元異世界勇者、現実で見返してやるってよ。(Part A)

 異世界には4年近く転生していたけど、幸い現実世界の時間は全く進んでいなかった。


 『異世界レビューRADIO』の若松さんに「貴方が異世界転生している間に、周りは現実を生きている」と脅されたから、今は心底ホッとしている。


 勇者カムイを引退したボクは、4年ぶりの労働に向けて目を覚ました。午前6時30分を示すデジタル時計に殺意を覚える。


 部屋を出て、1階の洗面所で顔を洗った。リビングに行くと、朝食の準備をしていた母が無感動な瞳を向けてくる。


 「今日バイトの面接でしょ?ご飯もうすぐできるから、ちゃっちゃと食べなさい」


 ああ、そうか。異世界転生する直前に大学厨房のバイトをクビになったんだっけ。今日行く面接は、クビになったその日にタウンワークで適当に見つけた仕事だ。


 社会人としての危機感も責任も将来の見通しもなく、「何かしている素振りを見せておこう」程度のポテンシャルで仕事をしている。高校卒業後はニート生活を満喫していたが、20歳の誕生日に勘当されかけて、重たい腰を上げた。だが、アルバイトは全く続かない。


 無意識で自分の席に座り、目の前に出てくる朝食をいただいた。子供の頃よりも、咀嚼音を気にするようになった。


 5分で食べ終え、洗面所で身支度をする。とはいっても、ボクは自分の身なりなんてどうでも良い。頭を洗って乾かして髭を剃って終わりだ。ワックス?ジェル?何それ美味しいの?


 隣室のリビングから「おはよー」という声が聞こえる。4年ぶりに聞く妹の声だ。静かに洗面所から出ると、妹が頬を引きつらせる。ボクは妹の横を足早に通り過ぎた。一瞬だけ視線を後ろにやって妹のスマホを覗く。ツイッターのツイート画面に『ニートもどきが朝から張り切ってて草。どうせ3日坊主』と書かれていた。


 2階の自室に帰還し、クローゼットから服を適当に見繕う。立ち鏡で自分の服装を見ていたら、服じゃなくて前髪が気になった。さっき洗ったのに、どうして天井に向かってシャキーンと立ってるんだろう。ドライヤーでちゃんと乾かしたのに。


 ボクは目を閉じて眉間に人差し指を当て、立ち鏡に向かって片手を伸ばした。


 「……コントロールゼット・リスタート!」


 しかし何も起こらない。


 ぶふっ、という小さい笑い声が聞こえた。部屋の入口を見ると、妹がドアの隙間からボクを覗いている。ボクの視線に気づくと、思いきり睨みつけてきた。


 「朝からマジでキモいんだけど。いっぺんくたばれし」


 「さ、さーせん」


 しまった、ここは現実だ。魔法を使っても、お気に入りのヘアスタイルに設定変更できない。そういえばボク、毛量が少ないな。単に勇者カムイがロン毛だっただけか。高3の妹に侮蔑の目を向けられる23歳とは……。


 立ち鏡に写る自分の情けなさに、溜息を吐く。なんて無様な見てくれとステータスだ。


 勇者に転生して何度も困難を乗り越えて、ドラゴンを倒してモテモテになったのが嘘みたいだ。いや、実際嘘なんだ。履歴書に書けるわけもなく、自慢できるわけでもなく。


 あれ、経験値全く貯まってないじゃん。


 ラジオゲストに呼ばれ、若松さんに現実を叩きつけられた日から2日経った。全国に流された切れ味100%の言葉が、脳裏でずっと燻っている。


 正論だけど、マトモだけど。それができないから、ボクはボクになったんじゃないか。


 でも若松さんの言葉は、確かな熱量を持っていた。ボクは彼に叩き潰されたと同時に、目を覚まされた。


 今さら間違えたって失うもの何もないだろ。逆ギレしたくなるくらい仰る通りだ。


 立ち鏡の自分に言ってやった。


 「若松さんを見返してやろう。言われっぱなしで良いのかよ」


 ボクは、洗面所で髪を洗い直した。ついでに妹のシャンプーとリンスを勝手に使ってやった。


*****


 異世界転生前に応募したアルバイトは、中倉駅前第一門司ビル内の本屋だった。


 控室の業務用テーブルに座ったボクは店長と向かい合っている。店長が履歴書から顔を覗かせた。


 「二島くんはけっこうアルバイト転々としてるね。何かこう……理由はあるの?」


 「りり、理由はまぁその、ミスマッチといいますか対人接客みたいな、はい」


 「うちもお客さんと対面する仕事だけど大丈夫?」


 「大丈夫、です!本が、ありますから」


 「本好きなの。何読むの?」


 「時代小説を除き全般を。特にアクション小説や異世界転生ものが好物ですね。現実で上手くやれていないキャラが異世界で仲間と出会い、困難に立ち向かいながら現実では成し得なかった経験や成功を知っていく様は、読者もキャラに共感できて、将来不透明で息苦しさを覚える現代人の糧になると考えています」


 一息吐くのも忘れて喋り倒してしまった。ボクの悪い癖だ。ラジオでも調子に乗って若松さんに怒られたのに。


 腹の奥がズーンと重くなったボクは、恐る恐る店長の顔を窺った。店長は眉を寄せて唸っている。やらかした。もうダメだ。


 「……ニ島くんは良い趣味してるね。僕も好きだよ、異世界小説。意外と激アツな展開があったりキャラに入れ込んだりしちゃってさ。うん、うちで頑張ってもらおうかな」


 「ヘ」


 「今度オススメ小説のPOP作ってよ。今どきの若い子は本なんか読まないし、異世界もの多めで良いから」


 ボクは久々に職を得た。正確には前職をクビになって数日後だけど、感覚的な面で安堵と驚きが同時に押し寄せる。


 あまりにも幸先が良すぎて不安になって、最寄り駅まで歩くことにした。


*****


 無職からフリーターへの一歩は大きい。最初こそ、週5のシフトで9時間拘束の日々に大苦戦した。朝は「帰りたい」の一言で起床し、レジが混んできたら吐き気を催した。そんな自分の脆さを痛感しながら同窓生のツイッターを見て軽く死にたくなる。


 2週間経ってようやく身体が慣れてきた。シフト終わりの午後5時、ボクは生まれて初めてマツモトキヨシに足を踏み入れた。気配を消して男性化粧品コーナーに一直線する。


 事前リサーチの通り、ワックスやジェル、ヘアオイルが売っている。ボクは「高ぃよぉ」と蚊の哭く声を上げつつ、商品を買った。一応、成分とか髪質とかも調査済みだ。


 さらに、東急ハンズで腹筋ローラーと美顔ローラーも入手し、髭剃りも新調した。買っただけで満足しそうになって、自分の頬を叩く。錯覚するな。まだ何も始まっちゃいない。


 実家に帰ると、ちょうど妹にエンカウントした。スカートの丈が短く、細い脚がスラリと伸びている。同じ血が流れているとは思えない。


 ボクは思いきって声をかけてみた。


 「た、ただい」


 「ジロジロ見ないでよ気持ち悪い」


 完敗だった。挨拶すら許されないのか。でも、だからこそ進化したボクを見て妹がどう反応するのか気になる。


 夕食を5分でいただき、自室で腹筋ローラーと体幹トレーニングをした。1日で挫けそうになった自分に喝を入れる。


 若松さんを見返すには、見た目を変えるだけじゃダメだ。ボクが社会に貢献していることを証明して、初めてリベンジ成功となる。


 つまり、『働くこと』と『納めること』、そして『繋がること』だ。

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