ごった煮、同舟
「え?ごった煮、同舟?何だそれ」
神埼は、零細カメラスタジオ『クルメ事務所』で、クライアント先の新人記者・鬼瀬に眉をひそめた。事務所の社長である久留米が「まあまあ」と宥めてくる。
「神埼くんはただでさえヤクザ上等みたいな強面なんだからさ、そんな顔しちゃ仕事が逃げちゃうからさ」
「すんません。でも、心底ダッセェ企画名じゃないっすか。とても地方出版社が出す企画とは思えない」
「ううん、何というか……個性的だからさ」
クライアント先に下手なことは言えない久留米に、なぜか鬼瀬がフォローを入れる。
「僕は全然気にしてませんから。春の人事異動で新しい編集長がきたんですが、奇天烈な企画ばかり通すもんでして、僕らもまさかオッケー出るなんて思いませんでした」
鬼瀬が「参りました」と頭を掻く。神埼が溜め息を吐いて企画書を親指で弾いた。
「だいたいお前、ごった煮の意味知ってんの?」
「いろんな具材を一緒に入れて煮込むことですよね。つまり、十人十色の住民が住む街を舟に見立てて、巷で顔の知れた変人のプロファイルをまとめてみようっていうコンセプトです」
「趣旨は?」
「噄途市に対する興味関心の向上と宣伝、防犯対策です」
「防犯対策はアウトだろ。この街にヤバい奴がいるって公表したら、逆に近寄らなくなるだろうが」
「でも、この世に魅力ばかりの情報なんてないでしょ?」
神埼は鬼瀬を無言で見つめ、再び企画書に視線を落とす。ひ弱そうな見た目と裏腹に、意外と肝が据わっているのが印象的な男だった。
雑誌に載せる住人の候補リストを眺める。
「よくもまぁ、変な連中の情報集めたな……。でも『KITA-FM』の兄ちゃんは一般人じゃねぇの。担当してた番組がヤバかっただけで」
「そのヤバい番組に出演してたからこそですよ!ゲストにきてた鳥人が生放送終了後に市内を飛び回ってたの、知ってます?」
「知らん。そいつの狙いは何だったんだよ」
「分かりません。でも、鳥人と直接やり取りした若松さんなら分かるはず」
久留米が神埼の顔色を窺うように声をかける。
「でさ、お得意さんが回してくれた仕事だからさ……」
神埼はソファから立ち上がり、自分のデスクに置いていたショルダーバッグを手に取る。不安そうに見上げてくる社長に思わず笑ってしまった。
「うちは仕事の選り好みする立場じゃないっしょ。行ってきます」
「た、助かるよ神埼くん!いろんな変人の写真撮ってきてくれよ!」
鬼瀬がスマホを取り出し、マップアプリで目的地を見せてきた。
「アポはすでに取ってます。まずは豊中大学に行きましょう!」
まるで予定通りとばかりのスマートさに、数秒前に発した言葉を撤回したくなった。もう少し、請け負うのを渋って困らせてやっても良かったかもしれない。
*****
鬼瀬の社用車に乗り、豊中大学近くの駐車場で降りてから大学に向かう。校門をくぐり、3階分の階段を上がると、校舎に囲まれた大広場に出た。鬼瀬が手前の校舎に入った学生食堂を指差す。
「取材相手はあそこにいます」
「昼飯食ってんのに良いのかよ」
「時間がないから食べながら聞いてやる、だそうです」
「ずいぶん上から目線の態度じゃねぇの。お前、舐められてんじゃね?」
「そういうタイプなんですって」
候補リストはざっくりとしか見ていない。今から会うのは誰だろう。神埼は鬼瀬の後に続いて食堂に入る。鬼瀬が食券機の前で止まり、振り返った。
「ついでにご飯食べましょうか?」
「もちろんお前の奢りだよな」
「何言ってるんですか。間違っても僕じゃなくて神埼さんでしょ」
「本当に良い度胸してんな、お前」
サンドウィッチカレーの食券を買ったところ、なぜか食券が2枚出てきた。仕方ないので、鬼瀬にくれてやることにする。
食堂に入ると、多くの学生がぎょっとした目で神埼を見てきた。神埼は頭を掻きながら、そそくさと厨房前に移動する。目つきの悪さや無精髭、大柄な体躯はあまりにも目立ち過ぎた。
お盆を受け取り、鬼瀬と窓際奥の4人席に向かう。そこにいたのは、黒い半袖シャツにハーフパンツという出で立ちの筋肉質の青年だった。中途半端に伸びた髪をポマードで撫でつけているが、もう少し伸びたらリーゼントにできそうだ。
