(10) 第一章 四、芽吹き(二)
「さ、着いたわよ。シロエ、ガラディオを呼んできて頂戴」
かしこまりました。と言って、シロエは近くの、休憩中であろう騎士達の方に向かった。
訓練場は思っていた以上に広かった。本格的な競技場が二つは入るくらいの広さだ。オレは、多くても数十人規模の戦闘訓練を想像していたが、これは百人規模の隊列行動や集団戦を想定した広さなのだろう。それを指揮するための、指揮官の育成もここで出来るという事だ。遠くには投擲や弓の的も見えるし、向こうでは馬術や、馬上での戦闘訓練もしている。
「すごい……」
もともと語彙力も無いが、ただただそう言う他なかった。
「ね。すごいでしょう。自慢の訓練場なのよ。作ったのはお爺様だけどね」
リリアナが自慢しているのは、訓練場よりもお爺様のように思う。友達だからこそ自慢したい。褒めてもらいたい。と、言っているようでもあった。
「はい。軍の育成に必要なものが全て揃っているように思います。本当にすごいです」
そう言うと、リリアナは嬉しそうに微笑んだ。
「お連れいたしました」
「シロエ、ありがとう。ガラディオも訓練中にごめんなさいね」
シロエの身長は、ヒール付きのブーツを履いている今は百七十センチ近くある。それでも、ガラディオを見る時は仰け反る程に上を向いている。改めて間近で見ると、ガラディオは非常に大きい。
その筋肉はミチミチと窮屈そうで、鋼のワイヤーを高密度に織り込んだように詰まっているのが、服の上からでも見て取れる。遠めに見るとバランスの良い体つきなのに、近くで見ると遠近感が狂う。まるで巨人だ。日に焼けた、整った顔立ちとブラウンの瞳も、時折金色に見える眼光のせいで怖さが勝ってしまっている。耳くらいまでの、クセッ毛の金髪とで獅子のようだ。こちらに向けられた笑顔だけが、安全な人だという事を保証してくれていた。
「いえいえ、丁度休憩していた所です。とはいえ、もうすぐ再開しますけれどね」
低い声が、あの時の声色とは違って温和な響きをしている。その彼が近くに寄ると鋼の大木のようで、見上げている首が後ろに折れてしまいそうだ。この身は子供だからと思っていたが、オレは平均よりも背が低いのかもしれない。ほとんど真上を向くような姿勢になってしまう。
「あの、ガラディオ隊長。身長ってどのくらいあるんですか?」
きっと、二メートル近くはあるだろう。
「うん? そうだなぁ、二メートルと十センチってところだな」
予想よりも、まだ大きい。
「本当に巨人みたい」と、声に出てしまったのは仕方がないだろう。
「はっはっは。嬢ちゃん、歩き回れるようになったんだな。よかったなぁ」
彼は大木のような体を跪かせて、頭を優しく撫でてくれた。
「あ、ありがとうございます」
人に対して、大きさで委縮してしまうのは初めての事だ。この体は小さいから、余計に怖く感じるのかもしれない。
「ふふふふ。ガラディオ、怖がられているわよ。拾った時の事を思い出したんじゃないの?」
からかうように、リリアナは彼に怯えるオレの姿を揶揄した。確かにあの時の凄みは怖かったが、今は純粋に彼の巨躯が恐ろしい。少し前にも顔合わせで会ったが、その時は忙しそうだったので離れた所からの会釈程度だった。こんなに至近距離になるのは、実質初めてなのだ。
「あの時は気が立っててなぁ。すまんすまん。本当は優しいんだぜ? 高い高いしてやろうか?」
「あなたに抱え上げられたら、楽しいか恐ろしいかどちらかでしょうね。どうする? エラ」
小首を傾げて問うリリアナの姿は、まるで保護者のお姉さんのようだ。
「い、いえ……」
という声が漏れた途端に、ガラディオは残念そうな顔をした。
「あ、あの、それでは……お願い、します」
「了解しました。お嬢様」
