弓
開店当日から、1日たりとも客足が絶えることのなかったマルサスの薬屋。
その日も店の前には、長蛇の列ができていた。
店の前を通りかかったラトクという名の冒険者が、「おお、ここが噂の薬屋か……」と足を止める。
マルサスの薬屋はここ数日の間に、冒険者たちの間ですっかり知れ渡っていた。
それもそのはずだ。
冒険者ギルドの人間なら誰もが一目置いている実力者――あのサラ=ラフィーネが、この薬屋のポーションに太鼓判を押したというのだから。
しかし店の前には、「本日、お休みです」との張り紙が。
その張り紙を見て、ラトクは首を捻る。
『店休日……じゃあ店の前のこの列はいったい……?』
「すみません」
ラトクは、列に並んでいた老人に声をかけた。
「はい?」
振り向いた老人は、豊かな口ひげを蓄えていた。
頭に布を巻いているということもあり、かなり独特な見た目に感じられる。
「こちらの薬屋は、今日もポーションが買えるのですか?」とラトクは老人に尋ねる。
「いや、今日は販売はやっていないようだね」
「ではあなた方の列は……」
すると店の扉が開き、中からひとりの女性が現れた。
その女性の品のある美しさに、ラトクは思わず目を奪われた。
「それではお次の方、中へお願いします」と女性は言った。
どうやらこの薬屋の人間らしい。
「はい! 失礼します!」
列の先頭にいた青年がはきはきと答え、女性とともに店に入っていった。
「聞いてるかい?」
ぼんやりしていたラトクに、口ひげの老人が呼びかけた。
「あっ、すみません。えっと」
「だからね。我々は今日、お客としてここに並んでいるわけではないんだ。
ポーション精製者としてこの店で契約してもらうために、面接を受けに来たんだよ」
「ああ、そうだったんですか」ラトクは納得し、頷いた。「失礼しました。教えていただき、感謝いたします」
ラトクはあご髭の老人にお礼を言い、その場を離れた。
それから今日の仕事を得るために、冒険者ギルドへと向かって歩き始めた。
『しかし、あんなにも多くの希望者が……』歩きながら、ラトクは薬屋の前にできていた列を思い出す。『あそこにいた人間が全員ポーション精製者? いやまさか、それはないだろうが……』
ラトクは首を傾げた。
ポーションはとても需要の多いアイテムだが、それを精製できる者は限られている。
優れた調合の技術と知識を有しており、経験に裏打ちされた腕を持っている者か。
もしくは技術や経験をカバーするだけの、ポーション精製に特化した珍しいスキルを持っている者か。
一方で、精製者の数が限られているわりに、ポーション精製者はそれほど儲かる職ではないとも聞く。
世の中には、いくら人手が不足していても、賃金の上がらぬ仕事というものがあるらしい。
どうやらポーション精製者も、そういった職のうちの一つのようだ。
『他人の職を心配するほどの余裕なんて、俺にもないけどな』
ギルドにたどりついたラトクはそう考えて、今日も頑張って依頼をこなさねばと張り切るのだった。
その日のラトクの仕事は、奇しくもポーション絡みのものだった。
フタツノ兎を狩って、そのツノを得ること。
それがこの日、ラトクが引き受けた依頼の内容だった。
奇妙な偶然を感じながらも、ラトクは王都の西側に広がる「ロールの森」へと向かう。
ロールの森は、EやFランククラスの魔物しか出ない初級冒険者ご用達の森だ。
実力がそれほどあるわけでもなく、ひとりで行動する方が気楽だと考えてパーティーにも加入していない彼にとっては、「ロールの森」はいつも来る狩場のひとつだった。
『いた……!』
大きめのフタツノ兎が、猛烈な勢いで木をかじっている。
『森の荒しもの』とも呼ばれるフタツノ兎には、2つの特徴があった。
一つは、繁殖力が異様に強いこと。
