湯けむり生き埋め殺人事件

[録音開始]


 ——週刊ノーヴェ4月号の巻頭インタビューとして、灰白澤黒創先生に鯨井がお話を伺います。灰白澤先生、よろしくお願いします。


 鯨井さんね……。


 ——何か。


 名字はともかく、わざわざ名乗るインタビュアーも珍しい。まあ、どうぞよろしく。


 ——灰白澤先生といえば、4年ぶりに発表された『湯けむり生き埋め殺人事件』で注目を集めていらっしゃいます。本書はすでに3刷の重版がかかり、売り切れ店舗も続出しています。先生の中で手応えはありましたか。


 手応え、ね。その言い方は好きじゃないな。私は10年前にデビューしてから今作含めて4作を世に出している。それら全てに全力を注いだよ。


 ——失礼しました。しかし先生の前3作はスポーツものでした。なぜ今回は殺人事件で推理ものを書かれたのですか。


 自分の心境の変化や経験を通して挑戦意欲が湧いてね。実際の温泉に行って調べたり、殺人トリックを本で調べたりしてプロットを起こしたかな。


 ——本作では、温泉街の砂風呂で女性の生き埋め死体が見つかりますね。誰に殺されたのか、殺人旅館の汚名を覆すべく女将の息子が解決に向かって奔走する。1人で謎解きという流れは最初から決めていたのですか。


 決めていたよ。1人で事件に立ち向かう方が構図として面白いし、キャラクターを動かしやすい。


 ——動かしやすい、とは。


 捜査陣が複数だと、多少の複雑化は避けられない。事件を追うのが1人なら読者も分かりやすいだろう。


 ——しかし既存の推理小説で考えると、複雑さこそ読み手の想像を膨らませ、楽しませる機能ではないかと思いますが。


 そこは否定できない。だが、私は犯人の思いを意識した話というコンセプトも持っていた。犯人が1人なら、事件を解決する主人公も1人だろうな、と。


 ——では先生は、犯人と捜査員の人数は対等であるべきだとお考えですか。


 そうだね。犯人は必ず捕まるファクターを持つ。まず物語的に恵まれていない。彼の所業は社会的に悪だが、個人にとっての善だったからこそ、犯罪という形で目的を成し得た。そんな彼の行いを複数人で追い詰めるのは、理不尽だと思う。


 ——犯罪者に対する興味深いご見解ですね。


 犯罪者に肩入れする危険思想の作家と言われかねないが、エンタテイメントに留まらない『1人の人間としての犯人』を書きたかった。犯人には犯人の善がある。それを複数の正義が全力を尽くして潰しにかかることに疑問を覚えたんだ。


 ——リアル感のある話ですね。犯人の動機が、元恋人である被害者への恨みというのも馴染みがあります。


 リアルさは追求している。だが作家の想像力と言ってほしいな。


 ——失礼しました。ところで先ほど、先生は今作を書く上で温泉街の散策や殺人トリックの資料収集をされたと仰っていました。今作では時差トリックを使われています。


 実用的かつ現実的だと思ってね。今どき時差トリックなんて古臭いというか、出尽くされた感はあるがね。それでも読みやすさ重視で書いた分、対象の読者層も広がったんじゃないかな。


 ——温泉街はどちらに?


