第23話 在宅介護(2)

2月13日(月)

 今日、父は、忙しい。朝から、初の訪問入浴。その後、訪問看護師さんが来て、PCAポンプの針交換。そして、夕方には、医師の往診。

 朝、4姉妹のグループラインに、「今日はよろしくお願いします。お父さんのお尻がヒリヒリしない事を祈っています(下痢が続いて、肛門付近がただれていたので)」と送った。すると、妹1から返事が来て「昨夜は、夜中に、チョコレートって言ったので、出したら食べました」との事。好きな物が食べれて、良かったなと思う。


 私は、午前中は、買い出し。昨日、実家から帰宅し、冷蔵庫の中を見てビックリした。ほぼ、空っぽ状態だったので。実家に帰省する日、夫と息子の食べ物を、たくさん入れて置いたのに、“食べ尽くしました~”と言う感じだった。夫と息子も、私がいない間、少しは家事もやってくれていて、これも、父が倒れなかったら経験できない事だったから、父は、人生の最後に、私達家族や、姉妹に、たくさんの経験をさせてくれているんだなあ、と感謝の気持ちになる。

 妹1や妹3に比べたら、私は、介護の日数も、実家への往復も少ないけれど、何一つ辛いと思わない。自分と夫の老後の事や、一人っ子の息子の事、母や妹達の事など、いろいろな事を考える時間を持てた。こういう機会を与えてくれて、ありがたいと思う。

 

 買い物の途中、妹1からラインが来た。「褥瘡予防で、レンタルしているベッドマットレスを、自動エアーマットレスに変更しました」との事。どんな寝心地なんだろう。それにしても、本当に、レンタルにして良かった。その人の病状によって、都度交換して下さるので、助かる。父が、苦痛なく、過ごせる事を願う。


 夕方、妹1と妹3から、ラインで、父の報告があった。

 訪問入浴は、父は気乗りしない様子だったが、妹3の上手な声かけで、入る気になってくれたそうだ。髭も剃って頂き、とてもサッパリした顔になったとの事。下痢も治まり、心配していたお尻のただれ箇所は、入浴してもヒリヒリしなかったそうだ。オムツ交換は一日4回くらいに減り、今は下痢止めの薬も飲んでいないとの事。

 

 夜、妄想か、せん妄かわからないが、父には、天井の照明にカブトムシが見えたそうだ。


2月15日(水)

 妹1からラインが来た。今日は、母が「りんご食べる?」としつこく何度も言ったので、父が「しつこい」と言ったそうだ。まだまだ意思も、しっかりしている。


2月16日(木)

 午前11時。妹1からラインが来た。

<内容>

 父が、今朝からゲボゲボし、胃液を吐いたので、看護師さんに往診にきてもらいました。処置をして頂き、その後、ポータブルトイレで用を足したいと言い、3人で支えながら、トイレをすませました。3日ぶりに大が出て良かったです。

 との事。心配だったけど、心配しもて仕方ない。「ありがとう。大変だったね。父も。胃液を吐くって、食べてないからかな。土曜日に帰省します」と返事をする。その後、スーパーで買い物をしていたら、妹1から電話が来たが、電波が悪かったのか、すぐに切れてしまい、「何かあったのか!」と心臓がバクバクし、電波が良さそうな所で、折り返し電話をしたら、父が調子よく起きているので、テレビ電話でもどうかな? と思って電話をしてくれたらしい。「今は、外にいて無理なので、帰宅したら連絡します」と言う。そして、帰宅してから父とテレビ電話で会話をする。と言っても、父は、右側の耳がかすかに聞こえるだけの聴力なので、私の声は届かなかった。画面も小さくて写りが悪いのか、私とは解らなかった様で、ボーっとしていた。

 妹1に、「看護師さんの処置って、何をしてくれたの?」と聞くと、横向きにして吐き止めの座薬を入れてくれたらしい。吐いてから時間もたっていたので、薬の効果だったのかは解らないが、少し安定したそうだ。

 辛いだろうに、ポータブルトイレを使うと言う父の意思が、人として、凄いな~と思った。最期まで諦めない、人に迷惑をかけたくないと言う思いもある様だ。

 その後、父がベッドで歯磨きをしている動画が送られて来た。


2月17日(金)

 夕方、妹1から、父の動画が2つ送られて来た。

 1つ目は、プリンを食べている所。自分で器を持って、スプーンで食べていた。完食したらしい。

 2つ目は、ヨーグルト+イチゴジャム。これは、母に食べさせてもらっていたけれど、完食。

 母も、妹達も、私も、「凄い!」と思っている。癌の末期だから、治っているとか、快復している訳ではないけれど、この生命力に驚いている。あのまま、病院に入院していたり、施設に入居していたら、こんな活気は見れなかっただろう。このまま元気になり、また今まで通りの生活が出来そうな錯覚を起こしてしまいそうだけど、それはないって事が、とても残念だ。


