第4話 シャンデリアの光
面を伏せながら長く続く廊下を歩くと、すれ違う者達は奇怪なものを見る目を春子に向けてきた。顔が醜いからだというのは、そのひとつひとつの視線が物語っているのですぐ分かった。
下賤な視線は鬱陶しいが、それに腹を立てて噛み付くほど、春子は子供ではない。噂通り大人しく、か弱い姫のよう振る舞った。
「これでその顔を隠せ」
大広場に続く扉の前で、ジェラルドは足を止めると懐から取り出した物を乱暴な動作で春子の胸に押し付けた。
受け取った春子がそれを広げてみると黒に染められた絹布が幾重にも重なった
大きな布地から顔の半分ではなく、全体を隠せるように縫われたのはすぐ分かった。この醜い顔を隠せという意図を読み取った春子は黙って面紗で顔を覆う。紐が髪に絡まぬよう、気をつけて覆うと視界が一気に見えにくくなった。
「それを決して外すなよ」
春子が頷き、返事をする前にジェラルドは扉を開けるように従者に命じた。蝶番の音と共に扉がゆっくりと開かれ、その奥には何度か訪れたことのある大広間が広がっていた。
夜空を映す天井にはシャンデリアの灯りが光をこぼし、その恩恵を受け、純白を基調にした空間は更に
大広場に集う全員の視線がまず先にジェラルドに集まり、その直後、斜め後ろに立つ春子へと注がれる。好奇心と懐疑心が混じる視線に、春子は姫らしく怯えたふりをしてみせた。
「ジェラルド! 部屋で待っていろと言ったはずだが!」
しんと静まり返る空間を怒声が駆け抜けた。声を荒げたのは集う大衆の中でもっとも
周囲の静止も気に留めず、大股で近付いてくる老人を見て、ジェラルドは鼻で笑った。
春子は驚いた。
だって、その老人はジェラルドの父親――このヴィルドール王国、四十六代国王のレオナールだったのだ。いくら実子とはいえ、このような大衆の面前で親を小馬鹿にするなど鬼無ではありえない行為だ。
春子は無意識に眉をしかめ、直後はっとする。このような表情は姫にあるまじきもの。面紗のお陰で表情が分からなかったのは救いだった
「早く用件を済ませたいだけだ」
「用件とは――ん?」
レオナールは怒りで血走った目でジェラルドを睨みつけていたが、その隣に立つ春子に気付いたようだ。器用に片眉を持ち上げ、首を傾げた。
「……ひ、姫?」
春子は頷き、肯定する。
(よく私だとわかりましたね)
今は顔を分厚い面紗で隠し、衣装も鬼無の装束では目立ち、また「死人の衣装は縁起が悪い」と全て燃やされたのでこの国の
いや、袖や胸元が露出しているので肌の色で判断したのだろう。春子の肌色は死人のように白いので分かりやすい。
「なぜ、ここに」
「これを明け渡すためだ」
ジェラルドは早口で答えると、春子の肩を掴んだ。無意識か故意かは判断できないが、力を込められた指が肌に食い込み、肩に痛みが走る。
ぎりぎり、と。力は緩められることはなく、時間が経つにつれ、骨が砕かれると錯覚してしまうほど強くなり、春子は眉を寄せて耐え忍んだ。面紗で顔が隠れていたことに感謝した。このような人前で痛みに
「――失礼」
春子の耳元で誰かが囁いた。
まるで夜のような静けさを孕む
「ジェラルド王子、姫が怪我をしてしまいます」
またもや夜の声が降り注ぐ。
春子がジェラルドの腕を掴む手から、肩へと視線を辿ると一人の青年が立っていた。
歳は三十程だろうか? ヴィルドール人は鬼無人と比べて、大人びいた容姿をしているので、もしかしたらもう少し若いのかもしれない。波打つ銀色の髪を首元でゆるく結び、野生的な真っ赤な瞳を持つ美丈夫は、厚布で作られた礼服の上からでも分かる筋肉質な肉体を持っていた。健康的な褐色肌の表面にはうっすらとだが多くの傷が刻まれており、彼が戦士であることを主張している。
しかし、一番気になるのは美しい面の左半分を隠すお面だ。鉄で作られているそれは、装飾品として着用しているというより、顔を隠すためにつけているようだった。
なんのために着けているのか不思議で、つい見つめていると春子の視線に気付いたのか美丈夫は微笑んだ。
「離せ! お前のような
ジェラルドは大声で叫ぶと自分より上背のある美丈夫を睨みつけた。
美丈夫はその行為にさして気にした様子を見せず、言われた通り、すぐさま腕を掴む手を解くと春子に向かって、小さく会釈をした。
「お目にかかれて光栄でございます。私はアラン・シヴィルと申します」
差し伸べられた手に、春子はこの国の挨拶を思い出した。高貴な身分の女性は手の甲を差し出し、それを受け取った男性は唇を近づけるというもの。
おそらく、アランはそれをしたいのだ。
意図を読み取り、春子は右手を差し出した。
アランは膝を折って、体を小さくさせると春子の手を優しく握り、手の甲に顔を近づけた。唇は触れない。ただ近づけただけだとしても流れ落ちた銀糸が手をかすめ、春子は羞恥に頬を染めた。
「はじめまして、私はハルコ・ウノと申します」
平静を装いながらこの国の礼儀に
「先程はありがとうございます」
「弟が失礼を。感情が
「ジェラルド様のお兄様とは、アラン様のことだったのですね」
顔も似ていないし、アランの姓名はシヴィル。シヴィル家といえば、国から辺境伯の称号と最南端の土地を与えられた一族のはずだ。鬼の侵攻を防ぐ防波堤の役目を与えられている、と聞いたことがある。
「そ、そのことは場所を変えて話しましょうか」
レオナールが汗を拭きながら提案した。どうやら、このような場所で話して欲しくない内容のようだ。
春子とアランは頷き、場所を移動しようとするが、ただ一人、ジェラルドは嫌がった。
「場所を変える必要はない! 早く、このブスを連れて行け!!」
地団駄を踏み、顔を真っ赤にさせて春子を指差した。どうやら、春子をここに連れてきたのはこのままアランに引き渡すためのようだ。
目を
「ジェラルド王子、いい加減にしなさい」
アランの叱責に、ジェラルドの怒りは更に増す。ぐっと拳を握りしめ、眉を寄せると相手を射殺さん勢いで睨みつけ、全身を震わせた。
「お前が俺に命令するな。クズが」
「王族としてあるまじき行為を咎めただけです」
「ハッ! 俺のどこが王族としてのあるまじき行為だって?」
「鬼無の姫君に対する暴行、暴言。咎めるには十分では?」
さすがだ、と春子は感心する。ジェラルドがどんなに怒りを露わにさせても、全くもってアランは気にしていない。それどころか軽くあしらって、説教をしている。
(それにしても、あれほど偉そうなジェラルド様が怒りで
困ったふりをしつつ、心のなかでは楽しんで二人の会話を聞いているとレオナールが足音を消して春子に近付いてきた。
「姫、こちらに」
ここは危険なので移動しよう、と言われたら残念ながら従うしかない。レオナールは夫の父君。たとえ威厳がなく、息子に侮られていても嫁は義父母に従うものだ。
背後から聞こえる喧嘩声に耳を傾けたくなるのを我慢しつつ、春子はレオナールの跡を追って大広間を後にした。
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