青年は鬼瀬と神埼を睨みつける。
「あ?んだオラ」
とてもではないが、大学生に見えない。大学に迷い込んだ昭和のヤンキーだろうか。神埼は鬼瀬の前に出て、青年のテーブルにお盆を置く。
「飯の途中に悪ぃな。話聞きにきたんだけどよ」
「テメェ、話を聞きにきた分際でずいぶんと偉そうじゃねぇかオラ!あとオッサン、ちゃんと手は洗ったんかコラ」
「意外と真面目なヤンキーだな」
鬼瀬が神埼の隣に座り、青年の前に名刺を置く。
「和白さん。今日は時間を下さり、ありがとうございます。西新出版の鬼瀬です。『ごった煮、同舟』企画でお話を伺えればと思います」
「おいテメェ、隣のデカブツは誰だよオラ。聞いてねぇぞコラ」
「カメラマンです。ぜひ写真を掲載させていただければと」
神埼は名刺入れから自分の分もテーブルに滑らせる。和白と呼ばれた青年が文句を言う前に、神埼は一眼レフを見せつけた。
「黙って写真撮ってるだけだからよ、気にすんな」
鬼瀬が素早く割り込み、和白の意識を引きつける。
「早速ですが、国内唯一のリーゼント学部所属との噂ですが、実際のところ何を学ばれているのですか?また、大学4浪の全容とは?」
「リーゼント学部ってなんじゃ舐めとんのかオラ!」
結局、食事を前にして双方で喋り倒していた。神埼は和白の写真を淡々と撮り、2人の応酬をBGMにサンドウィッチカレーをいただいた。
*****
鬼瀬と大学を出て、大通りを歩く。彼は校門をチラリと振り返った。
「学生食堂の厨房にシゴト人のチドリという男も働いていたんですが、今は消息を絶っているようです。名前や顔を変えて暮らしているのかも」
「よくアポ取れたな」
「ええ。この後会うのはシゴト人ですけど大丈夫ですか?」
「馬鹿言え。職業柄、慣れっこだ」
『クルメ事務所』は広告や雑誌の写真撮影を請け負う少数精鋭カメラマン集団だ。鬼瀬の所属する西新出版は得意先で多くの依頼を請け負ってきた。神埼も裏稼業を営む者たちの情報をすっぱ抜いたり、情報をダシに取引を交わしたりしたこともある。
豊中大学の次に向かったのは、地下鉄駅のホームだった。鬼瀬が腕時計を確認し、「よし」と頷く。
すると、トンネルの奥が小さく光り、電車がホーム構内に進入してきた。神埼は眉をひそめた。
「おい、今アナウンス入ってねぇぞ」
次いで、神埼はさらなる異変に気づく。ホーム構内には、神埼と鬼瀬以外に誰もいない。
電車のドアが開き、鬼瀬が何の躊躇いもなく足を踏み出す。神埼は緊張と興奮を半々に抱えつつ、一眼レフを手に取って鬼瀬を追い越した。
車内に入ると、乗客は1人だけだった。黒コートの男が、7人掛けの席に寝そべっている。その下に、黒鉄色の大鎌が横置きされていた。神埼と目が合うと、彼は大欠伸をしてみせた。
「俺、昼夜逆転してるんだよ。シゴトは基本的に夜だからさ。あんまりダラダラ喋られると黙ってほしくなるかもしれねぇ」
一眼レフを構え、黒コートの男と大鎌を一緒に収めてシャッターボタンを押す。撮った写真を確かめて、神埼は息を呑んだ。写真には男も大鎌も写っていない。
黒コートの男が身体を起こし、大鎌を手に取る。大ぶりの刃が、車内照明の白色を吸収して黒光りしていた。
「せめて許可を取ってくれよ。別に撮るなって言ってるわけじゃないぜ?でもアンタ、何も言われないでいきなり写真撮られたらどう思う?嫌じゃん」
「悪ぃな。取材なんだから写真を撮ることも想定内だと思っていた。で、お前は何なんだ?写真に何も写っていないだけどよ」
「始末屋だぜ。最近は人の皮を被った機械の処理ばっかりしてるけど、生身の人間も守備範囲内だ」
鬼瀬が神埼の前に進み、頭を下げる。
「連れが失礼しました。西新出版の鬼瀬と申します。先ほどの写真の件も含めて、今日は少しばかり取材させていただければ幸いです」
黒コートの男は鬼瀬をじっと見つめ、大鎌を通路に横置きした。それからロングシートに寝っ転がる。
「そこ座れよ。眠いからとっとと終わらせてくれ」