2月18日(土)

 夫の出勤、息子の登校を見送ってから、車で実家へ行く。明日、夫と息子が、公共交通機関で実家に来る予定で、その後、3人で帰宅する予定なので、車で行く事にした。

 天気が良くて、道も空いていて、快適なドライブだった。運転しながら、いろいろな事を、頭の中で整理する。この時間が、とても貴重で、好きな時間だ。

 お昼過ぎに実家に到着した。

 父は、ぐっすり眠っていた。


 <妹1から聞いた話>

 昨夜、夜中の3時頃、父が目を覚まし「トイレに行く」と言って、立ち上がる仕草をしたので、母と妹1と妹3で、介助しながらポータブルトイレで用をすませた。その時、下痢をしていて、立たせるタイミングを失敗して、便が床に付いてしまったので、3人で掃除をした。その後、父は、牛乳を飲んだ。そして、何故か、今、昼間だと思っていたそうで、テレビをつけたり、何かを探したりしていた。そこで、妹1が「お父さん、今、夜中だよ」と言ったら、「そうかね」と驚いて、また眠ったそうだ。眠っている事が多くなったから、体内時計が狂い始めているのかも知れない。


 母が、レンタルしているサイドテーブルを「使わないから返却する」と言っていたので「でも、まだ、レンタル期間中なんだから、試しに使ってみようよ」と言って、父の食事の時に使ってみた。今まで、食事は、誤嚥性肺炎にならない様に、毎回、誰かが、スプーンで父の口に運んでいたので、サイドテーブルは、使う必要がないと思い込んでいた様だ。それで、プリンを食べる時に、サイドテーブルを使ってみた。背もたれの角度を、いつもより高い角度にして、姿勢を整え、サイドテーブルを設置し、プリントとスプーンを置くと、肱をテーブルに乗せながら、バランスを取って、上手に、美味しそうに食べていた。その後、サイドテーブルを使って、新聞も読んでいた。父も、普通の目線になれて、嬉しいだろう。こんな姿を見ると、終末期の病人ではない様だ。

 今、レンタルしている介護ベッドは、高さや、背中と足の部分の角度を調節できるので、介護する人にとっては、身体への負担が軽減され、介護される人にとっても負担が減り、出来る事が増える。「こういう道具に頼ると機能が低下する」と言って使用する事を拒んでいた母だが、実際に使ってみて、道具に頼る事の利点を感じてくれている事を願う。

 父の所には、月・水・金曜日に、訪問看護師さんが来て下さる。その度に、妹達は、いろいろなアドバイスを頂くそうだ。

<その内容>

 ベッドの背もたれの角度を上げる時は、膝の角度も少しあげると良い。ずり落ち防止になる。

 身体の下に大きめのバスタオルを敷いて置くと、身体が下にずり落ちたり、移動させる時に、タオルを引っ張れば簡単に移動ができるので、便利。


 前回私が自宅に戻ってから、薬のお陰で下痢が止まり、父は、ポータブルトイレで用を足すので、昼も夜も、汚れたオムツの交換をする機会はなかった。

 

 父が、自宅に帰って来てから、母は、父の隣にベッドを置いて、そこで寝起きしていたが、続いたのは数日で、やはり、今まで通り、居間のテレビ前に布団を敷いて、寝ている。それで、妹1が、父の隣のベッドで寝起きしている。私が帰省した時くらいは、母と妹1妹3には、ゆっくりして欲しいと思い、帰省中は、私が父の隣のベッドで寝た。しかし、エアーマットが動く「シュー シュー」と言う規則正しい小さな音や、父の鼾や寝言、動いた時の音が気になって、熟眠は出来なかった。

 夜中3時頃、ウトウトしていたら、父が咳き込んだ。隣の部屋で眠っていた母も飛び起きて、父のベッドサイドに来た。「水」と言ったので、ベッドの頭の部分の角度を少しあげて、コップに水を入れて、ストローで飲ませた。看護師さんは、なるべくスプーンでと言っていたが、父がストローで飲みたがるので。飲んだ後10分くらい、そのままにしてから、ベッドの角度を平らに戻す。紙オムツは濡れていなかったので、そのまま。何だか、この行程、息子が新生児だった頃と、そっくりだ。


2月19日(日)