 乃部温泉へ。あそこは各部屋に鯨のオブジェがあるんだ。鯨が海底の地殻に衝突して湯が沸き出たことから、鯨が特別視されている。砂漠から採った砂風呂もあるし……。


 ——昔行かれたこともありますしね。


 なぜ赤の他人である君にそんなことが言える。


 ——乃部温泉で知人がお会いしたんです。7年前の冬に。


 7年前。冬。あの頃は次作を書けずに苦しんでいた時期だ。温泉に行く余裕はないよ。


 ——そうですか。てっきり乃部温泉で殺人トリックの実地検証をされたのかと思いまして。


 殺人の実地検証だと。君は私を人殺し呼ばわりすのか。しかも作家を冒瀆する発言だ。無礼だぞ。


 ——言葉に語弊がありました。ただ乃部温泉は以前、客が死亡した事例があるので、それを参考にされたのかと。


 事故死だろう。大きな事件なら耳に入る。知らんよ、そんな事例。私は砂漠の砂を使った砂風呂というアイディアを起点に、乃部温泉を見つけたんだ。


 ——逆ではないでしょうか。乃部温泉での経験や心境の変化があったから今作が書けたのでは。であれば、先生が急にジャンル変更された理由もつきます。


 邪推も大概にすべきだ。実に腹立たしい。君は、乃部温泉で私が実際に起こした事件をモデルに、今作を書いたと言っているんだぞ。


 ——はい、そう申し上げております。犯人への過剰な肩入れは、自身の罪の合理化ではないでしょうか。


 なっ……。


 ——あくまで私の意見としてお聞き下さい。


 聞けるか!君の上司を呼べ!これは明確な名誉棄損だ。急にデタラメを抜かして、君は頭がおかしい。


 ——分かりました。しかし、譲れないものはあります。こちらの話を聞いてから、私を断罪されればよろしいかと。


[録音中断]


 ——先生には作家デビュー以前から交際していた方がおりました。その女性はデビューを喜びましたが、決定的なヒットはありませんでした。作品の生みに苦しむ先生との諍いも増え、彼女は別れを切り出し、先生の元を離れました。

 しかし、転機が訪れます。3作目が巷で話題になったのです。それをチャンスと見た先生は彼女に復縁の機会として旅行へ誘いました。それが7年前の冬、乃部温泉です。


 話を作るなら登場人物の心情を考えなさい。元恋人からの唐突な連絡で温泉旅行に誘われたら、女性は不審に思うに違いない。


 ——女性にはすでに、新しい彼氏がいたんですよ。その人が勧めたんです。「プロの作家と2人で旅行だなんて、こんな機会ないよ。僕は先生のファンだから、土産話を聞かせてほしい」と。


 君はもしや……。


 ——さて、女性は先生を旧友とみなして旅行へ行きました。ですが案の定、先生は復縁を申し入れます。無論、彼女は断りました。それが事件の起点です。


 被害者への個人的な恨みか。忌々しい。……今のストーリーを進めるとして、女性をどうやって殺すんだ。


 ——今作で使われた時差トリックです。実用的で現実的な。


 下らない妄想で自分の首を絞める様は滑稽で無様だ。それに憐れで見ていられないから口を閉じてくれ。


 ——簡単な話ですから、おつき合い下さい。

 一般的に、温泉には時計がない。ただし乃部温泉では、午後9時に温泉営業終了1時間前の合図が入ります。各部屋にある鯨のオブジェが鳴くんです。

 最も重要なのは、鯨の鳴く時間は人の手で調整可能ということです。先生はこれを1時間繰り下げ、他の客がこない状況を作りました。


 女性を温泉に入るよう誘導しなければならん。


 ——誘導ではなく、強要で通ります。先生が『部屋でアイディアをまとめたいから20分ほど1人にしてくれ』と言って、珍しい砂漠の砂風呂でも勧めれば彼女は乗ります。


 ……だが、鯨の時間調整など一見の客に分かるものか。


 ——時間調整をしているタイミングを目撃していたら分かるのでは。あるいは直接、取材と称して旅館の方に教えてもらえば良い。


 胸糞悪い、時間の無駄だ!帰る!


 ——まだ殺した手段をお話していません。ここでお帰りになって、その後の私が何をするか気になりませんか。


 侮辱の次は恫喝か。本当に見境のない屑だ。

 だが、どのみちくたばるんだと考えたら、怒りよりも呆れが込み上げてきた。その妄想、聞いてやる。


 ——最初は事故死と片づけようとしたにも関わらず、急に聞き分けが良くなり不思議ですね。


 ……早く言え!


