的に向かい、放て

高山長治

第一節 弓道鍛錬


射位から、的に向かって矢を放つ。

中れば快感だし、外れれば悔しさが残る。平常心で射ることから言えば、悔しさはナンセンスであるが、的に中った時の快音は胸に響く。

何ともこの繰り返しが癖になる。

とは言え、弓道ではあまり使われない動作が多い。これらも戸惑うことがしばしばだが、慣れてしまえば違和感もなくなる。

吉田は、ひょんなことで弓道と巡り合い、そしてのめりこんだ。始めた頃は不思議な動きが新鮮に映るのか、はたまた幻滅するのか、よく考えなければ迷うことが多いものだ。

「しかし、不思議だな。普段歩く時は足先が先行し、踵を離して蹴るような動きになるものだ。それが弓道では、足裏が離れず摺り足歩きとなる」

「こりゃ、慣れんと出来ねえ動作だぜ!」

試みるが、何とも歩きにくい。

「うむ、難しいもんだな。この調子じゃ、慣れるまで時間がかかりそうだ」

文句を言いつつ嘆く。

「それにしても、これじゃ先が思いやられる。この摺り足歩きは、弓道では基本中の基本と言われ、周りを覗えば自然に歩いている」

佐々木の動きを覗う。

「上地先生が行射を行なう際の歩き方は、ごく自然な摺り足だ。それもどうにいっているし、他の人たちも同様である」さらに「但し、この摺り足歩きは行射を行なう際に限られ、いったん場外に出れば普通の歩き方になる」

「俺なんかも初めの頃はぎこちなかったが、今では摺り足歩きも当たりまえになっている。慣れって恐ろしいと言うか、不思議と言わざろう得まい」

「でも、他のスポーツも同様ではないのかな」と思いつつ、「そう言えば」と話題を変えて、「一カ月程前になるが、浜松弓道連盟から来た佐々木さんが川連協に移籍した。尋ねてみると五段で体格もがっしりしており、摺り足歩行など慣れたもので弓道にはうってつけである」

窺いながら話題を変え、側にいる牛尾に的中率について話し掛ける。

「なあ、牛尾さん。最近来た佐々木さんだけどすごいね。的中率が八割近いそうですよ。的に向かえば、ばちばちと中ててさ。それに比べ俺なんか、その逆でたまにしか中らん。それに牛尾さんだって、的中率が五割以上は行くんじゃないですか?」

すると、牛尾が謙遜する。「いやいや、そんなことないよ。まあ、中る時は四矢で三本ないし四本すべて中るが、稽古の後半になると疲れが出て、中りが少なくなりますからね。これが僕の課題で、如何に持続して中てられるかです」状況を話すと、吉田が羨ましそうに「大したもんじゃないですか。四つ矢で四本はパーヘクトで、三本は準パーヘクトになる。もしかしたら、牛尾さんが的に向い構えた時には、的が矢に近づいて来るんじゃないですか」

「それに引き換え俺みたいな半人前じゃ、そんな芸当は出来ない。やはり三段は伊達じゃないですね。この調子だと直に四段になれますよ」と持ち上げる。

「いやいや、そんなことはないです」また謙遜する。

すると吉田が愚痴る。「それに比べ、俺なんか二段でうろうろしていて、三段の壁が厚いのなんの。まるで鉄板ブロックに、射た矢が避けて通る感じですよ。まったく、嫌になっちゃうな」屁理屈を並べていると、佐々木が励ます。

「そんなことないです。吉田さんの能力から言えば、直ぐに昇段できると思いますよ。審査だって、三段は二本中一本が中ればいいんだから。実力的に見ても、それほど遠いもんじゃないんじゃない。後は日々の稽古で手を抜かず、一射毎に集中して射ることですね」

進言に吉田が返す。

「有難うございます。精々頑張って稽古に励みますよ。後は弓道の神様が、ちょいと手を貸してくれると有難いんだが…」そんな希望的観測に、牛尾が窘める。

「吉田さん、神頼みしている場合じゃないですよ。稽古で手を抜かなければ良いんです。ややもすると、直ぐに他力本願で神頼みをする。それは悪い癖と言うか努力不足です。直した方がいい。まあ、私の行動を見習って、せいぜい修練することです。分かりましたね」