そしてもう一つは、木をかじったり、植物をダメにする糞をまき散らしたりと、とにかく森を荒すような習性を持っていること。
放置しておくと、どんどん森をダメにしてしまう厄介な魔物だったが、角から毛皮まで素材として利用できる部位が多く、ランクの低い冒険者にとってはありがたい存在だった。
『よし』
ラトクは木の陰に隠れ、背中の筒から一本の矢を取り出した。
彼の武器は、弓矢だった。
気配を殺し、本能のまま木にかじりついている『森の荒しもの』に向けて、ゆっくりと弓を引く。
子供の頃、ラトクは弓の扱いになれず、何度も#弦__つる__#で、自分の耳を打った。
祖母からの隔世遺伝によって、ぴんと先が尖っている彼の耳。
その耳に痛みを感じながら、ラトクは時間をかけて、弓矢の使い方を学んだ。
今はもう、自分の耳を弦で打つようなへまはしない。
十分に引き絞ったあと、彼は迷いなく矢を放った。
ドスッ。
ラトクの矢は、フタツノ兎の脇腹を的確に捉えた。
しかしそれに安堵することなく、ラトクは次の矢に手をかける。
ラトクは狩りを行うとき、基本的に毒を使わない。
彼が今回、引き受けた依頼ではフタツノ兎のツノだけが求められていた。
だから痺れ毒を使うことに、問題はなかった。
だが、その日その日の仕事で日銭を稼ぐ冒険者にとって、自分で狩った魔物の肉は、食費を浮かすための、必要不可欠なご馳走だった。
生命力の強いフタツノ兎。
毒の塗られていない矢であれば、一本刺さった程度で動けなくなることはない。
「ビッ!!」
それどころか、矢を飛ばしてきたラトクを睨みつけ、ご自慢のツノを向けて襲い掛かってきた。
ビュッ。
二本目の矢は、わずかに逸れてしまった。
しかしラトクに動揺の色はない。
彼は冷静に腰を浮かし、木の間を縫って、猛然と駆けてくるフタツノ兎から距離をとった。
一本目の矢からの出血が響いたか、フタツノ兎の動きにはキレがない。
そして次なる矢を、ラトクは放つ。
ビュッ。
さらにもう一本。
ビュッ。
三本目、四本目の矢が命中すると、ようやくフタツノ兎は動かなくなった。
その後、彼はそれほど時間をかけることなく、三匹のフタツノ兎を狩ることに成功した。
そして日が傾きはじめる時間よりも余裕を持って、彼は王都に戻ってくることができた。
『え……まだやってたのか……』
ギルドへ向かう途中、ラトクは薬屋の前を通って驚いた。
店の前には朝のような長蛇の列こそなかったものの、まだ数人が並んでいた。
ラトクは前を通るときに、マルサスの薬屋をちらっと見た。
そう大きな建物ではない。この王都で幾つも見られる、小規模な薬屋だ。
『いくら話題になってるからって、そんなにこの店で働きたい理由があるのかな……』
ラトクはいぶかしく思いながら、薬屋の前を通り過ぎた。
「マルサスさん、お疲れ様でした……!」
「こちらこそ、本当にありがとうございました」
俺はファシアさんにお礼を言った。
朝から続いた面接が、ようやく終わった。
正直、こんなにも時間がかかるとは思わなかった。
店の張り紙を見て、予想以上をはるかに超える人数のポーション精製者たちが、面接に来てくれた。
薬屋をやりはじめる前には、いくら商人ギルドに募集をかけてくれといっても、「ポーションの作り手は、慢性的に不足している」と言われるばかりだったのに。
『やっぱあのギルド、だめだな……』と不信感が募る。
店が落ち着いたら、他ギルドへの移籍を本格的に考えねば。
「ひとまずは安心ですね」ファシアさんが、手元にある大量のポーション鑑定書を見ながら言った。「これだけ多くの方がいらっしゃれば、ポーションの仕入れには困らなくなりそうですし……!」
「そうですね、一番の問題は解決した気がします」
来てくれたほとんどの人とは、その場でポーションを卸してもらうための契約を結んだ。