オレをお嬢様と呼んで嬉しそうに答えた彼は、大きな手でオレの腰をがっしりと掴んだ。
「いきますよお嬢様、お覚悟なさいませ」
ぐん。と重力を無視した力で振り上げられた体は、一瞬の間、浮遊したようだった。
「ひゃっ」
いや、実際に手を離されてオレの体は浮き上がり、そして少しの自由落下を感じた。
「ひぃぃぃ」
意志とは無関係に、しかも経験した事のない高さまで放り上げられたオレは、情けなくも可愛い悲鳴を上げていた。
「はっはっは。すまん! 脅かすつもりはなかったんだが、オレがやるからには特別な体験をしてほしくてな」
がしっと受け止められ、ゆっくりと地面に降ろされながら聞こえた言葉は、あまり頭に入らなかった。
「あら、涙目になってる……エラは恐ろしかったみたい。私は楽しかったから、大丈夫かと思ったんだけど……ごめんなさいね」
リリアナは少し気まずそうな顔をしながら、オレの頭を撫でている。
「ちょっと、知ってる高い高いでは、無かったので……。手を離されるとは、思わなくて」
「もう……お二人はイジワルですよね。お可哀想に」
シロエはすぐさま駆け寄り、ハンカチで潤んだ涙を拭いてくれた。
「だ、大丈夫、です。まだ、ドキドキしてますけど」
この体の、悲鳴のような鼓動を聞くのは初めてだった。ジェットコースターは元々苦手だが、ガラディオのこれも、もう頼まないようにしよう。
「えっ……と。そうだ。木剣を借りにきたのよね。見せてもらいましょ」
誤魔化すように、リリアナは本題に入った。涙目で見上げるオレの視線からは、あえて目を外していた。
「お、おお、そういえばシロエが言っていましたね。それじゃ、体に合いそうなやつをどれでも持ってってください。嬢ちゃん、自分で選べる……わけないか。見てやろう」
彼は面倒見の良い男のようだが、力の持て余し加減でモテないタイプと見た。
ただ、この体に合う長さのものなどあるだろうか。ここには大人しか居ないのだ。
「木剣は、ここにあるので全部だ。一つは金属製だが、これは重くて無理だろう」
樽状の傘立てのようなものに無造作に入れられているものもあれば、格子状のハンガーラックのような所にも、色々な長さの物が横掛けに沢山掛けてある。彼は、その樽の中から一本、白い金属の剣を引き抜いた。
だが、剣だと思い込んでいたそれは、ただの金属棒に近い形状だった。持ち手以外は非常に細く、少しでも叩けば折れてしまいそうだ。
「それは剣……なのですか?」
これだけ細ければ、重くはないだろう。むしろ扱い易いかもしれない。
「ああ、それはね。
彼の代わりに、リリアナが飛びつくように説明してくれた。
「そりゃあ、金属ですからね。これ一本しかありませんし、木剣と打ち合えば木剣が傷み過ぎてしまうので」
ガラディオの言い分は当然だ。
(でも――)
「この細さで打ち合って、折れないんですか?」
全長一メートルほどの長さで、持ち手の二十センチ程を除けば、ペンくらいの細さしかない。普通の金属なら折れ曲がって、打ち合えるはずがない。
「ああ、そう思うだろう? でもな、こいつは折れも曲がりもしないんだ」
彼は、もう片方の手で適当な木剣を樽から引き抜き、それを金属棒で打ち付けた。
ガッ! という強い打撃音が聞こえる。何度かガツガツと打ち付けていると、木剣の方がボキンと折れてしまった。
「えぇ……?」
オレは驚き過ぎると、あまり大きな声は出ないようだった。
「ま、そうなるよな」
しかも、しなりさえしていない。どんな硬さなら、この細さで形を変えないのだろうか。
「武器に出来ればいいんだけどね。重いし加工も出来ないじゃ、使い道がなくって」
リリアナは残念そうに、独り言のように呟いている。
「私も、触ってみたいです」
「気を付けろよ? 重いぞ」