 父は、眠っている事が多い。在宅医療のA医師や、看護師さんは、「本人のリズムで過ごさせてあげて下さいね。無理に起こさないで」と言っていたが、懇々と眠っている父の姿が怖いのか、母は、しょっちゅう声をかけて父を起こす。もう、父の体内時計は、今までとは違うのに。生まれた時の頃に戻っている。それを、母は、受け入れる事が出来ないのだ。

 今朝も、母は、8時頃に父を起こし、顔や身体を清拭し、皮膚の化膿している所に、薬を塗った。その後、「うどん食べる?」と言った。「何か、食べる?」とか「何か食べたい物はある?」ではなく、食べさせたい物を、食べさせようとしている。けれども、父は、「アイス」とか「牛乳」と、自分の食べたい物を言う。以前だったら、無理にでも食べさせようとしていた母だが、今は、「わかったよ」と言って、父のリクエストに応えている。父も、食べたくないモノは食べないし、しつこく言うと「しつこい」としっかり言うので、そういうやりとりが、面白い。

 父は、痛ければ「痛い」と言うし、欲しい物や、して欲しい事など、しっかりと言える。時々、知り合いの人がお見舞いに来て下さると、しっかりと受け答えをして、お礼も言っている。

 父のお見舞いに来て下さる方は、「もう、これが最期」と思って来て下さっているのだろう。神妙な顔つきで、言葉を選びながら、父に話しかけて下さっている。そして、誰も、「今までありがとう」とか「さようなら」とか「元気でね」と言わない。「頑張ってね」が多い。私も、自宅に戻る時は「もう、最期かも知れないな」と思いつつも、「今までありがとう」とは言えないし、怖くて「バイバイ」も言えない。頑張っているから、「頑張ってね」も言えなくて、別れ時の言葉を考えてしまう。それで毎回「また来るね」だ。

 人って、本当に最期かも知れない時には、怖くて「サヨナラ」を口から出せないのだ。

 今の状態で「何が食べたい?」と聞くと、たいてい「アイス」と言う父。それも、「白いのじゃなくて、黄色っぽいソフトクリーム。高いの(多分、値段の事)」と言うが、なかなか「そう、これ!」と言ってもらえない。それで、妹3と、ミニストップへ行って、ソフトクリームを買って来た。カップじゃなくて、コーンの方。買ってきた物を父に見せたら、ニコッとして「食べる」と言って、半分ほど食べた。その後も、「さっきの残りのアイス食べる」と言って、コーン以外(コーンは誤嚥しそうだったので食べない様に告げた)は、完食した。アイスに関して、やっと父から「合格」がもらえた感じだ。

 4時頃、夫と息子が、自宅に来た。父は、夫の事も、息子の事もわかって、「来てくれてありがとう」と言って、握手を交わしていた。

 その後、夫と私で、注文しておいたお寿司を取りに行った。車の中で、夫は、父が思っていたより元気そうだったと言っていた。もっと、寝たきりで、活力もなくなっている状態を想定していた様だ。夫のお父さんがそうだったからかな。

 夫と息子と3人で自宅へ帰る時、ホワイトボードに「帰るね。今度は、金曜日に来るから」と書いて父に見せると、「三人で帰るの? 気を付けてね」と、かすれた声で言ってくれて、夫と息子には、「遠くからわざわざ来てくれて、ありがとう」と言った。涙がでそうになった。

 

2月20日(月)

 2回目の訪問入浴の日。


2月21日(火)

 夕方4時頃、妹3からラインが来た。父が、「ゆこゆこ」と言う旅行雑誌を読んでいる姿の写真が添付されていた。


2月22日(水)

 朝8:45。妹1から「父はけっこう元気だから、今週は帰ってこなくても大丈夫だよ」とラインがきた。「帰りたいから、帰ります」と返信する。


2月23日(木)

 妹1から連絡。父は、眠っている時間が、とても長くなってきている。それを、無理に起こす母。それでも、起きない様だ。

 起きた時の写真が送られてきた。サイドテーブルには新聞と広告が置かれていた。顔色は、良い。


2月24日(金)

 朝から、家の雑事・洗濯をして、留守中の夫と息子の食料を買い込み、午後、実家へ向かう。途中、妹1から、ラインがきた。母の手紙と、父の写真だった。父のテレビは、ベッドの左側に置いてあるので、いつも左側を見ている。眠っている時も、左に偏っていて、左の耳が枕と頭の下に挟まって耳輪がぺしゃんこになっている状態だ。そのせいか、三角窩(さんかくか)と言う所に出来たかき傷が悪化して、化膿している。試しに、テレビの位置を右側に変えてみたが「元の位置に戻して」と言うし、眠っている時に、頭の位置を右側に向けて、傷がある方の左耳の下に畳んだタオルを置いて高さを作っても、暫く経つと、左耳は、頭とタオルの間に挟まってペシャンコになっている。それで、母が、父にイラスト入りの手紙を書いて、渡したそうだ。その絵が、とても解りやすくて、可愛かった。お地蔵さん見たい。

