第二十七話 懐かしき声

 ゆっくりと向かってくるヴェスカーナ。何かの器にする予定の俺達を、殺すつもりはないのだろう。その瞳に殺気は感じられない。しかし、それでいてなお、彼女のまとう気配は圧倒的強者のそれだ。全く勝ち筋が見えて来ない。彼女を倒さずして魔王に立ち向かうなど不可能だというのに、その彼女ですら、俺達が束になってかかってもまともな戦闘にならないほどの実力者なのである。殺される心配がないからと悠長に構えている場合ではない。魔王は「器の出来を見る」と言った。いったい何の器なのかはわからないが、仮に器として不十分と判断されれば、その後に待つ結末は決まっている。つまり、ここで最大限の力を発揮する以外、俺達に道はない。


 今使える最大限というのは、仲間の力を損なわない形での戦い方だ。封印術は使わず、俺が自ら自身にかけた拘束系の魔法を全て解き、更に支援系魔法で強化する。攻撃魔法の撃ち合いでは魔族に勝てないのいうのは最早わかりきっているので、あくまで白兵戦をおこなう訳だ。


 俺が自ら拘束を解くのは、これが初めてのこと。ロンタールではラキュルの封印術によって、図らずも俺自身の真の身体能力が発揮されてしまった訳だが、今回はそれにプラス支援魔法がある。それがどれだけの力を生み出すのかは全くの未知数。あるいはここに勝機があるかも知れないなどと考えるのは甘いだろうか。全ての負荷を解いた俺は、更に支援魔法を何重にも重ねて行く。


 それでもヴェスカーナの表情は変わらない。階段を降りきった彼女は、そこで一度立ち止まる。どうやら倒れていた三人が起き上がるまで待っているようだ。その余裕振りが、一度は押し込めた恐怖をあおる。抵抗する間もなく散って行った、七天の二人の最後が頭の中をよぎった。


 目を覚ました三人に、スフレが状況を説明し、三人が立ち上がったところで、ヴェスカーナから声がかかる。


「準備はよろしいか」


 今一状況が理解出来ていない様子の三人も、彼女の放つ気配に当てられて、その気になったようだ。それぞれが自分の武器を握り締め、前に出た。


「ディル。お前は魔法使いだろ。そんなところに突っ立ってないで、後ろに下がれ」


 そう言ったのは勇者様だ。どうやら俺の変化には気付いていない様子である。


「俺のことはご心配なく。自分の身は自分で守りますので」


 そう返して、俺は背負っていた魔剣グラナディアを手に取った。


「魔法使いの癖にご大層な剣なんざ持ちやがって。まぁ、お前にはいろいろと煮え湯を飲まされたからな。死んでも文句言うなよ」


 この場合の煮え湯というのは、スフレとノルの件だろうか。それは俺が仕組んだことではないし、自業自得なのだが、どうやら相当うらまれているようだ。


「スフレとノルも、今更守ってもらえると思うな。勇者である俺を裏切ったんだ。後で相応の罰が下ると思え」


 この状況で後があると思えるのだから、あの尊大な勇者様らしい。とは言え、これでも一応は女神アルヴェリュートに選ばれた勇者である。魔王を倒すために召喚されたのだから、あるいは相応の結果をもたらすかも知れない。


 こちらの準備が整ったと判断したのだろう。ヴェスカーナは一度顔の前に剣を掲げ、こう告げた。


「我があるじの命により、これよりお前達の力を試す。殺すつもりはないが、だからと言って手を抜くことのないように。それでは――」


 ヴェスカーナが構える。何とかして、動きくらいは目で追いたいところだ。


「参る!」


 彼女の姿が消えた。いや、俺には辛うじて視界で捉えることが叶う。何と言う速度。一瞬というすら生ぬるいわずかな時間で、彼女は俺達前衛陣の合間を抜け、後方に控えていたスフレの前まで至っている。もし彼女がその気だったら、すれ違い際の一撃で、俺達は命を落としていただろう。それを抜きにしても、回復役であるスフレを先に叩くというのは、戦闘面で見れば定石じょうせき。ヴェスカーナはそれを実行したに過ぎない。彼女が剣を振り下ろそうとした刹那の、俺は両者の間に割り込み、ヴェスカーナの剣を受け止めることに成功した。


 凄まじい衝撃。この剣でなかったら、剣ごと叩き斬られていたかも知れない。しかし、そう何度もは持たないだろう。名工ディクシズの作品ですら、彼女の持つ剣には遠く及んでいないのがわかる。


「よく受け止めた。それだけでも賞賛に値する」


 一方の彼女の余裕ぶり。顔には薄く笑みすら浮かべているではないか。それも戦闘を楽しんでいるような笑みではなく、幼い子どもを温かく見守るような穏やかな笑みだ。


「そりゃどうも。出来ればこれで終わりにしてくれると助かるんだけど?」

「それは無理な相談だ。我があるじはまだ満足されておられない」


 ヴェスカーナは一度剣を持った手から力を抜き、するりと剣を足元に向ける。そして次の刹那には、その切っ先が跳ね上がって来た。今ならまだかわすことも出来るが、そうすればスフレが犠牲になるだけ。つまり、俺には迎え撃つ他に選択肢はない。


 俺は剣を握り直し、勢いよく振り下ろした。上手く当てれば、相手の切っ先の軌道をずらすことが出来る。俺はそれに賭けたのだ。


 金属同士のぶつかる音が響き、一方の剣が宙を舞う。弾かれたのは、当然俺の剣。斬り上げを狙っていたはずの彼女の剣の切っ先が、俺の剣と衝突する瞬間に閃き、俺の剣を絡め取って弾き飛ばしたのだ。