子供だからそう言うのだろう。そう思って受け取った金属棒は、本当に重かった。
「二キロ以上あるからな」
彼の忠告を無視したせいで、落としそうになった事は秘密にしておこう。
「うぁ……」
持ち手部分の近くに重心があるので、まだ持ちやすい。でも無理に振るえば、どこかの関節が外れてしまうかもしれない。
「振るなよ? 怪我をするぞ。持つだけだ」
彼の心配は当然だろう。持ち方を、握り方を変えたからだ。
「はい。とても振れるとは思えません。大丈夫です」
まるで鉄アレイでも持っているようだ。元の体でも、片手では扱いきれるか分からない。
だが、何とも言えない握りやすさというか、重過ぎるのに手に馴染む。そのような気がして、手放そうという気持ちになれなかった。
(武器として、意識を通してみたくなるな)
じいちゃんの流派では、武器を手足のように扱うために、意識を武器の隅々まで通して巡らせる。自分の体のような感覚になるまで。
(ちょっとだけ、通してみよう)
「えっ? その棒、うっすらと光ってない? 変よ。離しなさい」
驚いたリリアナは、慌てて金属棒を取り上げようとした。
どのようになったのか分からなかったが、とにかく、金属棒は飛んでいき、そして十数メートル離れた所にどすんと落ちた。
ガラディオは、それが不可解な事だと分かっているからこそ、リリアナに言った。
「り……リリアナお嬢様、どんな力で取り上げたんですか。あれがあんなに飛ぶなんて……」
あの重さの物を放り投げるには、普通の女性では無理な距離を飛んでいったのだ。
「わ、私が投げたわけじゃ……ないわよね?」
当の本人が困惑している。
(光っていると言われた時、重さが消えたような気がした……)
無理に抵抗してはいけないと思い、リリアナの手に逆らわないようにそっと離したのだが、その時も重さは感じなかった。
「とにかく、俺が取ってきましょう」
「待ってください。私が取ります」
ガラディオを制してオレが走り出したものだから、彼は困った顔をしながらも諦めたようだった。
(あれは、確かに重さが消えていた。意識を通した瞬間から!)
興奮しているのを抑えられない。
(あれは何だ! あれなら、オレにも扱えるはずだ)
地面に転がっている金属棒は、普通に重かった。だが、先程のように再現できるなら。
(オレでも……この少女の体でも、武器を扱えるようになる。そうすれば、戦い方を考えれば大人の男にも勝てるだろう)
「エラ! 気を付けるのよ!」
リリアナは、オレの身を案じて慌てた様子で駆け寄って来た。
「大丈夫です。それよりも、見ていてくださいね」
再び意識を通し、重さが消えるのを確かめる。
「やっぱり、あなたが持つと少し光ってるわ。大丈夫なの? 熱かったりしない?」
「ええ、大丈夫です。それよりも、ほら!」
重いはずの金属棒を、ただの小枝でも振るうかのようにブンブンと振って見せた。
「ええっ? エラ、無茶はやめて!」
「おい! 何をしてるんだ! 振るんじゃない!」
リリアナとガラディオは、ほとんど同時に叫んだ。
「大丈夫です! 重さが消えているんです!」
オレは嬉しさのあまり、今まで出した事がないくらいの声を張り上げていた。
「見てください! こんな事があるなんて!」
しかし、喜びを分かち合うよりも、怒号が飛んでくる事は予想外だった。
『振るなと言っているだろう!』
辺り一帯の空気が、震え上がった。驚きのあまりぴょんと飛び上がってしまい、その後はびりびりと、体が痺れたかのように動けなくなった。同時に金属棒への意識が途切れ、重さの戻ったそれを地面に落としてしまった。
「ガ、ガラディオ。私までびっくりしたじゃないのよ」
オレと同じようにシュンとなったリリアナは、それでも精一杯の非難を口にした。