(近況ノート 在宅介護(2)の母の手紙に添付しました)

https://kakuyomu.jp/users/wpw/news/16817330654076119586


 母は、入院中も、何度か父に手紙を書いて、看護師さんに渡してもらっていた。これって、ラブレターだよなあ…と思った。父も母も、携帯でメールやラインのやりとりが出来ないので、手紙で伝えるしかなかったのだけれど、とても温かい物を感じた。


 4時頃、実家に到着した。父に「ただいま。調子どう?」と聞くと「誰?」と言うので、名前を告げると、頷いて、「気持ちが悪くて、あまり食べられない」と言っていた。この状態にしては、顔色は良いと思う。訪問介護の看護師さんも、医師も、訪問入浴のスタッフさんも、父の肌のキレイさに、驚いているそうだ。母と妹1妹2の、献身的なケアのお陰だと思う。毎日、クリームやワセリン、リップ、薬を塗ったり、清拭、温タオルでのフェイスケアをしてくれていて、父の顔は、ゆで卵の様に艶々している。

 お土産に、駅の食品売り場で、美味しいプリンを2種類買った。今は、プリンを良く食べると聞いていたので。後、かっぱえびせん、サッポロポテトバーベキュウ味、じゃがりこを買ってみた。こういう味が濃いもので、サクサク感があるものなら、食べるかな? と思ったので。(プリンは食べたけど、お菓子は食べなかった)

 父の様子を見て、前回来た時よりも、弱ってきているな、と思った。これは、もう、仕方がない。

 「何が食べたい?」と筆談で聞くと、「食べたいモノはいっぱいあるけど、気持ちが悪くて、食べれない」と言った。


 夕方、母と、妹1に「トレイに移乗できるなら、車椅子に乗れるのでは? 今なら、車椅子で、家の中をまわれるし、外の景色も見れるんじゃない?」と言うと、妹1が「そうでしょ? 看護師さんも、今なら出来るって言ってくれたんだよ」と言うので、母に「車椅子、レンタルしたら?」と言ってみた。母も「そうだね」と言って、直ぐにケアマネさんに連絡を入れた。すると、ケアマネさんが、「今日は金曜日だから、週末を挟むと、手配が遅くなってしまう可能性があるから、すぐに手配します」と言って、話しを進めて下さり、1時間後には、レンタル会社の方が、リクライニング出来る車椅子と、段差用のスロープを届けて下さった。父に時間がない事は皆さんご存じなので、こちらの我が儘や急な要望にも、快く対応して下さる。感謝感謝だ。

 届いた車椅子を見て、自分が、デイサービスで仕事をしていた時の事を思い出した。今の父くらいの細さで、歩けない状態の方が使っていたタイプと同じだった。それで、その方の、ベッドから車椅子への移乗や、入浴介護のノウハウが、父にも適用できそうだと思った。段々と、ヘルパーだった時の記憶がよみがえってくるが、今更・・・・と言う感じだ。何でもっと早く、思い出さなかったんだろう。遅すぎる。


 この日、私がいる間に、父が食べた物は、イチゴ、牛乳、プリン、アイス。

 尿は、一日、一回。ポータブルトイレに移乗してするが、前回よりも、立つ力がなく、ほとんど、妹達に支えられて移乗していた。排便は3日していないとの事だった。


 夜中12時に、父が咳き込んだので、お水を飲ませた。その後、2時頃、トイレに起きた母が、父に声をかけて、水を飲ませていたので、手伝った。そして、朝5時頃、父が何かを探している気配がした。「何を探しているの?」と父の耳元で大声で聞くと、「財布。小銭しか入っていないけど、いつも持っている財布がないんだよ」と言う。財布を渡すと、「ああ、良かった。どこにあった?」「いつものバックに入っていたよ」「財布の中に免許証入ってる?」と言うので、財布から取り出して見せると「ああ、良かった。しまっておいて」と言って、安心したのか、目をつむって眠った。

