第21話 在宅医療に向けて
2月1日(水)
妹1から電話が来た。
「今、自宅。自分が出来る事は概ねやったので、一旦帰宅した」との事。母の行動や、発言、意見の違いや口論で、胃が痛くなったそうだ。長く居すぎたのだろう。しばらく、距離をおいて、クールダウンして欲しいと思う。
夜8時。母から電話が来た。今日も、病院に行ってきたらしい。そして、病院のソーシャルワーカーOさんと話しをしたそうだ。病院としては、早く転院して欲しい様なニュアンスだった。それで、お父さんの気持ちを尊重して、在宅医療にしようと思い、ケアマネさんに相談した。「全面的に協力する」と言ってくれたので、そうしようと思うが、どう思う? と言うので「良いのでは?」と言う。そして「家で最期を迎える覚悟なら、いろんな人の手を借りて欲しい。私もお父さんに会いたいから、協力させてよ」と言う。「あんたから、ケアマネさんに言ってくれない? 私だと、もう、何を言ったか、言わなかったか、忘れちゃうから」との事だったので、「はい」と返事をした。
母からのこの言葉を、皆が待っていた。一番待っていたのは、父だろう。母の気持ちが変わらないうちに、明日、一番に、ケアマネさんに連絡をしようと思う。
2月2日(木)
朝、ケアマネさんに電話をして、母の意思を伝える。そして、今後、必要な物をレンタルしたいので、相談に乗って欲しい事も伝えた。ケアマネさんは、「一番早く手配出来る在宅医療の病院を探して、話しを進めていきますね」と言って下さった。在宅医療に限界を感じた時の為に、○○施設は、キャンセルしないで、そのまま待機者リストに並ばせてもらう事にする。
その後、母に、ケアマネさんに電話をした事を伝えた。母には、Oさんに電話をして「在宅にする」と言う意思をはっきりと伝える様に言う。そうしないと、すべてがスタートしないので。
そして、私からもOさんに電話をして、「在宅医療にする事に決めたので、手続き等をお願いします。母からも、電話が行くと思います」とお伝えした。
病院としては、父の様な、もう出来る治療がない末期癌の患者に「退院ですね、はいわかりました、さようなら」と言う訳にはいかない様だ。退院後の介護、医療ケア等、患者の身の安全と言うか、今後の事までしっかり決めて、把握してからの退院となる。それで、「今後お父さんが、在宅医療をするにあたっての、介護の仕方や、病院での様子などを、主治医と、在宅医療をする医師や看護師、ケアマネとカンファレンスをする必要があります。長女さんもこれますか?」と聞かれたので、「はい。参加させて下さい」と言う。
午後、Oさんから電話がきた。「2/6月曜日午後2時から、父の痛め止めの器具の扱い方、オムツ交換や介護の指導、3時から主治医やその他の方々とのカンファレンスを行い、その後、皆さんの都合を合わせて、一番早い日に退院と言う事になりますが、宜しいですか?」と言われたので「はい。よろしくお願いします」と返事をした。
父の退院は、たくさんの方々のお力をお借りしないと出来ない事なんだなあ。母がいろいろと迷っている最中も、皆さんが、どういう決断になっても父や家族が困らない様に、様々な準備をして下さっていた事を、心からありがたく思った。
2月3日(金)
夜7時半。母から電話が来た。今日もまた、紙オムツと、紙パットと、おしりふきを持って、S総合病院へ行ってきたそうだ。
「そんなに毎日行ったら、迷惑だよ。お父さんのいる所は、面会謝絶なんだから」「だって、看護師さんが、毎日来ても良いって言ってたよ。他にも、来ている人がいて、そういう人と話しをして、情報交換をしてるんだよ」と言った。
母が「病院に行っている」と言っても、病棟の談話室の様な部屋までだ。そこは、医師と家族が面談をする場にもなっている。毎日通っても、当然父には会えない。私物を渡して、洗濯物を受け取って、父の様子を聞いたり、伝言を頼んだりするだけ。それでも、何となく、規則がゆるい感じが伺える。田舎だからか? 末期癌の人の病棟だからか? 全体的に、人が、優しいんだよね。「○○さんは、病室まで行ってるらしいよ。大部屋なのに」「え~、怒られないの?」「怒られても、強行して行っちゃうんだって」。さすがの母も、そこまでは出来ないし、その辺のルールは守れる様で、良かったと思う。
2月6日(月)
午前中に自宅を出発し、お昼頃実家に到着した。母が作ってくれた昼食を食べてから、母・妹3・私の3人で、自転車で病院にむかった。
10階の談話室に行って待っていると、Oさんがきたので、事務的手続きの事を話す。しばらくして、個室に呼ばれ、行くと、父がベッドごと移動して、そこにいた。まさか父に会えるとは思っていなかったので、ビックリした。父とは、年末に会ったきりだ。顔は、思った程痩せていなかったが、身体はガリガリだった。声枯れしていて、はっきりと聞き取れなかったが、喋る事は出来た。耳が聞こえないので、筆談になったが、簡単な質問には、しっかりと口頭で答えてくれた。
父は、今、オキファストと言う液体の痛め止めを、PCAポンプと言う装置で皮下注射している。この為、腹部に、細い管の様な針がささっていて、上から透明な防水テープの様な物で固定されていた。これが、素人には怖いのだ。もし、何かの際に抜けちゃったり、バイ菌が入ったらどうしよう…と。それで、その説明や、そういう事に注意しながら、オムツ交換をどうやって行ったら良いのか、と言う説明を受けた。幸い、今、父は、痛み止めが効いていれば、自分で腰を上げる事も出来たし、身体を動かす事も出来た。殆ど食事をとっていないと聞いていたので、もっともっと衰弱しているんじゃないかと失望していたが、気持ちも意識も、しっかりしていた。
この説明の時に、母と、妹3が、写真を撮っていて、ちょっとビックリした。私の心境は「えっ? 今? ここで? 良いの?」だったが、それに答えて、父が、カメラに向かってピースをしていて、それにもビックリした。何か、皆、空気が読めていないのか? 私が、読めてないの?