「すみません。でも、あまりに危険だったので、つい」
「まぁ……そうね。最短の解決だったとは思うわ」
「嬢ちゃん、ダメだと言っただろう。どうしてそんな無茶をしたんだ」
怒っているというよりは、心配している声だった。優しい口調で窘められ、オレは皆の心配を無下にし、有頂天になってしまった事を恥じた。
「すみません……こんな事が出来るんだと、嬉しくなってしまって……すみません」
「腕は大丈夫か? どこも痛くはないか? ちょっと触るぞ」
彼は跪いて、やれやれといった顔でオレの手や肘、腕や肩を優しく触れたり、動かしたりと怪我の有無を確認してくれている。
「大きな声を出してすまなかったな。だが、子供が危険な事をしたら、大人は怒らなきゃいけないんだ。悪く思うなよ?」
オレは、大人にこんな風に怒られた事が無かった。初めて、心から心配されて、怒られた。
(八つ当たりじゃない……理由があって、オレの事を、想ってくれたんだよな?)
子供の時に経験しなかった事を、子供に戻って、子供として怒られるなんて事は普通は無い。この衝撃は、きっと誰にも分からないだろう。何か……表現出来ない何かの憑き物が、落ちたような感覚に戸惑ってしまうこの衝撃は。
「いえ……私が、悪かったので。本当にごめんなさい」
「……体は大丈夫そうだな。でも、もうするんじゃないぞ? 子供の体には、本当に危ないんだ。大人だって下手すりゃケガするような重さなんだからな」
跪いてさえオレよりも背が高いガラディオは、その大きな手でオレの頭を撫でた。彼の体からは想像も出来ないほど、優しい手をしていた。
「それで、どうして振っちまったんだ? 言う事を聞けない嬢ちゃんじゃないだろうに」
そう。彼は間違っていない。オレは事象を説明もせずに、危険に見える事をしてしまったのだから。それに突き詰めて考えると、オレの錯覚だった場合など、金属棒が本当に軽くなったのかはまだ分からない。うかつな事をしたというのは変わらないのだ。
「その……棒の重さが、消えたので……大丈夫だと思ってしまったんです」
判明していない事象を、説明するのは難しい。
「うん? 重さが消えるなんて事は……ないだろう?」
不思議な子を見るような目で、他に理由はないのかと問い掛けているようだ。
「そういえば……エラがそれを持つと、光ったのよ。だから私は取り上げようとして……飛んで行ったのよね」
「確かに、お嬢様の力で投げられるような距離じゃなかったですね」
「あの、もう一度、持たせてください。重さが消えるのを、一緒に触ってください」
落ち着いて、最初からこうすれば良かったのだ。焦るなと言われて分かっているつもりでも、焦りを抑える事が出来なかった。この体になってから、心を思い通りに出来なくなっている。
「エラ様……そんなお顔をなさらないでください。一度に沢山の事が起き過ぎているのですから、戸惑うのは当然の事ですよ。焦らずに。と、言い過ぎたかもしれませんね。焦っても良いですけど、先ずはそのお体を第一にとお考え下さい。そうすれば、大体の事は何とでもなるはずですから」
シロエはいつの間にか横に来て、オレの心を読んだかのように慰めてくれた。他の誰にも聞こえない小さな声で、ささやく様に。
(たしかに、皆はオレを心配してくれているから、優先順位を間違えなければこんなミスはしないのかもしれないな)
小さく頷いて、ありがとうと返した。
「ガラディオ様は、いつまで手を乗せているんですか? 早くどけてください。エラ様の首がもげてしまいます」
指摘されて、ガラディオはハッとなって手を引いた。
「そんな強くはしていないぞ? ガサツみたいに言うんじゃない」
シロエの言葉で、場の雰囲気がふわっと和らぐ。
