が当たると柔らかに木葉が煌めいて、その裾がふわりと夜空に揺れている。
「私の町で、随分勝手をしてくれたな」
空に響くその静かなひと声が、悪魔を圧倒する。
アリアとフウガも神々しいその姿に息を飲み、膝をついて頭を下げた。
これが、八重に縋るばかりだった神の本来の姿なのかと、アリアは若干信じられない思いではあったが、間違いなく、彼はあの神様だった。
「勝手を許してたのは、あんたの方だろ…!」
それでも悪魔は、まだ神様に牙を向く。
黒い翼を広げて腕を伸ばし、溢れ出る黒を再び空へ広げようとするが、それは空を覆うどころか、悪魔の手元で光の風に吸い込まれてしまう。風に触れた肌は、炎に焼かれたように爛れ、悪魔の悲鳴が空に響いた。
「もう許すつもりはない。この町は、私の町だ。これ以上手を出すと言うなら、このままお前を帰すわけにはいかない」
神様が腕を振りかざすと、風のような光は大きな手となり、悪魔の体に掴みかかる。巨大な手となった神様の力は、アリア達をも圧倒し、フウガはアリアを庇おうとしてか、咄嗟にアリアの頭を地面に押しつけた。勢い余ってか、唐突な力任せの行動に、アリアは「グエッ!」っと、カエルの潰れたような声を出した。守ろうとしてくれるのは有難いが、力任せに押してくるので首が痛い。
二人の頭上を行く巨大な光の手は、その勢いから突風を起こし、巻き込まれたアリアの翼からは、僅かに羽根が散った。
光の手は、周囲の建物や木々をすり抜け、翼を翻し逃げる悪魔を追いかける。例え悪魔が路地に逃げ込んでも、その手が町を破壊する事はないが、光の手に触れていないにも関わらず、悪魔の黒い翼からは徐々に羽根が吸い取られ、その翼はとうとう消えてしまった。巨大な手からは細かな腕が無数に伸び、それらは悪魔の体を抱き締めるように、すっぽりと包んでいく。
アリア達は光の手を追いかけ、空からその様子を見ていた。アリアはいつものようにフウガの背中におぶさっており、フウガは神様の力のおかげで、アリアを背負って飛べるまですっかり回復したようだ。アリアの翼は、先程、神様の手と接触した事もあり、更に羽根を失っていて、使い物にならなそうだった。
「あれ?」
だが、何だか背中がむず痒くて、僅かに残る翼を動かしてみれば、バサッと感じる抵抗感。振り返り見ると、小さくなっていた翼には、失った筈の羽根が戻っており、立派な天使の翼がそこにあった。
「え、戻った…!」
「これも神様の力ですね、先程よりも体が軽くなっているように感じます」
「た…」
確かに。そう言おうとして、アリアは言葉を止めた。正直に言うと、翼が回復した時点で、自分の力で飛べると確信がある。神様の力は悪魔を追いかけている間も、今この時も、誰をも癒す力を放っているようだ。
「た?何です?」
「た、頼りになるな、さすが神様だ!でも俺はまだ怠いかなー」
「あなたは、持っている力も特殊ですからね。力を使いすぎているようですし、回復までには、時間がかかるのかもしれませんね」
疑いもせずに納得してくれたフウガに、アリアはほっと息を吐く。フウガには悪いが、アリアもちゃんと回復している、さっきまで立つのもやっとだったのが嘘みたいだ。
それでも嘘をついたのは、単に面倒になったからだ。すっかり背負われるのも慣れてしまったせいか、フウガの背中は乗り心地も良く、何より楽だ。この怠け癖のついた心根は、早々変わるものではないようだ。
「悪魔はどうなったのかな」
「消滅させられたんでしょう。あの光は私達には薬でも、悪魔にとっては毒でしかありませんから」
「そうだよな…あ」
「今度はなんです」
「あれ、あそこの。コウモリ」
「え?」
「あれ、悪魔じゃないか?」
光に満ちる夜だから、それほど目を凝らさなくても見る事が出来る。巨大な手の外には、慌てふためいた様子で忙しなく飛んでいくコウモリの姿があった。
あれは野生のコウモリではない、悪魔が力を吸い取られた姿だ。
「甘いですね、逃がすとは…」
奴にどんな目に遭わされたかと、フウガは難しく眉を寄せるが、背中のアリアは呑気なものだった。
「でも、あれじゃ暫くは何も出来ないんじゃないか?」
その危機感のないぼんやりとした声に、自分がされた事を忘れたのかと、フウガは溜め息を吐いた。
「いずれは回復しますよ、まったく、悪魔はあの者だけではないというのに」
よろよろと空の彼方へ、コウモリとなった悪魔が消えていくのを、数人の天使が追いかけていく。神様が悪魔を逃がしたとはいえ、今も悪魔の根城は分かっていない、放っておく訳にはいかないだろう。
「あいつは、一人なのかな」
ぽつりと呟いたアリアに、フウガはまた不思議そうに眉を寄せた。
「悪魔の数は把握していませんが、ごまんといる筈ですよ」
「そうじゃなくてさ、仲間とつるんだりしてんのかなってさ。あいつの側には誰もいないのかなって、だからあんな風にめちゃくちゃな事すんのかなってさ」
悪魔の纏う攻撃的な空気、自分が悪者にされていると声を荒げた姿を思うと、上手く気持ちが消費出来ない思いもある。
そんな風に悪魔に思いを馳せるアリアに、フウガは分かりやすく溜め息を吐いた。
「あなた、あの悪魔に何をされたか覚えてますよね?彼らが束になって来られては、困りますよ」
「そうだけど…そうだけどさ、生まれた奴に罪はないっていうか。勿論、ダメだけど、人間を襲うのは。あいつも、好きで悪魔に生まれたんじゃないし」
「…責任を取れるとしたら、それは神様ですよ。あなたが考える事ではありません」
「まぁ、そうかもだけど…」
そうフウガは諭すも、アリアは納得したようなしないような、曖昧な返事だ。
「今はそれよりも、目の前の事を考えましょう」
フウガは無理矢理にでも、アリアの思考をこちらに向かせた。まだ、やらなければならない事はあるのだ、仕事を増やすだけ増やし、町を混乱させた悪魔を擁護するなど、フウガは到底理解出来ない事だった。
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