34
アリア達も、突如として頭上に流れ始めた黒に、戸惑いを浮かべていた。
「なんだよ、あの規模…」
共に居た青年の天使が、信じられないといった様子で呟いた。「先に行く!」と、空を羽ばたく姿を見て、アリアも立ち上がった。
「俺達も行こう、」
アリアが動き出そうとするが、一歩踏み込んだ先で倒れてしまう。フウガは咄嗟にその体を支えた。
「あなたは動かないで下さい、自分の状態が分かってないんですか」
フウガは改めてアリアの姿を見下ろし、そのボロボロの姿に、ぐっと胸を痛めた。神様の蔦によって千切られた翼に両腕に迫る火傷のような傷痕、自分を庇って出来た傷だと思えば苦しくなる。
「悪い、ちょっと立ちくらみが、」
「ちょっとではないでしょう!」
口では軽く言うが、それが強がりだというのは明らかだ。フウガは焦れたように顔を上げた。
「神様!」
フウガが神様に向かって声を掛けるが、空の上で神様はこの事態に戸惑い、恐れているようにさえ見える。神様は過去に悪魔と対峙している、この町がその後も残っているのだ、神様は悪魔を祓う事が出来た筈、それなのに、どうして今さら怯むのだと、フウガは理解できない様子だった。何よりも、アリアが手負いなのだ、アリアにこれ以上の無理をさせたくなかった。
「大丈夫だ、フウガ。俺がやるから」
「大丈夫じゃないでしょう!」
フウガのその必死な様子に、アリアは目を瞬いた。フウガからは、いつもの冷静さも余裕も見えない、きゅっと体を支える腕に力が入るのを感じ、アリアは少し戸惑っていた。
フウガはアリアの様子には気づかないまま、再び空へ顔を向けた。
「彼女の生きた町は、あなたも愛した町ではないんですか!皆、あなたを信じて戦っているのですよ!」
フウガの言葉が届いたのか、神様は戸惑いに瞳を揺らしながらも空を見渡す。天使がどこからか慌てたように空を飛んで来て、黒い悪魔の手に対抗している。下界の支部、悪魔対策課の天使だろう。病室に目を向ければ、いつの間に忍び込んだのか、倒れる八重の家族を守るように、狸もどきが赤い羽織りを翻して黒い手に噛みついていた。
空には、神使の力も感じる。視界では捕らえられない場所で、神使も戦っている。神様は、それを見て何を思うのか。
神様の姿を見つめ、アリアはフウガの体を支えに体勢を直した。
「行こう、フウガ」
「ですが、」
「神様の事は、あの人に任せよう」
あの人とは、
「そんな顔すんなよ。それに、こういう場面で俺が一番役に立つって知ってんだろ?」
アリアは青くなった顔でそれでも笑い、ふらりとフウガの肩に腕を回した。
「でも、一人じゃ飛べないからさ、翼もこんなだし。だから頼むよ、俺を連れてって」
「…しかし、」
「ここで役に立たなきゃ、俺は他では役に立たないんだからさ。俺にも仕事させてよ、お前の好きなお仕事だぞ?ついでに言うと、お前は俺のお世話係なんだから」
そんな無理をして誤魔化して、あれだけ怠けるだけだったアリアが、立ち上がろうとする。それを思えば、この手を貸さない訳にはいかなかった。フウガは思いを呑み込んで、アリアの体を軽々と持ち上げた。
「うわ!横抱きかよ!」
「…確かに、これでは動きにくいですね。申し訳ない、では背中に」
一度地面に下ろされ、目の前でしゃがんだフウガの背中に、アリアは乗っかった。背負う方も背負われる方も、すっかり慣れた様子だ。
「安全運転で頼むよ」
「勿論、そのつもりですよ」
軽口に付き合い、フウガは一度、神様を見上げた。神様は車の前で、まだ呆然と立ち尽くしたままだ。「ほら、急げ急げ!」と、アリアが急かすので、フウガはそのままアリアを背負い、空を駆けた。
空に飛んでみれば、その黒の大きさに改めて圧倒される。歩道橋の上で見た時の大きさの比ではない、まるで町ごと呑み込もうとするかのようだ。フウガは一度、病院の屋上に降り、辺りを見下ろした。アリアもフウガの背中の上から、下の様子を覗き込んだ。
「悪魔の手が根付く前に一人一人対処していては、いずれ間に合わなくなりますよ」
「でもやるしかないだろ。あいつら、まだ神様を信じて戦ってるんだから」
アリアの示す視線の先には、清らかな光が黒を断ち切るように、また、覆い尽くそうとしているのが見える。その光はすぐに黒の力に打ち消されてしまうが、それでもめげずに抵抗しているおかげで、黒は人々を呑み込みつつも、その体に悪魔の力が根付くのを踏み止まらせているようだった。
「行けますか」
「聞くなよ、お前の好きな任務だろ。今夜も忙しくなりそうだな」
再度、本当に行くのかと、心配のつもりで尋ねたが、こんな時ばかり前向きで嫌になる。
「これでも心配してるんです」と、溜め息を吐けば、何故だか少し擽ったそうに笑われ、フウガはまた眉を寄せた。
「分かってるよ、フウガは俺に次ぐ、天界きっての男前だからな!」
「…言っている意味は分かりませんが、あなたの自己評価の高さは分かりましたよ」
フウガは暗い闇へと、アリアを抱えて飛び込んだ。
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