死神ちゃんは人が死ぬのが大きらい
七谷こへ
第1話 あの日買えなかったオムツを、いまになって欲している
ひとり暮らしの狭い自室に、ブルーシートを敷くことになるとは思わなかった。
ブルーシートというのは、お花見のときに地面に敷いたり、工事現場で見かけたりするあの頑丈な、ごわごわとした青いあれだ。
そのごわごわとしたブルーシートのうえに、長年つかってぺらぺらになった布団を敷いて、床を二重で保護する。
なんでこんなことをしているのか。
自殺することを決めたからだ。
首を吊ると、
なので、それを防止するためにブルーシートと布団を敷くとよいとネットの情報で見た。
本当はオムツもはくといいらしいのだが、オムツを買うのはなんだか恥ずかしくってできなかった。おじいちゃんみたいじゃんね。おれまだピチピチの20代だし。ピチピチどころかストレスでムチムチになってて20代も終わりかけだけど20代ではあるものね。
「いやそんなことを気にする余裕があるなら自殺するなよ」
と言われれば「だよね」という感じだし、大家さんにも申しわけないなぁという気もちはすこぶるあるのだけれど、「とはいえ、ねぇ奥さん」とおれのなかのおばちゃんがとなりの奥さまに同意をもとめる。
とはいえ、疲れてしまったのだ。生きることに。
年収ランキングを真に受けて入った業界で、まともに生きていこうとするには平均8年前後もかかるという資格をとらねばならず、
その資格の勉強に平日夜と土日のすべてはついやされ、
未経験で入った職場では「なんでこんなことも知らねぇんだ」「おまえの代わりなんて腐るほどいるんだからな」と毎日罵声を浴びせられ、
唯一の心のよりどころであった恋人は、最初「向上心(資格取得後にあがる予定の年収を指す)があってステキ。資格の勉強、応援するからね」と言ってくれていたのに、2年つきあった結果なかなか「合格」という成果を出せないおれに業を煮やしたのか、先日うしろからとつぜんギュッと抱きしめられホホホどうした胸のむにゅりとした圧がよいですなと
ハッと目をさましたときにはもう元恋人のすがたは影も形もなく、意識はもどったのに元恋人はもどらなかった。やかましいわ。
おれには「もうすこし時間をくれ」といった追いすがる機会さえもあたえられなかったことがきわめて
こたえることができないあいだに、彼女の20代の時間は刻一刻とすぎていく。
それを思えば、追いすがることなんてできようはずがない。
2年ものあいだなんの成果を出せなかったうえに、土日もろくろく会えないような男が、どうしてこれ以上彼女を縛っていられるだろうかと自分でも思う。
思うのだけど、そうやってふられた理由をひとつひとつ分解してのみこんでいってみると、
――はて、おれは、なんのためにがんばっているのだっけ。
という根本のところがよくわからなくなった。
そして、この暗い暗いトンネルの、出口はどこなのか、そもそも、出口というものがあるのかが、わからなくなった。
あとはほかにもいろいろ理由があるけれど、なんか、もう、いいかな、と思った。
死ぬか。できるかぎり迷惑を減らすようにがんばりつつ。
ということで、
1カ月ほどかけてできるかぎり仕事を整理して引き継ぎ資料をこっそり作成し(サービス残業中にしたから残業代は発生していない)、
2日ほどものを食べるのをやめておき(糞尿をすこしでも清らかにしておくためだが、清らかな糞尿ってどんなのだろう)、
先ほど述べたようにブルーシートを自宅の床に敷き、
ホームセンターで買ってきたロープをドアノブにくくりつけ、
母親に自殺する旨と謝罪と警察への通報依頼をまとめた遺書を兼ねたメールを朝になったら送信されるよう設定し(腐敗するとひどいことになるというので、せめて早めに発見されるように。ママンごめん)、
「よーし、死ぬか!」
とできるかぎり明るく叫んだところで、
「……ダメだよぉ」
というのんびりとした声がきこえてきておれは腰をぬかすほどおどろいた。
声がしたほうに顔を向けると、大鎌をもっためちゃくちゃにかわいい女の子が、窓から上半身だけを
おれはおどろきすぎておしっこを少々もらした。
やっぱり、恥ずかしがらずにオムツも買っておけばよかった。
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