そんな事をしていると、看護師さんに「あまり長時間になると、お父さんも疲れるし、コロナ感染の事もあるので、この位で」と言われ、父にバイバイと手を振って別れを告げると、父が驚いていた。何と、今日、自分も一緒に帰れると思っていたらしい。(だから、ピースなんてしていたのかも…)「今日は、まだ退院出来ないんだよ」と筆談すると、すごく落胆していた。父のこんな表情を見たのは、肝臓に腫瘍が出来た事を告げた時と、今回で2回目だ。悲しくて胸がキュと縮んだ。父は、枯れた声で「ここにいても、寝てばっかりで、家にいるのと同じだから、もう帰りたい」と、懇願というか、少し怒った様な感じで言った。まるで、幼稚園に行きたくない子供の様な、感情がむき出しの言葉だった。こういう姿は、胸に突き刺さる。けれども、こういう感情がまだ出せる、この状態を理解できていると言う事もわかり、安堵もした。
Oさんが、気を使って「しっかりお食事をとって、体力をつけましょうね」と言うと「おかゆばっかりで、美味しくない」と文句まで言っていて、こんな事まで言える事に、私は嬉しかった。
その後、ケアマネさん達が来て、別室で、カンファレンスを行った。主治医・看護師さん、リハビリ担当の方、ソーシャルワーカーのOさん、ケアマネさん、在宅医療をお願いする病院の看護師さん、訪問看護の看護師さん、介護用品レンタル会社の方、私達家族3人。全部で12人。
まず、医師から、父のこれまでの経緯、経過、今の状況を簡単に説明して頂く。そして、リハビリ担当の方から、病院でやっていた父のリハビリの内容を説明して頂く。看護師さんからは、入院中の様子、自宅に戻った時の注意点などをお聞きした。
その後、ケアマネさん、訪問介護の看護師さんが、病院の医師や看護師さんに質問をしたり、私達家族の気持ちなども聞いて下さった。レンタル業者の方も、話しを聞きながら、父に必要そうな介護ベッドやマットレスなどを提案して下さった。
たった一人の為に、これだけの方々が集まり「一番良い方法」を考えてくだっている事に、申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちでいっぱいになる。これって普通の事なのだろうか? 父の場合、看取りの為の帰宅だからなのかも知れないな。
そして、皆さんが、それぞれの分野において、とても勉強していて、たくさんの経験を積んでいらっしゃる事に驚く。私も、こんな人になりたかった。
父の、さっきの落胆ぶりを見て、母も「損得は考えないで、できるだけ早く帰宅させてあげたい」と、心から思った様だった。それで、できるだけ早く退院できる様に、皆さんが手配を進めて下さる事になった。
在宅医療の医師の手配、看護師の手配、医療器具の手配、父の今の体調にあった介護用品の手配。もっと、早く決断していれば、皆さんにこんなご迷惑もかからなかっただろう。
手配の中で、一番の問題は、オキファストと言う液体の痛め止めに使用するPCAポンプだった。在宅の場合は、病院で使っている物より、容量が多いタイプの物になるので、その手配がつきしだい退院と言う事になった。その場で問い合わせをして下さり、最短で9日(木)に手配できそうだった。最初は、その設定や、調節を、在宅医療の担当医が行うので、9日に担当医が実家に訪問できないと、退院は出来ない。確認して頂くと、9日の夕方5時なら訪問可能との事。それで、9日午後4時に退院予定と言う事に話しがまとまった。
帰宅して、数日間は、看護師さんが様子を見にくる必要があるので、退院が金曜日になってしまうなら、それは避けて(土・日だと何かの時の対応が遅くなる可能性があるため)、月曜日に退院と言われていた。なので、木曜日にすべてが整う事が出来て、良かった。トントン拍子で木曜日に決まった事は、皆さんのおかげだと思う。
父にとっては、9日(木)に退院するのと、13日(月)に退院するのでは、私達の一ヶ月に相当するくらいの違いがあるだろう。あと3日の入院でも、長く感じるかも知れないが、それまで、体調を崩さない様に、また発熱しない様に、無理をしないで欲しいと思う。無理すら出来ない身体だとは思うけど。