この芸当は、シロエでなければ出来ないだろうと思う。空気を操る天才かもしれない。
「えっと、それじゃあエラ。試してみてくれる?」
「あっ、はい」
促されて、もう一度金属棒に意識を通していく。
「わ。ほら、やっぱり。光っているわよね?」
リリアナが最初から主張していた通り、確かにうっすらと光って見える。そして重さも消えたように感じる。
「今、触ってみてください。重くないはずなんですが……」
それぞれが、順番に金属棒に触れていく。下から持ち上げたり、オレの腕ごと支えてみたりと。
「うーん、確かに……そう言われると軽いような……」
ガラディオの筋力では、二キロ程度の差は誤差なのかもしれない。
「私は軽いと思うわ! 何これ、何なの?」
リリアナは、危険かもしれないという不安よりも、興味が湧いたようで少しはしゃいでいる。
「私も……金属のような重さは感じないと思います」
シロエもリリアナに同意した。
「そうなんです。重さがこのように消えるので、私でも振れたんです。舞い上がってしまって、説明する前に振り回してごめんなさい」
「いや、俺も確認せずに怒鳴ってしまって、すまなかったな」
「もう、いいじゃない。エラも説明不足で、ガラディオも心配しての事だった。誰も悪くないんだもの。順番をミスしただけで、怪我も無かったのだから良しとしましょう。ね?」
いつまでも謝るオレを不憫に思ったのか、リリアナがきっちりとまとめてくれた。
「ありがとうございます。次から、きっと気を付けます」
「あら、自信はなさそうなのね。まあいいわ。エラがあわてんぼうだって分かったから、皆で見守りましょう」
これでは完全に子供扱いだが……もはや自分でも、大人である自信が無くなってきている。
「そうですね。まだこんなにいたいけで可愛いのですから、私がしっかりお側でお守りしますね」
ぎゅっとしようとしたシロエを、させまいと止めたリリアナの動きは素早かった。それを見たガラディオは、言い易いシロエに軽い小言をぶつけた。
「おいシロエ……遊んでないで、この状況をもう少し考えようぜ……俺はあいつらの訓練も残ってるんだ」
休憩時間は終わっていたようで、騎士達は自主的に訓練を再開していた。ガラディオの指示がなくても、きちんとしている。
「とは言っても、ねぇ。エラが持つと軽くなる。という事しか分からないわ」
他も同意見のようで、皆黙ってしまった。
「それじゃあ……エラ、この
目をキラキラとさせて、リリアナはこの話もさっとまとめた。オレとしては、強さを手にする最後の希望を手に出来て嬉しいから、文句など無い。
「了解しました」と、短く答え、自分のものになった貴重な武器を、ぎゅっと胸に抱いた。
(これはオレの、命綱だ)
「良かったですね。エラ様。でも、お怪我をしませんように。ですよ?」
そう言ったシロエを見上げて、コクリと頷いた。
――これで解散かと思った所で、リリアナからさらに提案があった。
「そうだガラディオ。この子にあなたの剣術を見せてあげてよ。エラは剣術をしたがっているから、あなたの動きが参考になるかもしれないわ」
訓練が気になり始めていたガラディオは、ギクリとした顔でリリアナを見た。
「子供にはまだ早いと思いますよ?」
正論だったが、これはリリアナのお願いではなく、命令なのだという事も彼は理解していた。
「あれをやってみせてよ。剣舞。かっこいいもの!」
「え……っと、いや、あれは長いですから、剣技をお見せしましょう。パパっといくつか繋げますから」
「それじゃあ速くて見えないのよ」
「嬢ちゃんに見せてやるなら、こっちの方が良いですよたぶん」
「そうかしら?」
剣術の事はよく分からないのだろう。その辺りの事は、リリアナは反論しなかった。