「ありがとうございます」
鬼瀬は通路を挟んだ反対のロングシートに腰かけ、神埼も座るよう目で促してくる。神埼は鬼瀬から1人分だけ空けて腰を下ろした。黒コートの男が神埼に声をかける。
「アンタ、シゴト人界隈で有名だぜ。シゴト人をゴシップネタに使いまくる死にたがり野郎だってな。でもアンタは死なない。逃げ足が速いんだか、腕が立つんだか」
「正確には、ゴシップネタを編み出す出版社と俺に写真を撮られるお前らが悪いんだけどな。俺は自分の仕事をしてるだけだからよ」
黒コートの男は固まったが、やがてクツクツと笑い出した。
「違いないな。面白ぇ。さて、取材時間は4つ目の駅に着くまでだぜ」
電車がゆっくりと動き出す。神埼は立ち上がり、一眼レフを取材対象に向けた。何も写っていないなら、機能を駆使して少しでも爪痕を残せば良い。
*****
4つ目の駅で電車を降りた。ホーム構内には誰もいなかったが、エスカレーターで上階に行くといつもの日常が広がっていた。神埼は鬼瀬を置いて再びホーム構内に戻る。電車を待つ乗客の風景が広がっていた。
鬼瀬は、アポをぎっしりと取っていたらしい。中華食堂の元殺し屋や25歳の魔法少女、『クレーターマン』に心酔する大学生、『KITA-FM』のラジオナビゲーター。限られた時間で多くの情報を収集してきた。
その日の23時に、公園で夜行図書館の館主への取材を終えたところで取材は終了となった。公園を後にして、すぐに鬼瀬に聞いた。
「おい、あの館主ヤバくね?フクロウの被り物っていうか、本物じゃねぇの」
「さあ。ちなみに、本は借りてませんよね?」
「借りてねぇよ。本なんて読まねぇし。何だよ、借りたらヤバいのか?」
「さあ。取材してみますか?」
「お前、本当に図太い神経してやがるな」
神埼は一眼レフに残した写真を確かめながら鬼瀬に話しかける。
「今日会った連中はまさしく『ごった煮、同舟』だな。世にも奇妙過ぎて、防犯もクソもねぇぞ。そもそも、最初にこの企画を言い出したアホはどこのどいつだ?」
シゴト人やラジオナビゲーターを差し引いても、ある程度アタリをつけていなければ、変人を街中から炙り出すことなどできない。最期のフクロウ男は完全に化物の類だった。
ふと、鬼瀬の手際の良さが気になった。下準備は取材の基本だが、それにしても工程が鮮やか過ぎる。
鬼瀬が肩をすくめた。
「企画を提案したのは僕です。全員にアポを取ったのも僕です」
「大層な人脈じゃねぇか。とても新人編集とは思えない」
「いえいえ。こっちの世界じゃ、まだまだ狭い繋がりですよ」
「あ?今、何て言った?」
聞き返しても、鬼瀬からの返答はない。神埼は何となく、一眼レフを鬼瀬に向けて構えた。
液晶モニター越しの鬼瀬が立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「何をしてるんです?とっとと退散しましょう」
「……悪ぃな。今日、けっこう勝手なことしちまってよ」
「急に殊勝な態度を取られると逆に緊張しますね。どうかしましたか?」
「何でもねぇけどな。クライアントの仕事の邪魔になっちゃいけねぇからよ」
「邪魔だなんてとんでもない。今日は1日ありがとうございました」
「こっちこそ、仕事サンキューな」
神埼は一眼レフをケースに戻し、鬼瀬の後を追う。口内がすっかり乾ききっていた。
機材の調子が1日通して悪かったのだ。神埼は首筋を伝う汗を拭い、自分にそう言い聞かせる。
一眼レフの液晶モニター越しに見る鬼瀬の目が赤黒く妖しげに光り、口元から鋭利な牙を覗かせていたことも、一眼レフのメンテナンス不足に違いない。
『ごった煮、同舟』の企画は来月号の雑誌に掲載されるらしい。神埼は発売当日に読もうと決めた。
誰よりも先に記事を読んで、SNSを通して読者に警告するのだ。
興味本位や生半可な気持ちで噄途市の変人たちに関わってはいけない。この街の『ごった煮』は、闇鍋の要素を強く孕んでいる、と。
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