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 朝の日差しが心地よくなり始める三月、日々の変化は少しずつ。まるで昨日と今日が違うように、だけどそれが劇的ではない為に、いつの間にかと驚いてしまう。それは唯一『忘れる』事が許されているからで。苦しみや悲しみ、痛みや激情をそのまま抱えて日々を生きるには、人はまだまだ弱いから。



 恵が家中で過ごせるようになって、徐々にでは有るが、皆ともコミュニケーションを取れるようになり、有紀や佐知とも会えるようになった頃、彼女の顔から隈は見えなくなっていた。


 ただ、全くの他人とはまだ接触できないようで、玄関チャイムが鳴るたび少し緊張するのが見ていて辛かった。



 こんにちわ(*゚ェ゚*)ノ

     

             こんちわ(o'∀')ノ


 今日はいいお天気だから、気分がいいです!

 これから溜まったお洗濯します(;д;)


         頑張ってください( ´・ω・)ノ



 SNSに来た橘さんからのメッセージに返事を打ち込みながら、ふと窓の方を見上げると、確かに抜けるような青空が広がっている。


「……もう、雪を見る季節じゃなくなったな」


 そんな言葉を部屋のベッドで溢し、ふと過るのは竜太のぼろぼろになった顔だった。彼は引き篭もるような状況にはならなかったが、逢えないと判っていても毎日家に顔を出し、未だ声すら聞けない恵を心配して、無理に作った笑顔で帰っていく。憔悴し、かなり体重も減ったのだろう。ダブダブになった詰襟を、着込んだ服で誤魔化して、目の下の隈を消せなくなって居た。


「……あいつもどうにかしてやらないとな」


 そうしてスマホのSNS画面を切り替えると、メッセージラインを一行だけ送ってから、ポケットに押し込んだ。




◆◆◆◆



「康太、今度の講習会、どうするの?」

「……俺は就職組だから、講習会はいいや」

「……そう」


 皆の輪から外れて一人、教室の窓側席から外を眺めてそう答えると、斜め前の席に座った有紀から幾分、沈んだ声が聴こえてくる。……去年の十一月に受けた学年末テストで、最終学年のクラスはもうほぼ決まっていると言っても良いだろう。故に二年の三学期になると、皆進路を決めた進学先に向け、専門的に各教師が行ってくれる「講習会」が開かれるのだ。有紀は当然、看護大学に志望校を決め、その為の勉強に勤しんでいる。


 唯俺は……父との約束通り、就職組へと決まった。正月、幾つかの書類に署名し、既に押印もした。勿論だが、その決定に後悔はない。なし崩し的だったのが少し嫌ではあったが。


「じゃぁ私も――」


 そんな事をぼうっと考えていると、不意に有紀が変なことを言おうとする。じゃあってなんだ? まさかこいつ、行かないつもりか?


「何言ってんだ? お前は出ろよ。……看護大学、絞ったんだろ」

「でも、恵ちゃ――」


 恵……今ここで恵の名前を出す理由……っ!


「馬鹿野郎! それとこれとは関係ねーだろ!」


 有紀の言葉につい、大きな声で反応してしまう。教室中から視線を集めるが、そんなのはお構いなしに彼女を睨みつけると、彼女は俯いて「……ごめんなさい」と呟いた。途端周りに居た女子生徒の一人が「有紀大丈夫?」と声を掛け「どうしたんだ」とクラスメイトの一人は俺に聞いてくるが「なんでもねぇ」とぶっきらぼうに答えて、居づらくなった教室から逃げ出した。





 ……お前の気持ちは分かるさ。


 ……いつの間にか、一人ばらばらになってしまったからな。


 ――淋しい気持ちも、哀しい思いも。


 ――だからって、有紀、お前の優しさに甘えてばかりじゃ駄目なんだよ。お前自身が辛い思いをしてたら、それこそ意味がねぇじゃんか――。



「……さみぃ」


 三月と言えど、山間に建つ校舎の屋上に吹く風は強く、まだまだ寒い。格好つけてここまで来たのはいいが、鉄扉ドアを開けた途端、それは後悔となってビュウビュウと押し寄せる。すぐさま心が折れ、ドアを締めて踊り場にへたり込むと、ついそんな事を考えてしまう。


「……プフッ!」

「――っ!?」


 俺の心からの言葉に思わず堪えきれなかったのか、吹き出すその声音にガバリと身を起こした先には、有紀が俺のカバンを持って必死に肩を震わせている。途端、顔に熱を感じながら「何笑ってんだよ!」と、虚勢を張った瞬間、彼女の感情も抑えきれなかったのだろう、持った二つの鞄を床に落とすと、大きな声で笑い出す。