すると、生返事をする。「はいはい、分かりました。牛尾さんの日頃の稽古を真似すればいいんですね。ただ気を付けたいのが、私の場合は容姿端麗だけれど牛尾さんときたら、俺と比べるとその点劣るんで。真似をしろと言われてもプラスにならん気がするけどね。

その吉田の言い分に「このあまのじゃく。そんな考えをしているから駄目なんじゃないの。もっと素直な気持ちで、受け入れることが必要だよ」と牛尾が窘めた。

互いに無駄口を叩いていたせいか、二人とも稽古の手が疎かになっていた。

「さあさあ、無駄口叩いていないで、修練修練、修練あるのみ」と牛尾が稽古の続行を促した。

すると吉田が掛け時計を見て、「もう十時か。あと一時間ばかり練習して終わろうかな」と漏らしつつ、揖をし本座から射位へ歩み出ていた。

続けざまに四矢を射る。途中で雑談したせいか、集中力が切れ射勢が定まらず一矢的に中ったが、他三本は的前安土となった。

残心もそこそこに、吉田が投げ槍的にほざく。「まったく嫌になる。四矢中、たった一矢しか中らねえ。後は的に嫌われて安土かよ。あと一矢中っていれば五割なのに、一本じゃ二割五分だぜ」

すると、その愚痴に佐々木が窘める。「吉田さん、射と言うものは集中力が重要なんだ。これを切らした射は、一矢も中らんもんだよ」

「そうですね。私なんか如何しても、中てようとする意識が強くなって、自分でもコントロール不能になるんです。如何したら佐々木さんのように、的に中てられるんですかね。正直言って、教えて貰いたいですよ」と窺うが、佐々木がいなす。

「いやいやそんな秘訣なんてありません。ただ意識しているのは、行射する際は雑念を捨てることですかね。あとはやはり射の基本を身体に叩き込むことで、その基本に逆らわず射法八節の動作を行なっていることですかね」謙遜するように告げた。

すると吉田が、「そうですか。基本に忠実に、平常心で向かうことですね。そうすれば、容易く中る確率も上がりますか?」素直な受け止めかと思うと、楽観的な言葉を吐く。横で聞く牛尾が咎める。

「しかし吉田さんは、何処かおかしいですよ。それに比べ、佐々木さんの言うことは、やっぱり有段者として立派だと思います。私も、ましてや吉田さんなどは見習わらなきゃならんことです。まあ、吉田さんも何時までも二段のままじゃ、そのうち枯れてしまいますから」

さらに続け「やはり直すべきは、その態度ですかね。素直な気持ちで取り組むことこそ、一番必要なことではないでしょうか。かく言う私は、はばかりながら弓道の本質と言うものを、教本の射法訓から学びましたけれどね」

鼻をつんと上げる。

すると吉田が、「確かに弓道教本に載ってはいますけど、『射法は、弓を射ずして骨を射ること。最も肝要なり』さらに、『弓手三分の二弦を推し、妻手三分の一を引き』云々で、行射の法を説いたものじゃないですか?」さらに、「牛尾さんの言われる本質と言うのは、礼記―射義―に記されている『射は進退周還必ず礼に中り、内志正しく、外体直しくして、然る後に弓手を持ること審固なり……。射は仁の道なり。射は正しきを己に求む』云々じゃなかったですかね。これが弓道の本質のような気がしますよ」といなす。

すると牛尾が、「あれっ、そうでしたっけ。ひょとして勘違いしたかもしれないから、もう一度読み直してみますかね」と、言い訳じみた反省をする。

すると、聞いていた上地先生が口を挟む。「それは、吉田さんの言う通りだな。牛尾さんは如何も混同しているようなので、改めて読み直した方がいいですよ。誤って解釈してしまうと、弓道の本質から外れますからね」

優しい口調で、牛尾を窘めた。

さらに吉田にも苦言を呈する。「それに吉田さんは、少なくとも稽古中はお喋りを控えることかな。無駄口が多い割には、射の本数が足りない気がします」告げると、吉田が真顔で反省し「申し訳ございません。以後気を付けます」と頭を下げていた。




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