第4話 プロポーズ

「これ、やるよ」


 先生の髪の色に似た深紫のケースを手渡され、緊張しながらそっと開けた。


「神鳥のブローチ……?」


 神の使いとされる、長い羽が特徴の鳥の形をしている。緑と青の宝石が埋め込まれ、陽の光を浴びて煌めいている。


「俺が死んだら、割れる。そうしたら俺のことは忘れて他の男を探せ」

「な……にそれ」


 先生はやってしまったという顔でため息をつくと、座りこんでしまった。


 え……なにそれなにそれなにそれ。


「あれだけ私の告白を断ったのに……」

「断り切れなかったらって思っただけだ。ただの保険で持ってきたんだよ」


 この人は、保険でこんなものを……?


 私が来ないかもしれないのに。

 告白しないかもしれないのに。

 振られて、大人しく引き下がったかもしれないのに。

 あんなふうに、先生が戻るまで結婚しないなんて、言い張らない可能性だって高かったのに。

 それなのに……。


 先生はもう一つポケットから指輪を取り出すと、自分の左手の薬指につけた。

 小さな青と緑の石が嵌められている。

 おそらく、このブローチと対を成している。


 持ち主の死と連動した魔法石は、高価だ。

 永遠の愛を誓う結婚指輪に似て……、価格は十倍に跳ね上がる。


「まさか、先生が私を好きだとは思いもよらなかったけど……」

「そこは、分っかんね」

「分かんないのに、こんな高いものを買ったの!?」

「買っておこうかと思ったんだから、仕方ねーだろ」

「そんな軽い値段じゃないでしょう。それに、先生のその指輪は、私がつけてあげたかった」

「そんなことしたら、ますます俺を待っちまうだろ。そんなブローチなんか捨ててもいいから、早く忘れて他の男を見つけろ。俺は、そっちの方が嬉しいんだ」


 こんなのもらって、そんなことできるわけがない。


「先生、さっきと言っていることが違うから、それは却下ね」

「はぁ?」

「これをくれた時に言ったじゃない。割れたら先生を忘れて他の男を探せって」

「ああ、言ったけど」

「割れなかったら、忘れなくていいってことでしょ?」


 好きだとは言ってくれない。

 そんなの、分かっている。


 でも、私が強情になるほんのわずかな可能性のために、先生の命を感じられるものを用意してくれた。

 自信を持って、いいよね?


「……しまったな……つい本音が……」


 言い訳をするかと思ったら、認めて落ち込んでしまった。いきなり先生が、先生でもなんでもない男性に見えた。


 突如、予鈴が鳴り響く。

 まるで結婚式のように。


 私は座りこんでいる先生の前にしゃがむと、顔を近づけた。


「先生、誓いのキスをして?」

「おま……」

「鐘の音が鳴り終わるまでの、魔法をかけて」


 背後は焼却炉の壁。

 先生に逃げ道はない。


「してくれないなら、しちゃうから」

「調子にのりすぎだろ。ほんっと、しょーがねー奴」


 ここは、誰にも知られない秘密の場所。

 きっと明日からはこの時間、誰も来ない。


 触れるだけのキスが、交わされる。

 先生の手が後頭部にまわって……そして、外された。


「……やっちまった……」

「そんなに落ち込まないでよ、先生」

「はー……、割れたら忘れろよ」

「先のことなんて、分からない!」

「――――ったく」


 予鈴が鳴り終わった。

 私たちの時間が終わる。

 戻らなければ――……ならない。


 ブローチが見つかって、没収されたり先生が怒られるのだけは避けないと。


「……よっと」

「はぁ? おま、ちょ、はぁ~~???」


 制服をたくし上げ、ブローチをつける。


「なんっで、そんなとこに……」

「だって、見つかったらまずいでしょ? ケースだけならともかく。ポケットに入れて落とすのも怖いし」

「本当に俺のこと、男だと思ってんのかな……先生だからって、人畜無害じゃねーんだけど」

「ブラジャーにつけておくのが、一番安全に決まっているじゃない。先生に襲ってもらう時間がなかったのだけが、残念ね」

「そうかいそうかい、あ〜最悪……記憶にずっと残りそうだ……」

「それは、脱いだ甲斐があったかな」

「……かなわんな……ほら、予鈴も鳴った。もう行け」

「……うん」


 この後はまた、先生と生徒に戻る。

 クラスの代表から花束贈呈なんかもあって……私はただ、それを見ているだけの一生徒になる。


「そういえば、先生特権ってヤツでお前の住所覚えてんかんな」

「……え?」

「学園に確認なんてしなくていい。お前の住所、…………だろ?」

「う、うん。合ってるけど」

「忘れていい。他の男と違う場所で暮らしていてもいい。でも戻ったら行くよ、必ず」

「……私が結婚適齢期だったら、すぐに結婚してくれる? 素敵なお嫁さんになれるように頑張るから」

「この、指輪の対になるやつをさ……、次はブローチじゃなくて指輪で買ってやる」

「その時は、ちゃんと私の左手の薬指にはめてね?」

「はいはい」


 スカートを揺らし、私だけが校舎へと戻る。

 きっと後から、なんでもない顔で来るのだろう。


 最後に背後から、聞き取れないくらいの小さな自嘲するような声が聞こえた。


「生徒にプロポーズしちまった……」


 プロポーズ……だったんだ?

 本当に分かりにくい先生なんだから。


 スカートを翻して後ろを振り返り、とびっきりの笑顔で叫んだ。


「謹んで、お受けします!」

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