「目はいい。反応も動きも申し分ないだろう。が、お前は剣士としての基礎がなっていない。他にもっと得意な戦い方があるのではないか?」


 流石は魔王の側近と言ったところか。付け焼刃の剣技では勝てるはずもない。それでも、今の俺には彼女の動きを捉えることが出来ている。ついて行くにはまだ足りないが、これならばやりようはあると言うもの。俺は拳を握り、近接格闘の構えを取った。魔法に次いで、いや、もしかしたら魔法よりも長く特訓させされたかも知れない格闘術。そのための体作りはしてきたし、何なら今はそれを最高の形で発揮するチャンスでもある。俺の構えを見て、ヴェスカーナは初めて、少し楽しげに笑った。


 しかし、俺が彼女に仕掛けようとする前に、目の前で魔法が炸裂する。使われたのは火系統の古代魔法――バーンストームヴォルケーノ。屋内で使うには、規模の大き過ぎる魔法である。俺は咄嗟にスフレを抱えて飛び退いたのでダメージはないが、これは明らかに俺達を巻き込んでも構わないという想定で放たれた魔法だ。


「味方ごと焼き払おうとするのがお前のやり方か?」


 炎の向こうから、ヴェスカーナの声が聞こえる。それは明らかに、魔法を放った人物に向けられていた。


 魔法を放った本人は、魔法を受けても平然とした様子の彼女の声に、顔を強張らせている。その人物とは他でもない。俺の代わりに勇者パーティーに入ったあいつ――ベルムだ。


「さっきの奴といい、何なんだ! 古代魔法だぞ! 何故それを受けて平然としていられる!」


 神代魔法ですら倒せない相手なのだから、古代魔法程度でどうにかなるわけはない。しかしベルムはそれがわかっていないようだ。


「我があるじよ。この者は選ばれし者ではあるかも知れませんが、器とするには下劣が過ぎます」

「ふむ。ヴェスカーナ、お前の言う通りだ。選ばれたが故のおごりか。驕り高ぶった者ほど醜いものはない。許す。処分せよ」

「御意」


 ヴェスカーナが、中で剣を一振りしたのだろう。魔法によって生み出された炎はかき消え、後に残ったのは一切その美しさに陰りのないヴェスカーナと、炎によって黒ずんだ床のみ。そしてヴェスカーナの姿が再び消えた後、ベルムの立っていた場所で鮮血の花が咲いた。細かく乱切りにされた彼の肉片が地に落ちる頃には、ヴェスカーナの姿は今一度俺の前に戻っている。


「待たせたな、人間。さぁ、続きと行こう」


 声が出なかった。追えていたと思っていたヴェスカーナの動きが、全く見えなかったのだ。それはつまり、俺を相手にしていた時は、明らかな手加減をしていたということ。改めて、相手との力量の差に恐怖する。


「怖れは大事だ。上手く使えば己の力をより強くする」


 俺が恐怖のあまり踏み込めずにいると、ヴェスカーナが諭すように語りかけて来た。


「もっとおのが力を引き出せ。全身の魔力の流れを制御し、肉体の限界を超越するのだ」


 ベルムがあっけなく殺されたことで、勇者様もガイズも呆然と立ち尽くしている。俺は呼吸を整えつつ、自分の中の魔力を強く意識した。封印術師の里の里長さとおさから、魔に通ずる力だと聞いた魔力。しかし、今の俺にはそれを使う以外に、戦うすべがない。俺はヴェスカーナに言われるがまま、体内の魔力をより圧縮して行く。


「いいぞ。その調子だ。お前はすじがいいな」


 敵に教えを受けている時点で負けているに等しい訳だが、それで強くなれるのであれば致し方ない。俺は更に魔力の流れを加速させ、爆発の瞬間に備える。


「我があるじ。この者は合格です。この場にいるどの人間よりも、器として相応ふさわしいかと」

「ふむ。流石はが目を付けただけのことはあるか。発見が遅れたのが口惜しいところだ」


 いったい何のことを言っているのか。それは彼等にしかわからないのだろう。しかし、今はそんなことはどうでもいい。もっと力を引き出さねば、彼等には勝てない。もっと、もっと――。


『いけない!』


 声が、聞こえた気がした。


『それ以上、魔の者の言葉を受け入れてはなりません!』


 昔どこかで聞いたことのあるような、懐かしい声。


「この気配は!? か!?」


 魔王がうろたえている。とはいったい誰のことを指しているのだろう。この声のぬしのことか。


「ええい! この器、貴様に奪われるくらいなら、いっそこの手で葬ってやるわ!」


 魔王の魔力が急激に高まり、その魔力の圧力で空間が歪む。


「時の狭間に堕ちるがいい!」


 何らかの魔法が魔王から放たれたのがわかった。それは俺と、その周囲の空間を飲み込み、この世界から切り離す。


「ディレイドさん!」


 最後に聞こえたのは、ラキュルの俺を呼ぶ声。それ以降は一切の音が消え、視界は暗黒に染まり、俺の身体はどこへともなく流されて行く。時の狭間と魔王は言っていたが、俺はそこに流れ着くのだろうか。


 とりあえず、苦痛はない。その代わり、他に得られるはずの感覚も、一切なかった。目を開けても何も見えず、耳を済ませても何も聞こえず、鼻を使ってもにおいはせず、手足を動かしても物に触れず。前後左右どころか上下もわからない。そんな世界の中、俺はようやくどこかに流れ着いた。少なくとも、そこには上下の概念が存在するようで、俺は自分が仰向けの状態であることを把握する。ゆっくりと上体を起こすと、そこには無限に続くと思われる荒野と、星ひとつない漆黒の空が広がっているのが見えた。

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