「おい嬢ちゃん、見えないだろうけど、よく見とけよ? このくらい出来なきゃ、戦場じゃ生きていけないからな」
彼はニカっと笑って柄に手をかけると、その後は一瞬の出来事過ぎて、よく分からなかった。
両腰に携えた二本の剣を、それぞれ抜いたかと思った瞬間――剣先が目に止まる事の無いまま風切り音だけが聞こえ――そしていつの間にか鞘に納められていた。見えたのは、最初と最後だけだ。
「ほら! やっぱり見えないじゃない。曲芸にしても程があるわ」
「すごすぎて、みえませんでした……」
オレが想像していたよりも、遥か遥かに遠くの、高みにある剣技だった。二本をやみくもに振り回したのではなく、対象があればきっちり切断しただろう。
「ガラディオ隊長は、人間ではないのですか……?」
人の領域を超えている。
「おい。微妙に失礼な誉め言葉だな」
「だから言ったじゃない。エラの顔を見てよ。ドン引きしてる。エラ、見えなくて面白くなかったって言ってやりなさい」
剣舞とやらが見たかったリリアナは、からかう事で気分を晴らそうとしているようだ。今の姿はまるで、兄弟に絡む姉のように見える。
「いえ……凄すぎて、嫉妬とか通り越して、落ち込んでいます」
元のオレでも、こんな動きは出来そうもない。これがどれだけショックなのかは、真剣に取り組んだ者にしか理解出来ないだろう。
「なんで落ち込むんだ。すごい! でいいじゃないか」
この人に悪気は無い。オレが剣術をやっていただなんて、思ってもいないのだ。それよりも、同じ騎士団の人はどう思うのだろうか。
「他の騎士は、ガラディオ隊長の剣技を見て落ち込みませんか?」
「あいつらが? そこのお嬢様と同じで、見えなくて分かりません! としか言わないな。悔しがったのは嬢ちゃんが初めてだ。偉いな」
「エライ……?」
「そうだろう。本気の本気じゃなきゃ、悔しいとか落ち込むとか、しないじゃないか。気概だけは立派な一人前だ。元気出せよ」
(態度ひとつで、彼にはそこまで伝わるのか……)
底の知れない人だ。目の前の少女が、どんな中身なのかを知らずに核心を突くのだから。
「ありが――」
言いかけたところで、リリアナが不満をぶつけていた。
「――ガラディオ。こんな小さな子に脳まで筋肉みたいな事言わないで。エラがあなたみたいになったら、一生許さないからね」
落ち込んだ状態のオレの小さな感謝は、リリアナの声にかき消されてしまった。
「なんで怒られるんですか……まったく。それじゃあ、そろそろお帰りください。あいつら俺が見てないとすぐサボりますので」
見た感じ、決してサボっているようには見えないが……たぶん、目指すものが違い過ぎてそう見えてしまうのだろう。分からなくはない。が、教わる方は地獄に似た環境のはずだ。
(……かわいそうに)
だが、それでこそ強くしてもらえる。彼が居る限り、この騎士団はもっと強くなるだろう。
「そうね、お邪魔したわ。今日はありがとう、ガラディオ」
最後に微笑みを添えて、リリアナは彼に背を向けた。ガラディオもまた、軽く一礼をして騎士達の所に行く。
ふと、その光景が絵になる様で、まるで現実ではないような気持ちになった。後ろから「カット!」と、映画監督の声が聞こえてきてもおかしくないような。
そんな夢見心地でいると、リリアナがオレの手を取って「行くわよ」と、屋敷へと向かう。現実感を失いそうなタイミングで、手を繋いでいる感触が我を取り戻させてくれた。
あまりの力量差に思考が飛んでしまったオレは、少し呆けていたのだろう。
「エラ様……ちゃんと前を見て歩いてくださいね……」
そのシロエの声にも、生返事を返すのがやっとだった。
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