第031話 『嚆矢濫觴』②

 そんな状況下、年頃の子供たちの中では村で唯一罹患しなかったシロウは今、生まれてから最も強い恐怖に支配されていた。


 歴史が古いとはいえ、ノーグ村は辺境領に数多存在する一寒村に過ぎない。


 この流行病はやりやまいで順当に全滅したとしても、シュタインアルク辺境伯ハインリヒにとっては舌打ち一つで済ませられる程度の経済価値しかない。


 だが未だ幼いシロウにとって、世界とはつまりノーグ村だ。


 シロウは今、世界が壊れていく様を見せらつけられているといってよい。

 そして幼い子供の身では、それをどうすることもできないのだ。


 圧倒的な恐怖と無力感。

 昨日までの日常が、誰の悪意にも依らずして崩壊していくことへの呆然。


 たった9歳の、それも孤児院で育てられたシロウに出来ることなどなにもありはしない。

 金も力も、知恵も知識も、流行病はやりやまいをたった一人で何とかするなどという、まるで英雄譚の一節を現実のものとするには何もかもが足りない。


 まだ幾人かいるはずの罹患を免れた大人たちは、成す術もなく家に籠っている。

 ノーグ村の住人としてこの流行病はやりやまいに抵抗するには、あるいはそれがもっとも正しい選択肢なのかもしれない。


 だが本当の意味で正しい選択など、もはやなに一つ残っていないのが現実なのだ。


 出た賽子ダイスの目に従ってここまで分岐が進んでしまえば、ここからどれだけな選択をしたとしても、行き着く先はすべてよくない結末にしか至らない。


 村が存続することが可能な選択肢は、行商人の発病が確認されたと同時に村から放り出す、もしくは殺して焼くという普通では選べるはずもないものであり、それを選べなかった時点で詰んでいる。


 幼いながらもシロウは、すでに手遅れなのだという事実を本能的に感じ取っている。


 自分を今まで育ててくれた孤児院は、自分以外の全員がすでにこの病に罹患している。

 唯一の大人であり、いつも頼りにしていたこの孤児院の長である老女は最も早く病に倒れ、その症状は深刻な段階ステージまで進行してしまっている。

 このままでは持って数日というところだろう、というのは素人で子供であるシロウにだってわかってしまうほどである。


「……クソ」


 その老女の額の汗を拭くシロウの口から、言っても意味のない悪態が漏れる。


 今この孤児院の子供たちの中で、最年長はシロウだ。

 一つ下にシェリルという女の子がいるが、その下となれば3つ以上離れた小さい子たちばかり。

 その全員がまだ院長ほど重篤化はしていないとはいえ、まともに起き上がれないくらいにはみな病に侵されてしまっている。


 このまま老女――院長に死なれてしまっては、たとえ生き残れた子供がいたところで、この後どうしていいかなどシロウにはわからない。


「ちくしょう‼」


 意味などないと知ってはいても、悪態を繰り返すことしかできない。

 

 自分の大切なものを守りたいのであれば、自分が正しく行動するしかない。

 そんなことは貧しい寒村、それも孤児院で育てられたシロウは骨身に染みてよくわかっている。


 現実というモノは甘くも優しくもない。

 力なき者にとって現実とは、常に己から何かを奪っていくモノなのだ。


 悪態をついて、泣いて喚けば事態が好転するのであればみっともなかろうがなんだろうがいくらでもやるが、そんなことは無駄に心身の熱量エネルギーを浪費するだけで、何の解決にもならないことくらいは理解できている。


 どうすればいいか――なにが正しい選択肢なのかなんてわからない。

 正解とやらがまだ、残されているかどうかすら。


 だからといってなにもしなければ事態は悪化の一途をたどるだけで、誰も助けてなどくれないコトなど言われるまでもなく知っている。


 提示されている現実は残酷で、状況に応じてなにかを選んで行動することすらできない。

 それでもなんとかしようと行動するのであれば、選択肢を自分の中から捻り出すしかない。


 自分がまだ愚かで非力な子供にしか過ぎないという自覚をシロウは持っている。

 仲のいい同世代の子供たちと夢物語として『魔法』の復活を語るのが好きな、十歳前後の子供としてはごく普通――いや教育や発育という点でいえば普通以下といった方が妥当かもしれない――の凡人でしかない。


 自分だけがこの災禍から生き残ることを最優先とするならば、可能な限り暖かくして孤児院に籠っているのがおそらくは最善なのだろう。


 そういう視点に立てば、にして粗食とはいえ食料は充分にある。

それをだとみなせさえすれば。


 だがシロウは自分一人が生き残ることを最善とは思わない。

 自己犠牲だとか、助け合いだとか、難しいことは知ったことではない。

 そういう耳障りのいい、いわばカッコいい理由からではないことだけは間違いない。


 ただ自分の中には明確な優先順位があって、その中に「自分一人でも生き残る」ことは最初からその序列には含まれていないというだけだ。


 誰に強いられたわけでもなく、幼いながらも己の在り方として。

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