最初はお試し的に少なめの本数でお願いしたが、皆、快く引き受けてくれた。
「良かったです。他に卸している薬屋がある方には、少ない数の契約は嫌がられるかと思いましたが……」
「マルサスさん、そんなの問題になるはずないですよ」ファシアさんが呆れたように言った。「だって、こんな高値でポーションを買い取ってくれる店、他にないんですから。
全員の顔に書いてありましたよ。
何としてもマルサスさんの信用を勝ち取って、この店に大量のポーションを買ってもらえるようにするぞって」
「ははっ。それなら良かったです」
俺も少し前まで、ポーションの作り手として搾取される立場だった。
似た境遇に置かれた人たちに少しでも喜んでもらえるなら、嬉しい限りだ。
薬屋のベルが鳴った。
太い指で金貨、銀貨を数えていた女主人ベイケットが、顔をあげる。
「いらっしゃいま……ちっ」
入ってきたのが客ではないと分かると、ベイケットはすぐに接客用の態度を取り消した。
「いつも言ってるだろう。うちの店に入るときは、すぐに自分の名前を言う!
でなきゃ客と間違えるだろうが。次やったらね、もう二度とあんたのポーションは買い取ってやらないからね。契約は打ち切り。分かったね?」
女主人は、手元の金貨を数えながらまくし立てた。
「いや、理解不能だな」薬屋に入ってきた老人が、低い声で言った。
「は?」ベイケットは、思わず顔をあげた。
「前から思ってたんだが、なんでいちいちそんな面倒なことをしなくちゃならないんだ?
あんたがちゃんと顔をあげて、わしらの顔を確認すればそれで済む話じゃないか」
頭に布を巻いたあご髭の老人は、虫けらを見るような目でベイケットを見下ろしていた。
ベイケットは口をあけたまま、わなわなと肩を震わせた。
そんな彼女の様子を気にも留めず、あご髭の老人は書類を差し出した。
「ばっくれてやろうとも思ったんだが、さすがに大人げないと思ってな。
ほら、サインしてくれ。
わしの契約なんか、打ち切りで構わないんだろ?」
太った女主人は、声を絞り出した。
「私は構わないけどね……でもここをやめてどうすんだい?
あんたみたいな老いぼれと、これから新規で契約したいと思う店、果たしてあるのかねぇ?」
「もう見つけたよ。しかもここより、うんと払いが良い。
こんな老いぼれがつくるポーションでも、一向に構わないんだとさ」
ベイケットはその返答に言葉を失った。
すると老人が、声を荒げた。
「ほら! とっとと名前を書いてくれよ!」
まるで、積もり積もった恨みを晴らすような語勢だった。
女主人はびくりと震え、それから黙ってサインした。
「それじゃ、世話になったな」
あご髭の老人はスタスタと、何の未練もなさそうに店を去った。
「あんな老いぼれを新規で雇うなんて……いったい、どこの薬屋が……」
突然のことに、呆然と呟くベイケット。
そして彼女がショックから立ち直る前に、薬屋の扉が再びあいた。
「いらっしゃ……だからぁ!」
またしても入ってきたのは客ではない。
というよりもここ数日、ベイケットの店にはほとんど客が入ってきてなかった。
『単なる偶然だ』と女主人は自分に言い聞かせ続けていたが、それも限界が近づいていた。
「話があります、ベイケットさん」
「話がありますじゃないわよ! どいつもこいつも、言ってるでしょ!!
私にポーションを買ってもらいたいのなら、最低限、この店のルールを守りな……」
「こちらにサインしていただけますか」
ベイケットの言葉を無視して、若いポーション精製者は言った。
まるでデジャブのような光景。
先ほどの老人と同様に、契約解消を求める書類が、ベイケットの前に差し出された。
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