 ——7年前の検分では、窒息死と判断されました。大量の砂に埋もれた状態で発見されたからです。実際、乃部温泉の砂風呂は営業終了後、新鮮な砂漠の砂を維持するために砂の入れ替え作業をオートで行っています。その日に使った砂が底部の処理口に落とされ、天井から新しい砂を投下するのです。

 彼女は先生の時差トリックに気づかず、営業を終えた砂風呂に足を踏み入れ、入れ替え作業に巻き込まれて生き埋めとなった。これが現状です。

 でも考えてみて下さい。なぜ室内に入って、係員の不在を変に思わなかったのでしょうか。加えて入れ替え作業にドンピシャで巻き込まれるのも変です。逃げる余地はあるでしょう。


 結論は何だ!


 ——本当の死因は縊死です。先生が先ほどからビクビクさせている右手の人差し指と親指で、彼女の頸動脈を圧迫したのです。係員に扮して。

 先生は今までスポーツ小説を書かれてきました。処女作では柔道を扱われています。締め技を熟知されており、気絶の先にある死を理解されている。摘んだ痕が残らないように調整したのでしょう。

 後は砂風呂に彼女の死体を投げ込めば完了です。


 待て、オート作業なら旅館の人間がモニタリングしているだろう。そこに私がいなかったら、お前の話はデタラメだ!私の貴重な時間を奪った代償は大きいからな!


 ——そこで『鯨井』の名字です。先生は冒頭で何かを思い出すような顔をされました。

 リマインドの必要はありませんね。先生が砂風呂の係員、鯨井さんに過剰なチップを渡し、無断で貸し切り状態を作った。モニタリング不要という条件つきで。


 いや、待て……。


 ——検分が甘かったとはいえ、事故死を装って殺人に手を染め、あまつさえエンタテイメントの材料にするとは。先生、過去からは逃げられません。


 それは違う、鯨井は彼女の名字だ!あいつじゃない!


 ——ボロを出すには早いかと。正直、今のは推測混じりでした。しかしやはり、旅館の係員に工作を手伝わせていたようですね。

 現時点で確実なのは、貴方が彼女のことを知っていたことと、私の話を聞き終えて血の気を失っておられることです。


 インタビューは本物の仕事だろう。お前はクビどころか、社会的に墜落する。私がお前の話を聞いたのは、矛盾を探すためだ。お前、奴の恋人だったんだろう。


 ——お気づきの通り、私は貴方の後に彼女と交際を始めた者です。先生と彼女に関係があったことを知り、先生がいつか殺人事件を書くと確信したからこそ、7年も独自調査に時間を捧げることができたのです。


 つまり、見返りが欲しいんだな。私を強請って甘い蜜を吸おうという魂胆か。


 ——金銭を強請るつもりはありません。


 なら警察に突き出す気だな!


 ——いえ。


 理由がなければこんなことをしないだろう!


 ——死なば諸共、です。


 は?


 ——私は彼女を先生に会わせてしまった。貴方は彼女を殺してしまった。我々は彼女の人生を狂わせた共犯者であり、伴走者です。私が滅ぶなら、貴方も滅びます。


 ……狂っている。お前は自分から滅びの道を選んだんだろう!


 ——はい。貴方を落とすため、まず私から落ちました。

 全てを失ったこれからの私は、人生の全てを貴方の没落に捧げます。ときに背中を突き、ときに足元を揺らし、貴方の物語を動かします。

 先生、過去からは逃がしません。私は貴方のファンですから。


 ……私が今、お前を殺すとしたらどうする。


 ——インタビューは終了です。灰白澤先生、お忙しい中お時間を下さり、ありがとうございました。本日のインタビューにつきましては編集及び調整の上、4月号に掲載させていただきます。

 またお会いできる日を、心の底から楽しみにしております。

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