4時過ぎにカンファレンスが終わった。病院を出て、スーパーで買い物をして、実家へ戻った。
私は、今夜は、実家に泊まる。応接間には、父の介護ベッドの横に、今まで父が北極部屋で使っていたベッドが置いてあった。これからは、母がこのベッドを使い、父の隣で寝るそうだ。
このベッドも、母と妹3で移動したそうだ。「私が帰ってから移動するから」と言っても、『思い立ったら直ぐ実行』の人なので、待てなかった様だ。そして、父の枕の位置を変えていた。今までは、ダイニングキッチンが見える方向に枕を置いていた。その方が、こちらも、父の様子を観察できるし、父も、人の動きや、外の様子が見え刺激になっていたと思う。しかし、反対側にすると、壁しか見えない。「何で変えたの?」「友達が、北枕は良くないって言ったから」やっぱりな・・・・。迷信よりも、現実を大事にして欲しい。父も、この向きでは嫌だと言うだろう。今後、異変が起きた時、直ぐに気がつけないし。それで、携帯でコンパスのアプリをダウンロードして、位置を確認して「真北じゃないね。少し西に寄っているから大丈夫」と言って、最初の位置に戻した。
病院で、退院の日を決めていた時、母が挙手して「木曜日の午後1時から3時までは、私は、どうしてもキャンセルできない予定があります」と言った。妹3は「またかよ…」と思ったかも知れない。そんな空気が漂ってきた。それで、私が「母がいなくても、私と妹だけでも退院できますか? 大丈夫なら、私と妹で迎えに来ますので、木曜日でお願いします」と言った。
ここで、妹1が言っていた、「お母さんが、自分の事を優先して、父の事を後回しにしている」と言っていた事を思い出す。現状なら、まずは父の事を優先するべきだろう。ここで自分の都合を発表した事に驚いた。けれども、違う角度から考えると、『配偶者の事しか考えられなくて、落ち込み過ぎて鬱になる』と言う人もいる。それは、それで、家族は大変だと思う。どっちが良いのかは解らないけれど、父は、きっと、自分の事で、母が自己犠牲する事は、望んでいないと思う。私達4姉妹にもだ。
2月7日(火)
朝9時に、介護用品レンタルの方が2人で来てくれた。今のベッドを撤収して、新しいベッドとマットレスをセットした。丁寧に、テキパキと作業し、その段取りの良さに見とれてしまう程。最期に使い方の説明をして頂き、終了。爽やかに帰って行った。
その後、母の雑事3件に付き合う。そして、その3件の内容を、忘れないように母のノートに書いておいた。母は、自分のスケジュール手帳と、「やる事、やった事」をメモするノートを作っていて、自分で行動の管理をしていた。とても素敵なアイデアだと思うが、それを書いていても忘れてしまう所が、そういうお年頃なんだろう。こういう努力は、偉いなあと思う。自分が母の年になった時に、同じ事が出来るだろうか。
明日は、息子が早朝登校する日で、朝が弱い息子を起こさなくてはいけないので、私は、一旦帰宅する。
3時頃に自宅についた。とても身体が冷えていたので、熱いお風呂に入りたくて、お風呂の蛇口をひねったら、息子からラインがきた。「今日までに、提出しないといけないプリントを家に忘れた。自分は、これから委員会があるから、取りに行けないから持って来て。机の上にある」と。急いで蛇口を止めて、息子の机の所に行き、言われたプリントを探したが、それらしい物はなかった。本棚や、引き出し。ゴミ箱の中などをあさり、やっと見つけた。そして、自転車で駅まで行き、電車を乗り継いで、息子の学校に行き、正門の所で息子に渡した。息子は、笑顔で「ありがとう」と言って、校舎に入っていった。ああ、疲れた…と思いながら、トボトボ歩いていたら、鳥の糞が頭におちた。「空はこんなに広いのに、何でココでする!!」と思いながら、ティッシュで拭いて、暗い気持ちで電車に乗ったら、手袋が片方ない事に気が付いた。疲労困憊の心身に、踏んだり蹴ったりだった。
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