「ブハハハハ! ごめん! 無理! だって、だって、あんなにカッコつけてさ、ドアを開けた途端「さみぃ」って小声で……あははは! もう、もうなんか無理ぃ!」



 ……赤面したまま俯き、肩を震わせる。


 よく考えてみよう……彼女の言った言葉を全て。教室で怒鳴られ、半ば怒りに任せて飛び出した俺を、慌てて彼女はカバンを持って追いかける。階段を駆け上がり、遂に屋上まで上り詰めた俺が、勢いよく扉を開くと……山からの吹き下ろしの突風をモロに喰らい、小さく『さみぃ』とゆっくり鉄扉ドアを閉じる光景を。


 ――特等席で眺めていたら。


 ……駄目だ、ダメダダメダダメダ駄目だ! 爆笑する自信しかない! いや、でもここで笑ったら……。


「……はぁ、はぁ……涙出ちゃったよ……って、康太? ごめ――」

「ブハハハ! な、涙出すほど笑うなバカぁ! 恥ずかしすぎて、笑えちまうだろ!」

「……はぁ?」


 もうグッチャグチャになった感情を、そう言って強引に誤魔化すしか出来なかった。一連の行動は恥ずいし、彼女への感謝と思いを考えて、辛くなった気持ちが混ざって、ともすれば泣いてしまいそうだったから。流石にそこで涙を見せることは出来ないし、してはいけないと思ったから。


「……康太」


 それでも彼女は何かを感じ取ったのか、俺の表情を見た途端、少し哀しそうな顔を見せた後、一緒に声を出して笑った後、互いに「ごめん」とだけ交わし、鞄を拾って帰宅した。



◆◆◆◆



『……よぉ、竜太。元気にしてるかぁ?』

「健二兄ぃ?!」


 何時ものように学校からの帰り道、恵ちゃんの家へ今日の授業ノートを渡して、自宅へ戻る。……あの日から彼女の姿はおろか、声すら聞けなくなってしまった。事情はあの夜、彼女の家族と僕の家族全員で集まった時に、教えてもらった。肝心な部分はかなりぼかされていたけれど、僕だって健全な中学二年生で、ちゃんと第二次性徴期だって迎えている。だからこそ、彼女のショックと佐知ねぇの受けた痛みと苦しみは、僕なりに分かるつもりだった。ただ驚いたのは、その件で健二兄ぃが、まさかを取り付けたことの方に、動揺を隠せなかった。


 ――健二兄ぃって、いつの間にそんなになってたんだ?!


 そうして、彼女が今、男子に対して敏感になっていると聴き、僕は自分の失態を謝った。何とか頑張って学校に来れていたのも、僕や他の男子生徒とも普通に話していたのも。全部全部、彼女自身の努力の賜物だったのに……。


 一瞬で僕が……。


 全てをぶち壊してしまったんだ。


 ――康太兄ぃが、僕の相談に渋ったのも。健二兄ぃが答えをくれなかったのも……。僕や彼女を傷つけないために、頑張ってくれていたのに。


 僕が……。


 勝手に――。


 自分の想いを――。



『……なぁ竜太、お前、自分が悪いとか思ってねぇか?』

「ふぇ?」


 通話中、僕の頭の中はこれまでの後悔と、皆の思いを踏みにじってしまったんじゃと思う罪悪感で溢れていた。そこへ不意に耳に入ってきた健二兄ぃの言葉。思わず変な声で返事をすると『やっぱりな』とため息混じりに『……それは違うだろ』と強く言われる。


「……で、でも実際彼女は――」

『馬鹿野郎! そうじゃねぇよ』

「……っ!」


 ――なぁ竜太、お前は恵ちゃんを守りたいと……一緒に笑顔で生きていきたいと、思わねぇのか?


 ドクンと一際大きく鼓動の跳ねる音がする。


 それは……あの時言えなかった好きの次に言いたかった言葉で、プロポーズみたいでまだ早いと諦めた言葉。


 でも。


 だけど……。


 すごく言いたくて――。


 我慢した言葉。



「うぅ……いいだいよ、だっで、だっで、ぼ、ぼくはめぐちゃんがだいずきで、ずっど、ずっどまもってもらってばがりだっだがらぁぁぁぁ」


 言葉が涙とともに溢れ、止めることも出来ずに垂れ流す。幼少期の頃から、彼女はずっと僕の前を歩いて手を引いてくれた。おひさまみたいにニコニコと、眩しいくらいの笑顔で、何時も一緒に楽しんでくれたのだ。そんな彼女を守れない、傷ついた彼女の心を癒せない……。それは、そんなことだけは絶対嫌だ!


 思い出せばそう言ったつもりだが、涙と鼻水が混ざり、感情のまま吐き出した言葉の羅列。健二兄ぃに正確に伝わったかどうかはわからないが、彼は僕が話す間、ただ静かにうんうんと、相槌を打ってくれていた。


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