 こういう状況になると、ふだん身につけている物や、大事な物、気にしている物などがわかり、その人の、生きてきた過程が伺える。父は、車に乗る仕事だったので、常に免許証を忘れないように気にしていたんだろう。財布は、小銭しか入っていない物だけど、診察券なども入っていて、外出時はいつもポケットに入れていた。些細な事だけど、こんな事の一つ一つが、悲しくもあり、愛おしくもある。ブランドの時計(持ってないけど)や、アクセサリー(つけないけど)を探す父でなくて、良かった。牧歌的で、欲がなく、穏やかな人柄の父で良かった。この父の娘である事に感謝の気持ちになる。

 この後も、時々目が覚めては、何か言っている。「ここどこ? 病院」「これから、手術でもするの?」と、病院と思っている様だったので、うすく電気をつけて、家の中がみえる様にして、テレビをつけて置いた。少しは、安心するかな、と思って。

 こんな感じで朝が来た。私の睡眠は、ぶつ切れで、眠った気がしなかった。妹1は、いつも、こんな状態なんだな、と負担させてしまっている事を、申し訳なく思った。

 

2月25日(土)

 朝は、イチゴ3粒、プリン3口、牛乳少々。これでも、妹達が言うには、「よく食べた方」らしい。

 日中は、殆ど、まどろんでいる感じ。時々、何か意味がわからな事を言うので、妹達と、その謎解きをする。

 意識がハッキリしている時に「車椅子借りたよ。調子良かったら、車椅子で移動して、窓から庭でも見ようよ」と言うと、「首を振って、庭なんてないじゃないか」と、冗談も言う。

 午後、近所の方が、大判焼を持って来て下さったので、父に見せたら、「食べる」と言った。4等分に切って出したら、あんこの部分だけを、美味しそうに食べていた。半分しかたべなかったけれど、栄養が摂れた気がして、嬉しかった。

 夕方は、「筋子と明太子の、おにぎりが食べたいなあ。一口くらいの大きさにして」と言った。筋子の買い置きはなかったので、妹1が、自転車で、筋子を買いに行ってくれた。でも、待っている間に、気持ちが悪くなって来たというので、先に、食べれそうな物をテーブルに並べた。イチゴ、プリン、焼き肉のスライス、焼きおにぎりの一口サイズ。それらを、1口ずつ食べた。今の父は、食べれるタイミングが、難しいのだ。妹1は、スーパーを三軒回って、筋子を買って来てくれたが、帰宅した時には、父はもう、まどろみの中にいた。


 実家にいる間に、ドアチャイムが壊れて、音がならなくなった。それから、2回もブレーカーが落ちた。原因は、キッチンのIHコンロの故障のようだ。実家は、父が倒れた頃から、いろいろな物が、壊れて、買い換えが必要になっている。築40年近いので、家も、老朽化しているのだ。母が「主がいなくなると、家も、壊れるって、昔から言うよね・・・・」と言っていた。

 今夜も、父のベッドの隣で、眠る。褥瘡防止の介護ベッドのエアーの音が規則的にしている。父のうわごとや、咳き込む様子で、熟眠は出来ない。それでも、こんな時間を体験させてもらえて良かった。父は、私達家族に、最期まで、いろんな事を学ばせてくれているんだなあと思う。それを、しっかりとキャッチしよう。妹達も、それぞれ思いや考えがあると思うが、これは父からの学びの提供だと思って、逃げずに、前向きな気持ちで経験して欲しいと思う。

 

2月26日(日)

 午前中は、IHコンロと、ドアチャイムの交換に、妹1が、電気屋と家を、自転車で2往復しながら、話しを進めてくれた。

 私と妹3は、父の様子を見ながら、壊れたIHをどかして、その下の10年分の汚れを掃除した。

 IHが使えないので、私達は、ご飯の支度ができず、ある物を適当に食べていた。

 お昼頃、帰る支度をしていたら、父が、妹3に何かを言っていた。「昨日の肉、冷蔵庫?」と言った様に聞こえたと言うので、「もしかしたら、昨日みたいなお肉が食べたいんじゃない?」と思い、カセットコンロでお肉を焼いた。けれども、出来た時には、いらないと、手を横に振っていた。

 その後、私は、自宅へ帰宅する。

 夕方、父の夕食の写真が送られて来た。筋子の一口おにぎり、昼に焼いた肉、スライスしたリンゴ、プリン、味噌汁。フォークを使って、自分で食べていた。


2月27日(月)

 今日は、週一回の訪問入浴の日。髭・髪・眉毛をカットしてもらい、とてもスッキリした顔写真と、入浴中の写真が送られて来た。


2月28日(火)

 せっかく手配して頂いた車椅子、父は使ってみたいと言わないらしく、無理に乗せる事もないので、返却するらしい。

 車椅子で、窓辺から外を見るだけでも、気分転換できるかなと思ったけれど、体力的にも無理だったのかな。

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